第34話 漢乙女の加入
「あら、セティアちゃん。どうしたの、青白い顔して?」
帰宅したセティアを気遣うような甲高い声が、巨漢の漢乙女から発せられた。
食料品を買いに行っただけなのに、げっそりとした表情でセティアが帰ってきたからだ。
果物店での噂話だけでなく、買い物で立ち寄る店の先々で、『とある少女の恐怖事案』を聴く羽目になったセティアは、自分がつい無双したこととはいえ、事案として語り継がれる恐怖の象徴のような言われように、心を酷く削られたのだった。
「ちょっと、アタリちゃぁーーん! セティアちゃんの具合がまた悪くなったんじゃないかしら?」
モアイの声に一階の食堂に顔を出した俺は、セティアに「大丈夫?」と声をかけた。
セティアは、少し憔悴した様子を見せながらも、「大丈夫です」と微笑んだ。
また無理をして体調が悪くなってしまってはいけないと、俺はセティアの顔に安心せず、脈診をとった。
「気疲れだね」
【解読発功<五行診療>】でセティアの状態を確認した俺は、セティアに微笑んだ。
[肝]の気が少し弱っているが、緊急に対処が必要なほどではない。
2、3日の間、穏やかに過ごしていれば、回復するだろう。
セティアの健康状態を把握した俺に、モアイも安心した様子だ。
「まったく、妬けちゃう仲だわね。セティアちゃん、大事にしなさいよ。こういう男は何処にでも居るようで、実はなかなかいないんだから」
モアイは微笑ましくも、ちょっと嫉妬したような表情で言った。
モアイの軽口に、セティアはちょっと頬を赤らめつつ、はにかんだ様子を見せた。
「まあでも、もしセティアちゃんのお眼鏡に適わなかったら、アタシがアタリちゃんを貰っちゃおうかしら……?」
「……モアイさん?」
セティアの髪がふぉんっとなり、不穏な気配を漂わせる。
セティアの身体から魔力の粒子が迸り、セティアの髪から透き通るような魔力糸が姿を見せる。
「ちょ、冗談よ! セティアちゃん、本気にならないでっっ!?」
モアイは頬を引き攣らせて慌てて叫ぶ。
どうも最近、セティアの沸点が下がってきている気がする。
ところで、なぜモアイが俺たちの住居にいるかというと、話は鉄火場一派との一件があった直後に遡る。
モアイは鉄火場一派の用心棒ではいられなくなり、身を寄せる世帯もなかったため、いったん俺たちの住居に身を寄せることになったのだ。
毒による身体の機能低下はまだ残っており、安静に身体を休める環境と経過観察が必要だったのもあり、原因者の俺としては、見て見ぬふりは出来ず、セティアの了解を得た上でモアイを連れて帰った。
それに、鉄火場一派の用心棒として俺たちと敵対関係にあったといっても、最後は俺たちの力になろうとしてくれた。
モアイによってへし折られた俺の両腕の怪我についても、モアイは罪滅ぼしと言ってモアイの持っていた唯一の高機能回復薬を俺に譲ってくれたのだ。
その回復薬の効果は素晴らしく、粉砕骨折した腕や肩の骨を瞬時に元に戻す効果があった。
ただ、くっつきたての骨はやはりまだ脆いうえ、俺は劇薬摂取によるステータス値の過剰上昇の反動で全身が筋断裂のような状態になり、満足に動くことができなくなっていた。
ゲンも力を無理に使ったせいか、数日間高熱を発して寝込んでしまっていた。
そうこうしているうちに、用心棒代わりに仮住まいだったモアイを俺たちの世帯に正式に加入するという方向に話は進んでいった。
俺たちとしては、今後も同じような抗争に巻き込まれる可能性があるなら、モアイのような存在がいてくれれば心強い。
「私はモアイさんを歓迎します。ゲンさんのせい──おかげで、住居も三階建てになって、場所としては充分過ぎるほどスペースがありますし」
セティアも鉄火場一派に囚われていた時から、モアイには悪感情は抱いていなかったのだろう。
「おい! 今、俺のせいって言おうとしてなかったか!?」とゲンが文句を言った点は置いておいて。
モアイにしても、セティアや俺のことが気に入ったそうで、俺たちの世帯の用心棒以外にも鉄火場一派の事後処理も含めて荒事の対処を引き受けてくれた。
「鉄火場一派のことは私に任せてちょうだい! しっかり調教……ごほん、矯正して、二度とあんなことを起こさせないようにしてやるわ」
実は、鉄火場一派があの事案以降姿を見せなくなったのは、モアイのこの一言に端を発する。
すなわち、モアイによりバッカスたち鉄火場一派の主だった者たちが改めて折檻され、再教育されたことにより、鉄火場一派は組織として事実上解体されたのだ。
ここまでは、よかった。
誰もここから事態が思わぬ方向に急変するとは思わなかった。
「アタリちゃんの気迫にもアタシやられちゃったわあ。……ねえ、どう?アタリちゃんさえ良ければ、アタシたち、良い関係になれそうな気がするんだけど……?」
ペロリと出した舌に、漢乙女の本性が垣間見えたときに、事案は起こったのだ。
「モアイさん……?」
セティアの髪がふぉんっふぉんっと揺らめいたかと思うと、モアイの腕と首に無数の糸が絡みついていたのだ。
ゲンの顔に恐怖の色が浮かぶ。
──あ……これ事案や、と。
「アタリさんは結婚されているそうです。それに、そういう関係を強要するのはよろしくないことかと」
不穏な気配を立ち昇らせたセティアの据わり切った目が、モアイを正面から据える。
モアイの腕と首に絡みついた糸がギリギリと引き締まり、モアイの顔も盛大に引き攣った。
「お、おい。セティア。ちょっとやりすぎなんじゃ…」
俺も宥めにかかったが、無駄だった。
「約束してください。アタリさんに近づかないと。そうでなければ、あなたのことを受け入れることは出来ません」
セティアから言葉が紡ぎ出されるたびに、モアイを縛る糸が引き絞られていく。
モアイを真っ直ぐに見据えるセティアの瞳には、欠片ほどの迷いもなかった。
「わ、わかったわ! わかったってばぁ!! ちょっぴり冗談で言ってみただけだからぁあああ!!」
糸が切れたあとも、モアイはゼーハーゼーハーしていた。
モアイの表情から、セティアの糸はモアイでさえも容易に引きちぎることが出来なさそうに見えた。
ひょっとしたら、けっこう本気でヤバかったのではないだろうか。
それに、セティアの目も結構、真剣だった。
一瞬、瞳に縦筋の白刃が見えた気がした。
俺が(離婚届を送ってはいるが)結婚しているということは前に話してあるが、その俺に好意を見せた者に対してアソコまで不穏な気配を漂わせるとは。
しかも、モアイは漢乙女だ。
俺はもちろん、男色御法度だ。
関係が成立するはずがないが、それでもセティア的には不純であり、許されざることだったのだ。
以前から感じていたが、セティアはかなり純情というか不誠実なことは許せない性質なのではないだろうか。
いや、それとも巨漢のモアイから無理やり関係を迫られた俺を守ってくれようとした…のか?
いや、それだけにしてはセティアの気配は尋常なものではなかった。
やはり、不誠実さに対して極度に嫌悪感を感じるタイプというのが最もしっくりくる。
仮に俺がセティアと暮らし始めた時に、異世界に美少女という状況に浮かれて変なことをしようとしていたら──
「アタリさん? どうしましたか、顔色が悪いような?」
俺は自分がぶっ壊れ人形のように糸で宙吊りになった変死体を幻視した。
事案だった。
まさしく、猟奇殺人的な事案だった。
俺は清廉潔白な態度を心がけることを誓った。
自分の身の安全のために。
流石に現実では猟奇殺人的なことにはならないだろうが、いずれにしても俺もそういう不誠実さを見せれば、セティアのあの不穏な気配に晒されることだけは容易に想像ができた。
そんなこんなで、セティアの前では言動にはくれぐれも注意せねば、と一同が改めて気を引き締めた世帯内”事案”だった。
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