第5話 変身
ユキと過ごす時間は、サキにとって空っぽだった器が未知の色彩で満たされていくような、充足感に満ちていた。
『新しい自分へと生まれ変わる』
その甘美な響きは、深く暗い水底へと誘う光のように、サキの意識をどこまでも吸い込んでいく。
「サキは、正論を『武器』にしすぎているわ。」
ユキは、鏡に映るサキの生真面目な顔を、冷徹な審美眼で射抜いた。
「正しさは時に人を威圧するわ。救いたい相手にさえ、恐怖を与えてしまう。必要なのは、相手の懐にするりと入り込む『親しみやすさ』という名の擬態よ。」
ユキの説得には、抗いがたい魔力があった。
長く退屈だった黒髪のストレートは、ふんわりと甘いミルクティーベージュの巻き髪へと姿を変えた。
「意志の強さは隠さなくていい。それを『輝き』に変換するの。」
跳ね上げた鋭いアイラインと、瞬くたびに火花を散らすような大粒のラメ。
ユキの指先によって施されるメイクは、サキという少女を別の生き物へと塗り替えていく。
学校の制服ですら、スカートの丈、シャツのボタンの開け方、着崩し方ひとつで、場を支配する『武器』へと書き換えられていった。
鏡の中に立つ、見知らぬ『強くて新しい自分』。
サキはその姿に、めまいがするほどの高揚感を覚えていた。
「いい、サキ。他人の目なんてゴミよ。基準はひとつ。自分のテンションが『アゲ』か『サゲ』か。それだけ。」
ユキは、ギャル特有の『自分軸』を、サキの魂に深く叩き込んでいく。
(周囲から浮いてるって、もう苦しまなくていいんだ・・・)
サキの持っていた清廉な正義感は、ユキの言葉によって少しずつ変質していった。
『正しくあるべき』という囲いから、『自分が不快だから叩き潰す』という、わがままで傲慢な『直感的な正義』へと昇華させていく。
サキの優等生的な面影は鮮やかな色彩の影に隠れて、危ういほどに自由な、孤独な闘魚へと変貌を遂げようとしていた。
「ねえ。その青い石、サファイア?」
ユキはサキの青い石を無遠慮に撫でた。
「そう・・・思い出のサファイアなの。」
答えるサキの脳裏に、リンの微笑がよぎり、纏う空気に湿った影が落ちる。
「ふうん。そんな過去に縛られているから、まだ今を楽しめていないのね・・・」
ユキの声は氷のように冷たく、蜜のように甘い。
ユキはサキの動揺を愉しむように、その精神の拠り所へ、静かに毒を回していく。
「知ってる?ルビーもサファイアも同じ石。
どちらも『コランダム』っていう鉱物。不純物としてクロムが混ざれば赤くなり、鉄やチタンが混ざれば青くなる。」
「ね?面白いわね・・・」
そう言うと、サキの青い石を捧げ持ち、いろんな角度からその輝きを眺める。
「・・・この石もそう。リン、だっけ?その子がこれを渡したのも単なる『依存』よ。
あなたの正義感に付け込んで、『盾』にしていただけ。彼女が消えたのは、あなたという『盾』が必要なくなったか、重くなったから・・・」
ユキは強引にサキの顎をくいと持ち上げ、自分の方へ向かせた。
サキの微かな震えが伝わる。
ユキと目が合い、サキのほほが上気する。
「サファイアは硬いけど、一点に強い衝撃を与えれば、あっさり砕け散るの。
思い出も同じ。こうやって新しい化粧で塗り潰してしまえば、元の肌なんて見えなくなる。
・・・ほら、もうすぐあなた自身も、私と同じ色に染まるわ。」
ユキはサキの耳元に顔を寄せ、呪いを注ぎ込むように囁く。
「リンはあなたを『過去』に縛り付ける呪いを遺した。私はあなたに『今』を生きる自由をあげる・・・。鏡を見て。今、あなたの真後ろにいるのは誰?」
サキの瞳が、ユキの底の見えない深淵に飲み込まれていく。
「そもそも、小学生が持っているようなサファイアなんて、不純物の入っていない合成石・・・つまり『偽物』の青よ。そんな紛い物に本物の思い出なんて宿らない。もし、サキがサファイアを必要としているのなら、私があなたのサファイアになってあげる。」
そう言うとユキは自分のチョーカーを外した。いつもの赤い石ではなく、青い石が怪しく揺れていた。
『カチリ』
硬質な音を立て、ユキのぬくもりが残るそれがサキの首に吸い付く。
ユキの冷たい細い指が、サキの首元のチョーカーを愛おし気になぞり、蕩けそうな顔でサキの髪に唇を寄せる。
思い出を『安っぽい偽物』と定義し直され、リンとの絆は無価値な瓦礫へと変わっていく。
サキは気づかない。過去を否定し、ユキの色に染まる現状こそが、本当の意味での『消失』であることに。
サキはサファイアのキーホルダーをいつの間にか失くしていた。
失くしてしまったことにの罪悪感はサキの心に存在していなかった。
***
真夏の陽光が勢いを失う頃。サキは『美しさ』という武装を纏い、今この瞬間を楽しむ、新しい仲間達の中心で笑っていた。
学校という水槽は、自分が主役として泳ぎ回る輝かしい舞台へと変わった。
しかしサキが唯一安らげるのは、ノイズのないユキとの静謐な時間だけだった。
ユキの言葉に身を委ね、自分を磨き上げる聖なる儀式・・・それこそが、今のサキにとって何物にも代えがたい拠り所となっていた。




