第39話 改名
一つ鐘が鳴ってから程なくして、俺たちの住居に荷物を抱えた者が現れた。
「おはようございます、イアーモさん! 先日発注された分の部材をお持ちしました!」
「はい、ご苦労さま」
朝一番に現れたバッカスの元気の良い声にモアイが応える。
「いえ、他に何かご入り用の物があれば、お命じ下さいっ!!」
バッカスの声は朝っぱらからという点では、少々元気が良すぎる。
その立ち姿はさらに異様だった。
直立不動、腕は背後に組み、つま先まで神経を行き届かせ、1ミリの隙もない立ち振る舞い。
だがそれでも顔は緊張に強ばっている。
その表情は、「何か不備な態度があれば入魂をもってお示し下さい!」と言わんばかりの態度。
かつて鉄火場一派の首領として君臨し、迷惑行為を命じることを厭わず、捨てられ村の住民をゴミムシのように見下していた男にはとても見えない。
モアイはそんなバッカスの全身を睨めるように見下ろし、微細レベルで不備な態度がないかをチェックしている。
まるで新兵をゴミムシのように扱う鬼軍曹が、新兵訓練で見せるような眼光の鋭さだ。
そんなモアイの視線がふと緩む。
バッカスは及第点が得られたと捉え、少し肩の力を抜いた。
モアイの掌が飛んだ。
バッカスの頬を起点として、身体全体が強制的に横っ飛ぶ。
2メートルほど吹っ飛ばされた上で、派手に地面に身体を打ち付ける。
だが、1秒も経たずにバッカスの身体はそのまま起き上がり、また直立不動の体勢に戻る。
このような光景が毎朝、一つ鐘が鳴るたびに、俺たちの住居の前で繰り広げられていた。
このようにして、セティアの誘拐事件以降、鉄火場一派は二度とあのような事件を起こさないようにモアイにより徹底的に矯正され、精神的改善を図るべく調教されたのだ。
しかし、矯正が少々やりすぎたのか、調教の方向がちょっとズレたのか、鉄火場一派の者たちは人格まで以前と変わってしまった者たちが多い。
それは、モアイに対してだけではなく──
「おはようございます! アタリさん、セティアさん、ゲンさん! 何かお望みがあれば、何なりとお申し付け下さい!!」
「「「…………」」」
あまりの変わりように俺たちは微妙な顔をしてモアイを見る。
「ちょっとやりすぎじゃない?」
「モアイ、いえ、イアーモさんの方針は否定しませんけど……」
「なんか逆に怖えよ」
俺たちは張り飛ばされてなお直立不動で誇らしそうな笑顔のバッカスを見やる。
「……善処するわ」
モアイは少々気まずそうに苦笑いを浮かべた。
ところで、モアイは、『イアーモ』という公名に改名したのだ。
ある日、モアイは「アタシは生まれ変わるの!」と宣言した。
これまでは隠してはいなかったものの、表向きは普通の男として振舞ってきた。
よほどの私的な付き合いにならないと、漢乙女の本性を出してこなかったのだ。
これまでの傭兵の任務を考えると、漢乙女の個性を出してその場の空気を乱すより、個性を出さずにいる方が合理的だったからだ。
しかし傭兵からは足を洗い、モアイは自分の人生を生きると決めて捨てられ村に来た。
そして、鉄火場一派の件で漢乙女としての本性をアタリたちにさらけ出すことになった以上、もはやモアイを縛るものは何もなくなった。
心機一転して人生をやり直すためにもはや今までの名前に固執する必要などない。
だからこその改名だ。
「そんなに簡単に改名ってできるの?」
俺はセティアに訊ねる。
「私もあまり公名を変更するというのは、聞いたことがないのですが、確かに本人がやりたいと言えば出来ちゃいますね。公名は自分しか縛りませんから」
……出来ちゃうらしい。
モアイによると、魔力を行使するときには、自分自身の公名を介して発動するため、これまで自らの存在を認識してきた公名を変更すると、力を発動できなくなるなどのリスクがあるらしく、普通はそんなことはしないという。
公名変更すれば今までの力を失うかもしれないことは、モアイなら十分承知の上だろう。
だが、モアイはもはや傭兵ではなく、もう戦う意味はない。
これからは自分の生きたいように生きていくと決意し、本来の自分を取り戻すために今までの名を捨てるということだろう。
「でも一つだけ、セティアちゃんとアタリちゃんに話しておきたいことがあるの」
人を食った表情でいることが多いモアイが、このときばかりは真剣な表情になった。
「アタシはセティアちゃんとアタリちゃんに酷いことをしてしまった。セティアちゃんたちは許してくれたけど、アタシ自身が自分の罪を許すことができない。だけど、この罪を背負いながら生きていく覚悟はできてる。あなたたちには、いずれ必ず何かの形で報いるつもりよ」
自分の名を捨てても、自分の犯してしまった罪は消さない。
その言葉に、終始笑顔で居ても決して見失わないモアイの覚悟を感じた。
その覚悟はともかく、俺には気のなることがあった。
『イアーモ』と改名してからの方が、『モアイ』の頃と比べて魔力というか全体的な存在感が明らかに増しているような。
少なくとも自分の存在に馴染んだ名を捨てることで受けるはずの弱体化はまるで感じられない。
ひょっとしたら、モアイは改名することで内面から溢れ出てくる感情に蓋をする必要がなくなり、真の存在に覚醒してしまったのかもしれない。
バッカスが俺たちの家に資材を持って入ってくると、食卓で朝食を食べているチハに気が付き、意外そうな表情を見せる。
昨夜、食卓で眠ってしまったチハは、今朝セティアによって身体を綺麗に洗ってもらったのだ。
この世界では、濡れたタオルで身体を拭くか、たらいに水かお湯を入れて身体を洗うのが一般的だが、チハの身体があまりに汚れていたので、セティアはたらいにお湯を入れてチハを綺麗に洗ってあげた。
そして服を洗濯して乾かしている間、セティアの吐出した簡易的な寝間着を着させて朝食をとらせているのだ。
単色でワンピースのような感じなので、パジャマというよりは、ネグリジェのような雰囲気だ。
やはりチハは、汚れを落とすとそれだけで見違えるほどの輝くような美少女になった。
ただ、表情が乏しく、愛想はない。
今も黙々(はむはむ)とパンや野菜などを食べている。
「あのお嬢ちゃん、どこかで見たことがあるような……」
「チハ!」
バッカスがチハの姿を見て記憶を探っていると、バッカスの後方から大きな声がした。
バッカスが後ろを振り向くと、10歳くらいの少年が仁王立ちしていた。
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