第9話 本名と公名(1)
「ここは……」
目を開けると、そこには心配そうにこちらを覗き込む顔があった。
「……大丈夫ですか?」
俺は身体を起こすと、そこには病床に伏せていた少女が、安堵の表情ながらも涙目で座り込んでいた。
「……よかった」
どうやら少女の方が、先に目を覚ましていたようだ。
「君、体調は……?」
「身体が嘘みたいに軽いです。痛みや熱っぽさもなくなっています」
俺は少女の脈を取ってみた。
目の前に現れた体調パラメータの値は、
どれも正常値になっていた。
いくらなんでも、カプセル薬ひとつでここまでの効能を発揮するとは思わなかったが、とにかく助かってよかった。
だが、安堵の気持ちと同時に、俺は悲しい事実に気づいてしまった。
……夢ではなかったんだ。
目が覚めれば現実世界に戻れると思っていた。
だが、こうして俺は未だ少女の前にいる。
異世界に転移したのは、
紛れもない現実だったのだ。
彼女の手を離し、肩を落とした俺を見て、
少女が心配そうに顔を覗き込む。
「どうかなさったのですか?」
「あ、いや。…なんでもないんだ」
「やっぱり、私の病のせいでお加減が優れないのでは…?」
俺は驚いて少女を見た。
少女は思い詰めた表情で俺の目を見つめていた。
俺が倒れていたのは、自分の病気が移ってしまったせいではないかと心配していたようだ。
俺は少女の体調がすっかり良くなっていること、疲労感は少し残っているが、俺の体調も問題ないことをきちんと説明した。
元いた世界に戻れない絶望感、それを説明出来ないもどかしさは説明しても分かってもらえるはずがない。
「そういえば挨拶もまだだったね」
「ふふ、そうですね。申し遅れました。私の名前はセティアと申します。この度は見ず知らずの私を助けて下さり、ありがとうございました」
まだ病み上がりで、元気のない表情をしているが、正面から見ると、息を呑むほど整った顔立ちだった。
透き通ったような空色の髪。
深海のように澄んだ青い瞳。
その美しさは──十代の頃の逸花にも匹敵する
いや、それどころか、現実世界にはない”高貴さ”があり、思わず見惚れてしまいそうになる。
いかんいかん。まだ逸花と正式に離婚した訳でもないのに俺は何を考えているんだ。
それ以前に、こんな美少女とMOBの俺とでは釣り合うはずがない。
ただ綺麗な顔立ちだと思って見ているだけでも、相手からすれば"気持ち悪い視線"にしか見えないだろう。
俺は内心の揺れる感情を押し殺し、節度ある大人として、まずはきちんと自己紹介をしようと思った。
「こちらこそ申し遅れました。私の名前は穂積 充と申します。昨日は泊めていただき、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」
しかし、この一言に少女の表情が一変した。
驚愕の表情を浮かべて俺の方を凝視している。
一体、どうしたというのだろうか。
余計なことは言わず、端的に本名を名乗り、
一泊の恩に対する礼しか述べていない。
さすがに異世界に来て、この世界の常識がわからないのに俺に関する情報についてベラベラ喋るわけにはいかない。
俺がこの世界の外側から来た者であることを悟られることは、俺にとって命取りになりかねないからだ。
まずは相手の言動からこの世界の常識を知り、この世界の禁忌を侵さないような言動を心がけ、この世界の内側の人間であることを認識してもらわなければならない。
俺はどんなことを言われようと
MOBな表情を堅持する覚悟でセティアの言葉を待った。
「……ひょっとして貴方は──
この世界の方ではないのではありませんか?」
少女の発した一言で──
俺の表情にひびが入った。
何故バレたーーー!!?
俺は内心で絶叫を上げた。
「いま貴方の名乗られた名前は、本名ですよね?」
「ハヒ?そ、そうだけど?」
今度こそ俺は内心の揺れる感情を必死で圧殺して引き攣った笑みを浮かべる。
若干、心の動揺が漏れたのか、受け答えがバイキンマンな感じになってしまった。
「初対面の者に本名を晒すことは、
この世界ではありえません」
……詰んだ。
俺はいきなりこの世界の禁忌を侵してしまったらしい。
俺はガクッと膝をつき、絶望感とともに頭を垂れた。
「やっぱりまだお加減が?!」
──セティアの声が遠くで聴こえた。
しょせん勇者でもない俺みたいなMOBが、見知らぬ世界でうまく立ち回って生きていくなんて、無理だったんだ。
バレてしまった以上、身を任せるしかない──
俺の存在を危険なものと認定して通報されても仕方がない。
どのみち、セティアに家を追い出されれば、
どこにも行くところはないのだ。
俺は、腹を括った。
「……全部、お話しします」
観念した俺は、自白をする犯人のような目をして少女を見上げた。
「はひ?」
セティアがバイキンマンのような声を上げた。
それから俺は、セティアに全てを話した。
俺が元いた世界で漢方医という薬剤師だったこと。
結婚していたが、妻と別れようと離婚届を送ったこと。
見知らぬ老婆からペンダントを渡され、それをつけた途端に光に包まれ、気づいたらこの世界に転移していたこと。
全ての話を真剣に聴いていたセティアは、俺の話が終わると静かにゆっくりと息を吐き、俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「まず、貴方に知っておいていただきたいことがあります。私は、貴方に生命を救われました。見ず知らずの私に薬を与え、病を癒して下さった貴方のことを、私は決して忘れません。」
……あれ、もしかしてコレ、死亡フラグ?
生命は助けてもらったけど、ハッキリと外の世界からやってきた異端人であることがわかったからには、やっぱり通報します。
大人しくお縄になってください。
厳重な取調べの上でおそらく危険な存在として処分されるでしょうが、あなたのことは思い出として心に残しておきますから──
内心で、俺の絶望値がどんどん上昇していく。
ちなみに、俺の体調パラメータにそんな指標はない。
俺の瞳から徐々に光が消えていく。
「貴方の恩に対して、私はこれからでき得る限りの助けをもって返させていただきたいと思っています」
思わず俺はセティアの顔をまじまじと見つめた。
セティアの目は真剣は確かな意志を感じさせた。
冗談を言っていたり、嘘をついているようには見えない。
……あれ? これはもしかして、大丈夫そうな展開?
いや、でも安心は出来ない。
俺は何ひとつこの世界の常識を知らない。
通報はするけど、あなたが善意で私の病を癒してくれたことはキチンと証言しますから、もしかしたらワンチャン助かるかもしれません、的なものかもしれないのだ。
迂闊にほぼ初対面の人の言うことを鵜呑みにすることは出来ない。
俺はセティアの真意を図ろうと、つい怪訝な表情になってしまう。
「──こんな見ず知らずの私のことを信用してください、と言われても無理だと言うことはわかっていますが……」
俺の視線を自分の言葉に対する疑念と捉えたのか、セティアの表情が曇り、目に再び涙が溢れてくる。
すると、微かにセティアの身体が震え出した。
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