第4話 老婆のペンダント
俺は、他県の片田舎にある漢方相談薬局に勤めることになった。
その薬局の店長――
通称『漢方医・翁先生』は、
この道では名の知れた人物だった。
口コミだけで客が集まり、他県からも相談に訪れる人が絶えなかった。
処方箋どおりに薬を出すだけの仕事とは違い、
患者の体質・体調・症状を丁寧に聞き取り、
その人に合った薬を選び、提案する。
それは、検査結果の正常値、異常値が病気を語り、
精密機器と過去の症例が病名を突き止める
“現代医学”とは一線を画す、“対話の医術”だった。
翁先生は、よく言っていた。
「現代医学は“病気”と向き合うが、
中医学ではまず“人”と向き合わねばならん」
患者の脈、舌、声、息づかい、生活の癖――
そうした“言葉にならない情報”を拾い上げる。
症状そのものではなく、その症状が“なぜ起きたのか”という身体のバランスの乱れを読み解く。
その言葉の意味を、
俺は翁先生に師事していくうちに、
少しずつ理解していった。
俺はそこで、薬剤師として働きながら、
翁先生から“中医学”の診断方法――
特に、“脈診”を学んだ。
翁先生は、相談に来た客の脈診を、よく俺に任せた。
「お前さんは、脈診のスジが良い」
脈診から体調や症状を読み取り、
その奥に潜む“病根”を探り当てる――
それは長年の経験を通じてその人にしか会得できない
“固有の技術”だと言われている。
俺は脈の波の中に隠れている微かな乱れ――
”五臓六腑”のどこが弱り、
どこに”病根”が潜んでいるのか、
その“兆し”がにょっと顔を出した瞬間に、
すっと”ピントを合わせる”ことができるらしい。
俺は、自分がなぜそうできるのかを即座に理解することができた。
なぜなら、俺は自他ともに認める、生粋のMOBだからだ。
MOBは己の身を守るために、危険な兆候を察知したら他の個性に埋没させて自分を隠す。
決して目立たず交戦を避け、
やむを得ず会敵してしまったときでも、
必要とあらば自分を小物に見せて相手の侮りや隙を生み出し、即時に戦略的撤退を図る。
いわば発現させる個性ではなく、他に埋没させる個性。
このMOB能力と、逸花という恒星のような輝きを放つ存在が身近にあったおかげで、大学病院で無実の罪を着せられるまでは危機的な状況に陥らずにこれまで生きてくることができた。
そして冤罪により失職を経験した今、
俺はMOBとしてMOBな日常を過ごしながら、
急変する事態の兆候を察知する能力を鍛え上げ、
察知したら全力回避する術を身につけたのだ。
この技術を応用し、俺は脈診において、
MOBな脈の流れから、”病根”
の兆候を察知できるまでに至った。
それから三年、翁先生の下で修業を積みながら漢方薬剤師として常連客の信頼を得てきた俺の目に、テレビに映った逸花の顔が飛びこんできた。
いま医療界で最も注目を集めている、
“美人すぎる天才心臓外科医”と紹介されていた。
俺は、しばらく画面を見つめた。
『なぜ医師を志したのですか?』
『高校生のとき、自分が社会の中でどう貢献できるかを考え、命に向き合う仕事をしたいと思ったからです』
『すでに国内外の大病院からの引き抜きの話があるとの噂も?』
『私は生まれ育った地元で、一人一人の患者の方に向き合っていきたいと考えています』
『まさに才色兼備と言いますか、芸能界からも穂積逸花先生ご本人出演の医療ドラマ制作のオファーがあると聞いていますが?』
『自分の本分は目の前の命と向き合うことですから、そういったお話はお断りさせていただく予定です』
『──まさに日本医療界に颯爽と現れた超新星、いやすでに恒星のごとき輝きを放たれているのはご覧のとおりです! 既にご結婚されているということですが、芸能界の“結婚したい”ランキングでも堂々の一位獲得、かの有名な──もぜひ──と』
そこには、いくつかの壁を乗り越え、自立した大人へと成長した逸花の顔があった。
自信と誇りを取り戻した妻の表情は、解説者が讃えるどの言葉を聞くまでもなく、ただ美しかった。
俺には、それだけで十分だった。
本来の“自分”を取り戻した逸花に、
これ以上、俺という“枷”をつけてほしくなかった。
俺は、離婚届に自分の分の記名・押印をして、
逸花の住所へ郵送した。
その日の夕方、薬局の閉店時間ぎりぎりに扉が開いた。
薄汚れたコートを羽織った老婆が、入口に立っていた。
老婆は体調が優れないのか、肘をさするなど落ち着かない様子をみせていた。
片付けの手を止め、俺は老婆を診察台の椅子へ案内した。
温かいお茶を差し出し、「自覚症状があれば教えてください」と伝えて老婆の言葉を待つ。
老婆はお茶をひと口啜り、しばらく黙っていたが、やがて、ぽつりぽつりと自分の症状について話し始めた。
下半身のむくみ。関節の痛み。
全身に広がる熱感、夜も眠れないほどの疼痛――
以前は病院に通っていたが、症状は改善せず、
次第に足が遠のいたという。
老婆に体温計を渡し、体温を計測してもらう。
体温は36.8℃。
人によっては“微熱”とも言えない数値だったが――
俺は、老婆の許しを得て、脈に指を添えた。
“脈診”をとり、五臓六腑の状態と、
そのバランスの乱れからくる“病根”を探る――
すると、“腎”と“肝”の機能低下から生じる“熱”が、身体の奥で燻っていた。
この状態なら、ほてりも疼痛も相当辛いはずだ。
年齢を重ねれば、体力も免疫も落ち、
規則正しい生活や食事が大切だと分かっていても、
思うように身体がついてこないこともある。
「“腎”と“肝”の衰えからくる熱症が、身体のあちこちに出ています。熱を取りつつ、腎の働きを支える必要があります。健康保険は使えないので自費になりますが……お薬をお出ししてもよろしいですか?」
俺は脈診から診断した症状を伝え、症状を緩和する薬剤を買うお金があるかを暗に訊いてみた。
病院の処方箋で出される健康保険適用の薬とは違い、漢方薬局で提案する漢方薬は全額自己負担となり高額になりがちだからだ。
俺の言葉に老婆は俯き、しばらく黙っていた。
老婆の服装や表情から、漢方薬を買うだけのお金の余裕はなさそうだと感じつつ、診察台の背後の壁一面に陳列した生薬棚のなかから、俺はいくつかの生薬原料を取り出した。
細断された素材を製剤機にかけると、
粉砕された薬が一つの薬包に収まった。
老婆の前に戻り、薬包とコップの水を差し出す。
「お代はいただきません。一包飲んでみてください。私の見立てが正しければ、少しは楽になるはずです」
老婆は怪訝そうに眉を寄せたが、
やがて差し出された薬を服用した。
しばらくすると、老婆の表情がふっと緩んだ。
薬が効いてきたみたいだ。
脈診をもう一度とり、変化を確かめると、脈の重さがわずかに軽くなり、熱のこもり方が先ほどよりも和らいでいる。
「どうですか、痛みは」
老婆は驚いたように目を見開き、
「ずいぶん楽になりました」と小さく呟いた。
その言葉に俺は少しホッとしつつ、
この改善は一時的なものであり、体質を整えるためには、継続して薬を飲む必要があることを告げた。
だが、老婆は丁重に礼を言いつつ、薬の処方を断った。
「本当はもう先が長くないのはわかっているんです。でも親身になって相談に乗ってくださったり、好意で出してくださったお薬であれだけ苦しかった症状が楽になって……。私は本当に満足したんです。これでもう思い残すことはない、安心して託すことができる、と」
だが、俺はその言葉を聞いて逆に不安になった。
……それ、まさか死亡フラグじゃないですよね?
自分の処方した薬がきっかけで死ぬなんて、
自分の心情として今度こそ冤罪では済まされない。
たとえそれが薬の効果に満足し、思い残すことがなくなった結果だとしても、だ。
医療事故の冤罪によるPTSDにより、内心で頭を抱えている俺とは対照的に、老婆は何か吹っ切れた表情になっていた。
「お金の持ち合わせはあまりないのですが、……代わりにこれを受け取ってもらえませんか?」
そう言って老婆はペンダントを取り出し、
診察台で俺の方に差し出した。
だいぶ古びているものの、中央のペンダントトップには小粒の宝石が模様のように散りばめられており、かなり価値がある年代物のように見える。
こんな価値がありそうなものは受け取れない、と俺は固辞したが、老婆の頑なな態度に押し切られ、結局、俺はペンダントを受け取ってしまった。
このままではなんとなく寝覚めが悪くなりそうな気がした俺は、老婆の体調を考慮して、三日分の薬剤を手渡した。
薬代の代わりとしてペンダントを“質”に取ったという形にしておけば、無償で処方したことにはならないし、体調の良くなった老婆がペンダントを取り戻したいと翻意した場合は、代わりに薬代を払ってもらえばよい。
そう思って、俺は受け取ったペンダントを診察台の脇の引き出しにしまっておいた。
その夜、風呂から上がって寝室に入った俺は、老婆からもらったペンダントがベッドサイドにあるのを見て訝しげな目を向けた。
薬局から持って帰ってきた覚えがなかったからだ。
だが、そのペンダントが内側から微かな光を放っているように見えて、異常な状況よりもペンダントに対する好奇心が勝ってしまい、俺はほんの試しのつもりでペンダントを首からかけた。
その瞬間、ペンダントから眩いばかりの光が溢れ、俺の世界は光に包まれた。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
続きが気になる!ココが面白い!と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価やコメント等をいただけると、今後の執筆の励みになります<(_ _)>!




