第37話 燭蝋売りの少女
その幼い少女はかなり粗末な身なりをしていた。
おそらくしばらく洗濯していないであろう服。
傷みの酷いサンダル。
ぼさぼさの赤い髪に埃っぽい顔。
身だしなみ以前の姿に少女の生活状況が芳しくないことが見てとれた。
しかし、容姿だけでみると、美少女といえそうな端正な顔立ちだ。
無表情のなかに誇りと尊厳を内包し、芯のある翡翠の瞳に聡明さを湛えている。
笑顔でいたら、大人であっても思わず目を奪われてしまいそうだ。
年ごろは7、8歳くらいであろうか。
あと10年もしたら、絶世の美少女になりそうな器量だ。
扉を叩いたのは、物乞いのためではないだろう。
なぜなら、彼女の両手には商品と思われる虫が入った木箱が抱えられているのだから。
「燭蝋は要りませんか?」
少女は繰り返して言った。
その様子にセティアは息を飲んだ。
捨てられ村で生産される物は、弁務官事務所が納税品として物価と数量を評定する。
それを商品問屋が計量し、商品としての仕上げを行って小売人に卸売りし、商品交換所にて小売人が売りさばく。
小売人が商品を売りさばくことができるのは、1週間のうち恵みの日である【月】と【火】と【金】の日だけで、訪問販売等の直接販売は認められていない。
つまり、この子は違法な『密売人』ということだ。
密売人は危険物や禁制品を売りさばく可能性がある者として、弁務官事務所に処罰されることもある。
市場関係者も、密売は卑しい商売としてみなしており、密売人に対して蔑んだ物を見るような視線を送る者も多い。
しかし、この少女は卑しさなどみじんも感じさせない澄んだ瞳をしていた。
セティアは少女の持っている木箱を見た。
木箱の中には、燭蝋がうにょうにょと蠢いていた。
燭蝋は灯かりを取るための生活必需品で、やり方さえ学べば誰にでも育てることが可能な魔虫。
単価も10ルクスと安価であり、誰にでも買うことが可能な商品。
そんなものを売って歩いている理由とは――
「……値段はいくらですか?」
「20ルクスです」
少女は媚びを全く感じさせない口調で言った。
生産物の単価は弁務官事務所でしか評定できない。
つまり、この子の商品は弁務官事務所の評定を通していない違法商品。
それでもなお、少女が密売しなければならない理由は、評定外の商品、それも商品交換所より高い価格設定で売り歩かなければならないほど、生活に困窮しているということ。
密売品が売買された場合、あくまで販売した方に罰則が適用され、購入者は罰を受けない。
そのため、セティアはこの少女から密売品を購入したとしても罰せられることはない。
ところで、こうした密売行為は違法ながらも実際は広く行われている。
理由としては、農作物などの生産物は物価を統制する関係で生産量と評定数量が必ずしも一致しない。
特に大量に生産される葉物野菜は弁務官事務所で全量評定されることはないので、どうしても生産者は余剰在庫を抱えてしまうのだ。
自家消費で賄いきれればよいのだが、それができない場合、小作人としてはせっかく作り上げた作物を無駄にしてしまうことになる。
そこで、通常価格が10ルクスの葉物野菜を8ルクスで訪問販売するということがあるのだ。
つまり、大っぴらには行われないものの、事実上の販売方法としての『密売』は、この集落内に浸透しているのだ。
さらに評定外の商品は、商品交換所であってもおまけとして買い物客に渡したり、役人である司書にさえ、賄賂として渡されていることもある。
だからセティアも、訪問販売で購入してきたものはこれまでもあった。
だが、このとき燭蝋は十分な備蓄があり、評定価格より高い商品を購入する必要がなかった。
そのため、セティアは端的に少女に答えた。
「……今は足りていますので、結構です」
みすぼらしい恰好をした少女に対する同情心はなかったといえば嘘になる。
自分自身もつい先日までは同じような境遇に身を置いていたのだ。
生活水準が向上したとしても、幼い少女が生活に困窮しているのは心が痛む。
だが、不必要な商品まで買い取らなければならないほど、この少女との関わりがあるわけではない。
この捨てられ村には、自分やこの少女のような境遇の者は珍しくはないのだ。
自分が生活困窮者の面倒をみてあげられるわけではない。
価格が高く、備蓄のある商品は断られることも多いだろう。
実際に訪問販売は断られることも多い。
だから、断られればすぐに退くと思っていたセティアだったが、この少女はそうではなかった。
「あたしの育てた子たちは、物持ちが良いんです。少しでもいいので、試してもらえませんか?」
セティアは少女の様子に内心で驚いていた。
無表情なのとは裏腹に、けっこう押しの強い売り掛けをしてくる。
みすぼらしい恰好で同情を引こうという雰囲気ではなく、むしろ商魂たくましく、自分の商品の宣伝をしてきた。
「大切に育てたので、色艶が良いでしょう? なかなかここまでの艶感は出せません。あたしの育てた中でもおススメの子たちです」
「ふつうの発光虫であれば1週間から1週間半ですが、あたしの子たちは2週間から3週間はちゃんと光量を保ちます」
「今なら2匹で40ルクスのところを30ルクスでいいですよ」
無表情で矢継ぎ早に販売攻勢を仕掛けてくる様子に、若干タジタジのセティア。
ここまで言うのであれば少し試しに買ってもいいのではないかという気持ちと、備蓄の燭蝋が無駄になってしまわないかという気持ちで心が揺れている。
「少し買ってもいいんじゃないの?」
セティアの後ろに立っていた俺は言う。
いつの間にか後ろに立っていた俺に、セティアが少し驚いた様子で振り向いた。
「今までは1階と2階に燭蝋を置いていたけど、ゲンが3階も徐々に手を入れ始めてきたから、燭蝋を補充してもいいんじゃないかな?」
モアイも世帯に加入し、居住空間の充実を優先させるべきだと主張したゲンは、外構工事を一時中断して、1階を共用スペース、2階をそれぞれの個室に整備し始め、3階は多目的スペースに改装しようとしていた。
これまでは必要最低限の場所に光源を置いていたのだが、個室整備を進めるに伴って燭台を増やしているので、燭蝋の備蓄は増やしても問題なさそうだ。
「そういうことなら、さらに勉強させていただきます。8匹で160ルクスのところを120ルクス、10匹なら200ルクスのところを大サービス150ルクスでいかがでしょう?」
「え? ええーと、じゃあ10匹……でお願いします」
「ありがとうございます」
セティアは無表情でガシガシ攻勢をかけてくる少女の言いなりになって購入を決めた。
単価で考えたら、2匹で30ルクスと10匹で150ルクスではまったく勉強していないのではないか、と俺は思ってしまったが、これも商談をまとめる話術だろう。
計算ができないのではなく、うまくセティアを話術で丸め込んだのは、セティアが購入を決めた後、少女の口元がわずかに上がったことで伺い知ることができた。
少なくとも粗悪品を高く売りつけようとは感じ取れなかった。
少女の言うように物持ちの良い燭蝋であれば割安な買い物ではないだろうか。
セティアは銅貨150枚を少女に支払った。
セティアから受け取った金を手にして去っていく少女を俺は見送った。
幼い少女の困窮する姿は見ていて辛いものがある。
願わくばこの燭蝋売りの少女に幸多い未来があれば良い、と心の中で祈った。
その晩、再び扉をノックする音が聞こえた。
1階にいた俺とゲンとモアイは、何事かと身構えた。
「……一応、敵意や殺気のようなものは感じられないわね」
モアイがそう言って慎重に扉を開けた。
「あら、アナタ……」
モアイが少し驚いたような声を出した。
俺もモアイの後に続いて扉の前に行くと、訪問者の姿に驚いた。
昼間に来ていた燭蝋売りの少女が立っていた。
就寝時間を知らせる七つ鐘はとっくに鳴っている。
幼い少女が出歩いてよい時間ではない。
少女は無表情のまま俺たちを見上げた。
俺はその様子に少し警戒した。
「何しに来たんだい? 燭蝋はもう買っただろ? こんな時間に出歩くのはよくないよ?」
「今度は燭蝋を売りに来たわけじゃないです」
そう言うと、少女は虚空に影のような靄を出してその中に手を突っ込んだ。
中から出したのは、等身大の人だった。
人の死体!? と思われるような異様な光景に俺たちはギョっとしてしまう。
それは、よく見ると、等身大の女性の裸体人形だった。
長い髪、美形の面立ち、ふくよかな胸、触り心地の良さそうな質感の肌に俺は嫌な予感を覚えた。
「これは独身男性の夜伽のお供に最適な、『女型愛玩人―』――」
「こらぁぁぁあああああああああーーーー!!」
最後まで言わさん! とばかりに、俺は少女の言葉を遮るように声を張り上げる。
ゲンもモアイも盛大に引き攣った表情をしていたが、少女は相変わらず無表情だった。
なんということだ……。
俺は頭を抱えつつ、少女を見つめる。
『燭蝋』売りの少女は、『ダッチ』売りの少女でもあったのだ。
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