第11話 エレベーター
サキは静寂の中に電子音を響かせ『3・1・1・0』と打ち込み、最後に『確認』ボタンを押した。
曇り一つない鏡の様な扉が静かに、そしてゆっくりと、まるで巨大な怪物の口のように開いていく。
微かにホコリとカビのにおいが中から漂ってくる。
「リン、開いたよ!これでここから脱出できるんだよね?」
期待と不安が混ざり合った声がでた。
サキはエレベーターの中へとそっと足を踏み入れた。
エレベーターの中の蛍光灯がチカチカと不規則に明滅している。
壁のステンレスがわずかに歪んでいるのだろうか、蛍光灯の点滅に合わせて、サキの姿が、その度に伸びたり縮んだりして映って見えた。
「・・・リン?」
振り返ると、リンはまだ扉の外、青い闇が支配する教室の中に佇んでいた。
「・・・サキ。あなたは今、何を見ているの?」
リンの声は、先ほどまでの冷徹さとも、昔の優しさとも違う、空洞のような響きを湛えていた。
「え?何って・・・エレベーターだよ。早く乗って、リン!」
リンがふっと、薄く笑ったように見えた。
「私には、そこが『出口』には見えないわ。」
「・・・え?だって、リンがここから脱出できるって言ったじゃん・・・」
「不純物のない、完璧な光。・・・それは、拒絶よ。
あなたはそこに入った瞬間に、私との不純だらけの思い出を捨てて、ユキの望む『完璧な人形』になることを選んだ。
・・・自分の指で、その番号を打ち込んで・・・」
嘆きとも、拒絶とも聞こえる響きを持った声だった。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
「何を・・・何を言ってるの?私はただ、ここから出たくて・・・」
サキは、リンがどこかへ去っていきそうな気がして、リンの手をつかもうと手を伸ばした。
「本当に、そこは『外』に繋がっているのかしら?」
差し伸べられた手を、リンは拒まなかった。
リンの手首は、驚くほど冷たかった。
二人がエレベーターに乗り込むと、曇り一つない鏡の様な扉は静かに閉まった。
チカチカと明滅していた蛍光灯は、箱が動き出した瞬間に沈黙し、明るい光をエレベーター内に満たした。
足元にわずかな振動が伝わってくる。
狭い密室に、二人の呼吸音が重なる。
リンは正面を向いたまま、鏡のような壁に映る自分をただ見つめていた。その瞳には、恐怖も安堵などではなく、失望に近い色が宿る。
サキも壁に映る自分の姿を見つめる。そこには死ぬより嫌だったはずの『勝負メイク』が無残に崩れ、ギャルという『武装』をなくした姿があった。
自分のほほに触れると、人形の様な硬質な肌触りが伝わってくる。
やがて、エレベーターは静かに停止した。
『ピン』という淡白な通知音が響き、扉が左右に割れる。
そこは1階の調理実習室の奥の開かずの扉と言われていた場所であった。
もうここには、理科準備室の薬品の匂いや、水槽の青い光はなかった。
非常口の緑の光が鈍く点滅している。
リンは迷うことなく非常口から旧校舎の外へと出ていった。
「出られたんだ・・・」
サキは、安堵のため息をつき、コンクリートの地面に足を下した。
リンの背中を追うように、慌てて歩き出した。
校門へと向かう間、二人は一度も目を合わせることはなかった。
「ねえ、リン!」
歩きながら、サキは前を行く少女の背中に声を投げる。
「・・・これで、全部終わり・・・だよね?」
リンは前を見つめたまま、淡々と答えた。
「そうね。全部・・・終わったわ・・・」
その声は、無機質で、抑揚のない決められた台詞をなぞるような響きだった。
脱出という劇的な結末を迎えたはずなのに、サキの胸には達成感も、感動も、あるいは戦慄さえも湧いてこない。ただ、ひどく疲れ果てたような、空っぽな感覚だけが残っていた。
校門を出て、黙ったままただ歩く二人。
「バイ・・・」
リンは目を伏せ、短くつぶやくと、迷いのない足取りで夜の闇に消えていった。
リンの去った街灯の下に、赤い色が光った気がした。
ふと、サキは首元に手をやった。
指先にはユキから貰った青い石の付いたチョーカーの感触が消えていた。
一人残されたサキは、自分の掌を見つめた。そこには、何も残っていなかった。
脱出は成功した。障害は取り除かれた。
それなのに、サキは自分が『何を』解決したのか、今のリンが『誰』なのか、結局何ひとつ分からないままだった。
サキは重い足取りで家路についた。
夜が明ければ、文化祭が始まり、いつもより賑やかな日常が動き出すだろう。
今夜起きた出来事は、誰に話すこともない、不純物を含まない完璧な『空白』として、サキの心にだけ残る・・・。
救いも、破滅も、変化さえもない。
ただ扉が開いて、外に出た。それだけの結末。
遠くでパトカーのサイレンが微かに響いていた。




