第10話 本名と公名(2)
ハッと気づいた俺は、「失礼」と断ってセティアの手を取り、脈診を採った。
セティアはビクッと肩を震わせ、身体を固くする。
もしこれが男女の関係なら、
「離してください!」と手を払われるか、
あるいは頬を赤らめる展開もあるのかもしれない。
だが、俺は漢方医で、セティアは患者だ。
そんな茶番は起きない。
俺は冷静に、ただ彼女の状態を診た。
――体調パラメータが悪化している。
おそらく、俺とのやり取りで気が沈み、
“気鬱”の状態になったのだろう。
「病は気から」というように、急激な感情などの動揺によって体調に変化が現れることはしばしばある。
とくに重病明けの身体は、気の変化に敏感だ。
これ以上、セティアに余計なストレスを与えるべきではないし、疑ってかかっていては何も進まない。
セティアは「助けになる」と言ってくれた。
ならば、まずはその言葉を信じるべきだ
今の俺にとって、この世界を知る手がかりは
目の前の少女しかいない。
ならば――
俺がやるべきことは、誠実に心の内をさらけ出すことだ。
俺はセティアと出会った縁に、天から垂れたか細い糸を掴むような気持ちで賭けてみることにした。
俺はセティアの目の高さまで顔を近づけ、静かに語りかけた。
「セティア、よく聞いてほしい。
──俺は……気づいたらこの世界に放り込まれていた。この世界のことが何も分からないんだ。俺がこの世界でどういう扱いを受けるか、これからどうしていけばいいのか」
セティアはハッとしたように顔を上げ、まっすぐ俺を見返した。
「俺がこの世界の人間じゃないことを知っているのは、君だけだ。俺は君を信じるしかない。君は俺に救われたと言ってくれたけど……
今の俺を救えるのも、君だけなんだ」
セティアの瞳が揺れ、
やがて静かに俺を見つめ返す。
「この世界のことを教えてほしい。
……俺を、助けてくれないか?」
しばらく沈黙があった。
そして、セティアは少しだけ嬉しそうに微笑み、
小さく「はい」と頷いた。
その瞬間、彼女の体調パラメータは
不思議なほど一気に正常値へ戻った。
それから俺はセティアに、この世界においてなぜ本名を晒してはならないのかを教えてもらった。
それは、この世界には”魔力”が存在するからだ。
いわく、この世界の万物には魔力が宿っており、その影響力を行使することができる。
魔力は、自身の本名を器として登録し、公名を介して発動する。
逆に他者の器、つまり本名を知ることができれば、魔力で器に干渉して、他者を呪いにかけることができる者もいるという。
「なかには意思に関わりなく操ったり……死に至る呪いもあるそうです」
……なにそれ、怖い。
絶対に本名なんて晒しちゃダメじゃん。
それゆえに、婚姻を結んだ者や親族以外には本名を明かすことはまずないという。
「この世界には『身より名を守れ』ということわざがあります。たとえ、裸体を晒されようと本名だけは明かしてはならないという意味です」
……つまり、俺は、挨拶を交わそうとした初対面の相手に、いきなりすっ裸をさらしたようなもんなのか?
相手からすればとんだ露出狂。
間違いなく、「なに言ってくれちゃってんの、この人?!」だろう。
男の俺であっても、確実にドン引きだ。
俺は羞恥心のあまり、両手で顔を押さえて悶絶した。
「そ、そんなにお気になさらないでください!」
セティアが全力でフォローに入ろうとしているが、俺の体調パラメータがみるみるうちに悪化していくのを感じる。
"病は気から"なのだ。
「それよりも、大事なことがあります!」
俺は顔を上げた。
セティアが真剣な表情をしている。
「先程も言いましたが、本名は基本的に他人に明かすものではありません。他人に明かしてよい名前である公名を名乗るのです。この世界であなたが生きていくためには、まずこの公名を決めなければいけません」
俺もセティアの雰囲気に、落ち込んでいる場合ではないと意識を切りかえた。
「公名とは、本名を秘匿するために公に示す自分のもうひとつの名です。当然、自分の名として名乗るわけですから、自分であると自覚できる名前をつけなければなりません。本名は親から与えられる名前ですが、公名は自分で決めなければならないのです」
要はペンネームみたいなものだろうか。
この世界には魔力があるせいで、本名は迂闊に名乗れないから、みんなペンネームを名乗りましょう、ということなのだろう。
そう理解するように思考を向けると不思議としっくりきた。
ならば、ほどほどに格好よく、ほどほどに恥ずかしくない感じの名前にすればよいのではないだろうか。
どうせ異世界なのだから、思い切って外国の中世の騎士風なネーミングにしてみても良い。
「公名は、器である本名から語呂が離れるほど自身に対する魔力干渉が弱まりますから、他人からの干渉の危険は薄まる一方で、自身の魔力行使も弱まってしまいます。そのため、公名をつけるにあたっては、本名の前段と後段の文字を組み合わせたり、本名の一部を改変するのが一般的です」
……どうやら、本名と全く異なる公名はダメらしい。
そうなると、『ほつみ あたる』の場合、前段と後段を組み合わせて付けるとなると──
『ホアタ』
俺は、静かに目を閉じた。
まぶたの裏側に、胸ぐらに七つの破孔痕をつけた筋肉ムッキムキの世紀末覇者が敵の秘孔を指でぶっ刺している光景を幻視した。
ちなみに俺には筋肉マッチョな素養は1ミリもないが、いろいろな人にいろいろな場面で『ホアタ』と呼ばれることをちょっとだけ想像してみる。
『ホアタ……ホアタ~………ホアタっ! ……ホアタぁぁああーーー!』
……ホアタ、ホアタ呼ばれるたび、秘孔を穿たれるように心にダメージを負うことがわかった。
『ホアタ』はない、絶対にだ……!
じゃあ、『ホタル』はどうだろうか?
……俺としては女の子の名前のイメージが強いが、別に男の名前でもいる気はした。
だが、これまで「充」と呼ばれてきた自分の名前とは印象が違って、どうもイメージが定着しない。
本名の一部を改変するのが良いというなら、「あたる」を少し変えるのはどうだろうか。
『アタラ』
『アタリ』
『アタレ』
『アタロー』
この中で一番しっくり来るのは、『アタリ』だった。
『当たり』という語呂にもつながるし、なんだか縁起が良い気がした。
「『アタリ』というのはどうだろうか……?」
「アタリ…。名前の一部改変でいくのですね。よいのではないでしょうか。私としては『ホアタ』さんになるのでは、と思っていましたが」
……いや、ごめん。それだけはない。絶対に、だ。
こうして、俺がこの世界で生きていくための公名は、『アタリ』となった。
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