第29話 決着
世界が走馬灯のようにスローモーションで動くなか、ゲンが俺に向かって何かを叫んでいるのが見えた。
テーブルの方で鉄火場一派の男たちが歓声を上げているのが見えた。
セティアが遠くの方で何かを叫びながら泣いているのが見えた。
世界が甘いと考えたことはなかった。
理不尽を受け入れることには慣れていた。
MOBとして高望みをせずに、分別をわきまえて生きる。
それが俺の人生観、処世術だった。
自分が傷つかないためには、人を傷つけない。
人を傷つけないためには、人と争わない。
人との争いの果てには、最悪の結末、いずれかの死が待っているかもしれないから。
自分が生き残るために、人を殺さなくてはいけない事態。
そんな事態が待ち受けているなんてことは想像すらしたくない。
それが運命だというのなら、そんな事態を避けるために全力を尽くすのが自分だと、これまでの自分なら言い切ることができた。
だが――
俺は、【毒物データバンク】のある項目を選択した。
『クサリヘビイチゴ』
細胞破壊(特効)・血毒(特効)・神経麻痺(特効)・痙攣(特効)
神経細胞や血液中の赤血球・白血球、さらには細胞組織のたんぱく質が破壊されることにより、皮下組織の壊死や多臓器不全を引き起こす致死性の猛毒をもつ希少果実だ。
居住地のすぐ近くで自生しているが、小豆ほどの大きさしかない果実はあまりに小さく、食用と誤認して摂取し、その毒に当たった住民はいなかったようで、セティアに訊いても果実の存在を知らなかった。
ちなみに俺はこの実を発見したとき、愛らしい花弁の上にちょこんと乗っかった可愛らしい果実の姿に、「これは地上にひっそりと実を結んだ果実の宝石なのでは?」 という思いになった。
そして、その果実を食べたときに感じた、可憐さを思わせるような淡い甘味と、ほんの少しの個性を主張する程良い酸味。
これは思いもよらぬ宝物を発見した、と思った直後だった。
美しい花には棘があるのと同様に、宝石のような果実は致死性の猛毒を持っていた。
俺の内を喰らいつくすような熱と痛みが全身を襲い、神経が悲鳴を上げ、四肢が痙攣で震えた。
感動しながら俺が美味しそうに果実を食べていると、急に四つん這いに倒れてガクガクプルプルしているのを見て、セティアは「私もひとつ食べてみようかな?」と出しかけていた手を瞬時に引っ込めたらしい。
結局、俺は解毒の間、時間にしてインストルメンタルの『紅』が3回くらいリピートされるまで、ガクガクプルプルを繰り返した。
この毒を摂取してしまったら、死亡する可能性が極めて高い。
俺の場合は自分で解毒スキルがあるので生命の危機を乗り切ることができたが、この毒効果を他人に与えるなんて、人の生命を救うべき漢方医である俺に本来許されることではない。
だが、これまでの自分の価値観を貫けるほどに世界は優しくはなかった。
いま目の前にいる人たちを守るために、誰かを殺さなければならないのだとしたら。
それが避けられない事態なのだとしたら。
俺がそこから背を向けることが許されないことなのだとしたら。
そうであれば、俺のとった行動が後に後悔することだとしても……
───俺は、目の前の人たちを助けたい。
痛みを通り越して両腕の感覚がもはや感じられなくなるなか、最後の力を振り絞って俺は血鞭を発動させる。
もはや強靭な鞭を形成することはできなくなっていた。
俺にできることはモアイの肌を薄皮一枚傷つける事のできる鋭利さと、鞭にこの毒を付与することだけだ。
倒れる刹那、鞭を操作し、モアイの足にほんの小さな切り傷をつけた。
モアイの目もとがわずかに揺れた。
チクッとした痛みを感じたのかもしれない。
モアイにしてみれば、もはや戦闘能力が皆無な相手の最後の蜂の一刺しだろう。
ふと目線を上げると、モアイと目が合った気がした。
モアイと俺の間に一つの思いが共有されているのを感じた。
すでに勝敗は決した、と。
――だが、異変はその直後に起きた。
モアイの巨体が痙攣を起こすと、どしんと音を立てて膝をついた。
咆哮を上げるような叫び声が倉庫内に響く。
やがて床に倒れたモアイは、顔を地面につけながら満身創痍の俺の方を見てニヤリと笑った。
「……やるじゃ、ナイ……」
そう言うと、モアイの巨体が風船がしぼむように元の大きさに戻り、モアイの顔が地面に沈んだ。
その様子を見て、鉄火場一派の方が騒めきだした。
「あの巨人傭兵のモアイがやられたのか……?」
「まさか、そんなことがあるかよ……」
「モアイの方が途中まで圧倒していたんじゃなかったのか!?」
「ヒョロっちいのが最後に何かしたのか?」
「最強の元傭兵を相手にして勝つなんて、俺たち、相手にする奴を間違えたんじゃ……?」
「そんなことより、誰が次にあのヒョロっちい、いやアタリと戦うんだよ!?」
「もう奴も満身創痍だろ?!今なら簡単に殺れるんじゃ……」
「おい、ハリー! お前、奴には借りがあるんだよな? 次はお前、行けよ!」
「え、俺? い、いや。あの…その、俺は前に奴に受けた古傷がまだ痛む……っていうか、なんで俺に振るんだよ! そう言うんならお前が逝ってこい! 俺はもうあの毒を食らうのは嫌なんだ!!」
「あ、こいつ、どさくさ紛れに“逝く”って言いやがった!」
「ハリーがこう言うってことは、やっぱりアタリの毒はやべえんじゃ……」
「だよな。あの巨人モアイが勝ち確定したと思った瞬間に、倒れてあんなに苦しんでるんだぞ!」
「なんだなんだ?! お前ら、奴の毒をそんなに警戒してんのか?! お前らがそんなにビビりだとは知らなかったぞ?!」
「じゃあアニキが行きゃあいいじゃないですか!」
「ア゛ァ?! 俺だってやだよ!! てゆーか、こういうのは若え奴が行くって相場が決まってんだよ! じゃんけんでもして誰か行け!!」
「「「「うーわっ! こすっから!!」」」」
向こうの方で、鉄火場一派の者たちが大声で言いたい放題言っている。
だが俺の方はもはや両腕、両肩の粉砕骨折で身動きが取れない状態だ。
いま大勢で袋叩きに遭ったら為すすべがない。
だが、鉄火場一派は俺の毒のことを相当警戒しているらしい。
頼みにしていた元傭兵のモアイが倒され、誰が次に俺と戦うのか幹部を含めて言い争いを始めた。
特にハリーは絶対に一番に行きたくないのか、本当に古傷が痛むのか、
「でも俺は無理! 本当にMURIなのっ!!」と頭を抱えて嫌々をしている。
本当に痛んでいるのは、心の傷(PTSD)の方なのか。
実際に俺の毒を受けていない人がこれほど怖がっているところをみると、俺の毒攻撃は[耐久力]に対して効果があると思っていたが、本当に効力を及ぼすのは[精神力]なのかもしれない。
「静かにしろいっ!」
そんな混乱状況に、バッカスの怒号が響いた。
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