第12話 夕暮れの理科準備室
*** サキ 17歳 秋 ***
狂気の一夜が明け、また太陽が容赦なく照り付ける。
この日はサキの誕生日であるにもかかわらず、テンションが上がらない。
しかも、待ちに待った文化祭だというのに、サキの足取りは重かった。
サキは、いつものミルクティーベージュの髪を風になびかせ、鋭く跳ね上げたアイラインで世界を睥睨する完璧なギャルの見た目とは裏腹に、中身は、うつろで、疲弊しきっていた。文化祭実行委員であるという責任感のみでただ目の前の事象をさばいているだけだった。
クラスメイト達の笑い声も遠いこだまのようにサキの耳には届いていない。
昼間のにぎやかな祭りの余韻がまだ残る、太陽が大きく西の空に傾きはじめた黄昏時。
人影もまばらになった校内を、サキは一人、理科準備室に向かった。
昨日の夜、あの場所で何が起こったか確かめるために・・・。
扉を開けると室内は西日の光でほんのりと赤く染まっていた。
静かな室内には、静寂をほんのわずかに乱すエアーポンプの単調なリズムが微かに響いていた。
サキは室内を見回す。
窓辺には、テーブルの上にいつもの水槽があった。
中には、エアーポンプが吐き出す泡の間を、一匹のベタとネオンテトラの群れが静かに泳いでいた。
横には古びて黄色くなりかけた観察日記。
昨晩は部屋の片隅にあったはずの古びた薬品庫が脱出口のあった場所に何もなかったように収まっている。
サキは観察日記を手に取った。
最後のページにはモールス信号の一覧表などなかった。
そして、今日の日付の書き込みが残されていた。
『私は、やはりベタが好きだ・・・紫のサファイアになりたかった・・・』
西日で黄色く染まったページに書かれた文字を、サキの指がゆっくりとなぞる。
サキの指が署名欄で止まった。
癖があるが美しい文字―それはリンの筆跡に似ていた。
――『齋藤由妃』
サキは、視線を巡らせ、あの脱出口の扉があった場所に視線を送る。
あの時、リンは何て言っただろう?
――『暗証番号を使って、ここから出ていきましょう』
(暗証番号を『入力』ではなく、『使う』と言った・・・)
脳裏に、あの曇り一つない鏡の様な扉の輝きが蘇る。鏡のように磨き上げられ、不純物を一切含まない完璧な扉。
——『不純物を取り除いた合成石…つまり『偽物』』
(ひょっとして、あの扉は、偽物だった・・・の?)
サキは古びた薬品庫に歩み寄った。
隣にある実験器具の棚のガラスに歪んだ自分の顔が映る。
(これは・・・誰・・・?)
鏡に映っていたのは『完璧なギャル』ではなく、『武装』を剥がされた空虚なまるで人形の様な自分・・・。
薬品庫の戸棚のダイヤルに指をかける。『3110』――ゆっくりダイヤルを回す。
最後の数字を合わせた瞬間、『カチリ』と軽い音がしてロックが外れた。
重い扉をゆっくりと開く。
扉の裏側には、小学校時代の、サキとリンが屈託ない笑顔で笑い合っている写真が貼ってあった。
サキの目が微かににじむ。
光の加減で、棚の奥が良く見えない。
しかし、暗闇を宿した棚の奥で何かが微かに揺れたような気がした・・・。
「・・・えっ?!」
思わず息をのむ。
失くしてしまった、記憶の中から消し去ったと思っていた。
大きさも形も同じ、思い出のキーホルダー。
リンからもらったサファイアのキーホルダーと、リンの持っていたルビーのキーホルダーだ。
震える手で二つのキーホルダーを取り出し、サファイアのそれを目の高さまで掲げた。
かつてユキが『安っぽい合成石』だと嘲笑ったあの青ではない。掌に伝わるずっしりとした重み。そして、闇を凝縮したような、吸い込まれるほどに深い青色の輝き。
石の留め具の部分にサファイアには『Y・S』、ルビーには『R・S』と刻まれている。
サファイアの留め具の部分に刻まれているイニシャルが違うことに気が付かなかった。いや、そもそもイニシャルが刻まれていたかどうかなど思い出せなかった。
この石が『本物』でも『偽物』でもどうでもよかった。
ただ、手のひらの重みだけが確かな物だった。
もう、二度と会えない・・・
突然そんな思いがサキの心に霧のように忍び込んでくる。
そういえば、リンはこうも言っていた。
――『早く『私達』をここから解放して』
私は、なにも解放していない・・・それどころか、二人の影に囚われたままだ・・・
(ユキ・・・リン・・・私は、どちらを欲していたのだろう・・・)
『リン』も『ユキ』も何かから解放されたかったのかもしれない。
もう、何もかも元に戻らない・・・
西日が力を失い、いつの間にか教室には闇が忍び込んでいた。
二つの石を握りしめたサキの影が、長い闇の中にゆっくり溶けていく。
エアーポンプの単調なリズムの響きを闇が吸い込みかすれていく。
「サキ・・・」と微かに呼ぶ声がした気がして、振り返った。
一瞬、サキの手のひらの石に西日が反射し、ふっと青と赤の光が重り鮮やかな紫の帯がうたかたのように揺れた。
やがてその光も静かに消えていった・・・。
完
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「深夜の理科準備室、あるいは『偽物の青』について」
最後まで読んでいただきありがとうございました。
この作品は、以前から頭の中で、モヤモヤっとした構想があったのですが、たまたま甥っ子っから読んでみたいとのリクエストがあり、書き始めてみました。
書きだしたら、登場人物たちが勝手に走り出してくれて、あっという間に完成させることができました。
「深夜の理科準備室 青と赤と紫と」を6月15日より連載いたします。
こちらは、「深夜の理科準備室、あるいは『偽物の青』について」のリン視点のアナザーストーリー、そして本当の出口の物語です。
こちらも、読んでいただけると嬉しいです。
マオ・ウミ




