第33話 噂話
鉄火場一派によるセティアの誘拐事件から1か月が過ぎたある日──
「聴いた? 例の鉄火場一派の事案……」
セティアの耳が、ピクっとなる。
「聴いたわ……あの鉄火場一派が、一夜にして壊滅したんでしょう? やっぱり農奴一派との抗争だったのかしら?」
『商品交換所』、通常『市場』は、そこで働く熟練の女性層、いわゆる奥様方の市井の情報交換の場でもある。
こういうところでの情報のやりとりは瞬く間に広がり、住民たちに必要な情報の共有と危険察知の機会を提供してくれる。
公情報が掲載される愚劣誌とは異なる実態の状況を把握するため、最新情報の交換は仕事以上に大切な時間なのだ。
そのなかでも、未公開かつ未確認情報、いわゆる『噂』については、自分たちにどのような余波があるかが分からない故、特に重要な情報として慎重かつ丁寧に取り扱われる。
そのため、市場で働く女性たちも、噂話を交換する際は、しばし作業の手を止めて没頭してしまうことが多い。
店頭でセティアが生鮮食料を品定めしているときに、店員の奥様方が店の裏側で話し込んでしまうのも、仕方のないことなのだろう。
「――それがどうも違うらしいのよ。事の発端は、鉄火場一派の奴らが一般人の少女を誘拐したことらしいわ」
セティアとしても、買い物を急いでいるわけではない。
商品を選び終わってから店員に声をかければいいし、店員の噂話をあえて気にするほどではない。
だが、今回はつい手に取ったオレンジを片手に聞き耳を立ててしまったのだ。
それは、その噂話に関することが、セティアの身に起きた事案だったが故に。
「まあ、怖い! その子も可哀そうに……いったいどうなったのかしら?」
あれから1カ月が過ぎたとはいえ、まだセティア自身、衝撃的な事件に遭遇した記憶は生々しく残っている。
普段は平静を装っていても、誘拐されたことで受けた心の傷まではそう簡単に癒えるものではなかった。
そして、それが噂話としてどのように伝播されるのか……。
事実とかけ離れた酷い言われようをされると思うと、さらに心を抉られる思いがしてくる。
「それがどうも……相当な乱闘に発展したらしいわよ」
「あの無法者集団の鉄火場一派じゃあねえ……。じゃあ、その子は巻き込まれてしまって、もう……」
「……いえ、乱闘の中心にいたのが、なんとその少女らしいのよ……!」
「あら、まあ! 怖い!!」
ぴくっ
「どうもその少女が一人で鉄火場一派を壊滅させたらしいのよ!」
「まさか、あの凶悪な鉄火場一派を一人で? か弱い女の子が? それこそ誤報じゃないの!?」
「私もそう思ったわよ。でも鉄火場一派だった男が、道端に蹲ってぶつぶつ呟いていたんですって。仕立屋のお内儀さんが口唇解読した結果、そういうことらしいわ!」
「まあ、怖い!!」
ぴきっ
「でも、"伝聞の先読み"の異名を持つ、あの仕立屋のお内儀さんの解読結果ならほぼ間違いないわね。その少女はどんな子なのかしら? あの無頼集団を一人でねじ伏せたのよね? 少女とは名ばかりで、男勝りな体格をしているのではなくって?」
「一部の情報筋によると、女なのは心だけで、身体は巨漢の男らしいわよ?」
「つまり、漢乙女ってこと!? 噂には聞いていたけど、実際に存在していたなんて!!」
……それは別人だ。
まあでも、話題が逸れるのであれば、それでもかまわない。
安堵の吐息が、店先から漏れる。
「でも巨漢の男だったらそもそも『少女誘拐』という噂にはならないわ。それこそ虚報ね!」
「ええ、私もそう思うわ! こんな三流の扇動情報なんて、私たちの情報網では意味を成さない!」
……ちっ
セティアはほんの少し握った跡のついたオレンジをすっと戻し、新たにリンゴを手に取る。
どうやら奥様方の情報網は必要な情報を集約・醸成しつつ、情報の真偽を精査する機能もあるようだ。
なかなかに侮れない。
「じゃあ、いったいどんな子だっていうの?」
「これは私の勘なんだけど……見た目は普通の子なんじゃないかしら? そう、どちらかというと華奢で弱々しい印象の――」
――!?
「……ちょっと待って! 華奢な子が、屈強な男たちに勝てるはずがないじゃない!?」
「いったん誘拐することができたということは、見た目がそこまで強そうに見えなかったということじゃないかしら? つまり、容易に犯行が可能だと思えるような子だったってことよ」
「……そ、そう言われてみれば」
「さらに言えば、少女ということから年齢は13歳から18歳くらいまで。鉄火場一派や農奴一派の勢力に入っていない世帯で、弁務官事務所が動きを見せていないということは、どちらかというと貧困世帯に所属しているような子の可能性が高いわ」
「それだったら、その子の正体はだいぶ絞られてくるんじゃないかしら?」
──!?!
想像以上の犯人像分析能力を駆使する奥様方に、セティアの心の動揺は高まるばかりだ。
すでにどのリンゴが美味しそうかという意識は、どこかに吹き飛んでいってしまっている。
セティアの頬を、一筋の冷たい汗が伝う。
「……ひょっとしたら例の施設が関係してるんじゃないの?」
「例の施設って、あの『孤児院』って言われてる所のこと?」
「そういう子だったら、孤児院の関係者ってこともあり得るんじゃないの? なんたってあそこは引き取り手のない児童の収容施設で、犯罪に巻き込まれる可能性が最も高いとこじゃない」
自分と関係のない話題に切り替わりそうな雰囲気に、セティアの険しくなり始めた表情が少し緩む。
「……いや、それはないわね」
──!?!?
「あの孤児院の児童たちを誘拐しても、鉄火場一派に利益はないわ。農奴一派なら働き手を無理やり補充したりとかも考えられるけど、鉄火場一派はどちらかというと職人集団が基盤になっているでしょう? ……身体目的という可能性は捨てきれないけど、今のあそこの状況だとかえって面倒事を抱える危険の方が大きいと思うわ」
「……もしかして、あの見境無しに刃傷沙汰を起こす狂乱児……いえ通称、“アイツ”の話?」
「そう、孤児院の子に手を出せばアイツが黙っていない。 だから、そもそも少女誘拐ということが起こらないと思うわ」
「……そもそも鉄火場一派が少女を誘拐しようとした目的は何かしら?」
「それは私にもわからないけど、金銭的な目的ではない気がするわ。そうね、たとえばその少女の能力的なものが目当てだった、とか……?」
セティアの目に、探偵に追い詰められた犯人のような“険”が宿る。
自然とセティアの掌にも汗がじっとり。
握りしめたリンゴを凝視しながらも、「これ以上深掘りするな! それ以上言うとこっちも引き返せなくなる」とばかりに聞き耳をギンギンに立てる。
はた目からは悲壮感を漂わせたリンゴの目利きだが、見る人が見ればセティアからは殺意が立ち昇っているかもしれない。
「思うに、少女は特殊な能力の持ち主で、鉄火場一派はその能力が欲しかった。しかし、鉄火場一派は少女の力を見誤った。触れるべきではない禁忌があったのよ。だから鉄火場一派は身をもって思い知ることになった。その少女の――」
「おばちゃぁーーーん!!︎ このリンゴとそっちのオレンジ、あとそっちのブドウ一つずつくださいっ!!」
セティアは、「これ以上は言わせないよ!」とばかりに手を挙げて、手早く品物を注文した。
「……ああ、ごめんなさいね。すっかり話に夢中になってしまって」
店の裏側からパタパタと店頭に駆け寄ってきた店主の奥様。
「──コレとコレと、コレだね。お嬢さん、綺麗な子だね。……最近は物騒になっているから気をつけるんだよ?」
「そうそう、買い物が終わったら寄り道せずに帰るんだよ? できれば、誰かと一緒にいた方がいいよ?」
もう一人の奥様もセティアに向かって気遣うように声をかける。
奥様方は、特殊犯罪捜査を担当する"絶対零度"的な職員の表情から、どこにでもいそうな人の好いおばちゃんの笑顔に戻っていた。
「──はい」
セティアは自分に対して嫌疑を向けられているわけではなく、逆に不穏な状況のなかで心配されていることが分かり、安堵のため息をついた。
しかしながら、セティアの安堵もつかの間、果物を紙包みに入れながらの合間にも特殊犯罪捜査官たちの情報整理は進行する。
「それで、その事案の顛末は結局どうなったんだい?」
「被害者であるはずの少女の正体も、加害者でありながら壊滅状態になった鉄火場一派がその後どうなったのかも定かじゃないのよ。愚劣誌にも続報は載らないし、まさに事実は闇の中ってことね。鉄火場一派だった男たちもこの件については口を閉ざしているらしいわ。だから噂だけが一人歩きしているのよ」
「はい、少し重いから気をつけてね」と人の良さそうな表情で包み紙をセティアに渡しつつ、奥様方の進行は淀みがない。
セティアは、「もう聴きたくない!」とばかりに目を瞑ってその店を後にした。
そのセティアの背中に、無情にも奥様方の追撃が突き刺さる。
「だからどこへいっても、この『とある少女の恐怖事案』の噂は尽きることがないのよ!」
「まあ、なんて怖い!!」
とどめの一撃に貫かれたセティアは、心の中で吐血しつつ、その場に膝から崩れ落ちた。
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