第16話 裏切り
それから数日経ったある日。
初日以来まったく顔を見せなかった棟梁のハリーが、ふいに姿を現した。
工期はすでに残り数日に迫っているというのに、修繕は依頼の半分も進んでいない。
俺とセティアは、さすがにハリーが作業のテコ入れのために来てくれたのだと思った。
「あの…残りの三人の方は来ないんですか?もうすぐ工期が終わりますよね?まだ半分も終わっていませんが、残りの期間でどれくらい進められるか教えてほしいんですけど」
「ああ? それだったら、工期が過ぎた後に、また弁務官事務所に依頼を出せばいいだろうが」
「あなたがここの作業を取りまとめているんでしょう? 俺たちはすでに費用を払っているんです。期間内にやってもらわなきゃ困ります!」
「うるせえな! そんなこと俺の知ったことか!!」
傲岸不遜な態度で吐き捨てると、ハリーは作業中のゲンの方へ向き直った。
「そんなことより、ゲン!
例の件、わかったか?!」
「…………」
ゲンは一瞬、強く唇を噛みしめたが、
悔しそうな顔で絞り出すように言う。
「……おそらく寝室の木箱のあたりじゃないかと思う」
俺とセティアは意味がわからず、怪訝な顔でゲンを見た。
そんな俺たちを見下ろし、ゲンの代わりにハリーが下卑た笑い声をあげる。
「俺がゲンに言っといたんだよ。『お前らが大金を隠している場所を探っておけ』ってな」
俺たちは驚愕し、ハリーとゲンを交互に見比べた。
ゲンは黙って作業を続けている。
何も聞かず、何も考えないようにしているようだ。
「どういうことだ、ゲン。君は、俺たちを騙していたのか?」
「おいおい、そんな言い方してやるなよ。ゲンはああやって、真面目に修繕作業をしてるじゃねえか」
俺がハリーを睨みつけると、彼はせせら笑いながら言葉を続けた。
「工房に依頼をかけた事務所の書司が言ってたらしい。『今回の修繕費用を一括で払った奴がいる』とな。このご時世にそんな大金持ちがこんな集落にいるなんて、最初は眉唾だと思ったよ。だが、別口から『最近、画期的な軍需物資を作って大儲けした奴がいる』って噂を聞いてな。それでピンと来たんだ。今回の修繕はその金でやることになったんだって」
ハリーは、無言のゲンを横目で見やった。
「お前は俺に逆らえないよなあ? なんたって俺はお前の世帯主だ。お前がこの捨てられ村にやってきたとき、拾ってやったのはこの俺だもんなあ?」
俺たちは、再びゲンを見た。
ゲンは作業の手を止め、血の滲みそうなほど強く拳を握りしめながらハリーを睨んでいる。
「……なんだよ、その目は? お前は俺に恩こそあれ、恨みなんかねえはずだよな? 行き場のないお前を世帯に入れてやり、同じ工房に推薦して働かせてやったんだ。聞いたぜ? なんでお前がこんな吹き溜まりに落ちてきたのかをよ」
「……やめろ」
「お前、以前いた街じゃ、若手の中でも飛び抜けて優秀な大工だったんだってな? だが、才能を妬んだ仲間の反感を買って村八分にされ、無実の罪をでっち上げられて工房から追放され、挙句の果てに街すら追い出されたんだって?」
――無実の罪をでっち上げられて。
その言葉を聞いた瞬間、俺の意識が過去の自分と重なった。
誰にも信じてもらえなかった悲しみ。
理不尽な扱いに対する怒り。
自分の居場所がなくなった絶望感。
容姿も性格もまったく違うゲンに、どこか自分と似たものを感じていた理由がわかった。
俺たちは二人とも、理不尽な悪意によって居場所を奪われた人間だったのだ。
「怖えよなあ? 俺に逆らえば、住居から追い出されるだけじゃ済まねえ。大工工房からも追い出され、お前の居場所はこの世界のどこにもなくなる。もう二度と、あんな惨めな思いはしたくない、そうだよなあ?」
そう脅すハリーの目が、獰猛な肉食獣のような凶暴さを帯びる。
「だったら教えろよ。こいつらのうち、どっちがその軍需物資を作っているのかを。作業している間、こいつらの生活をたっぷり見ることができただろ?」
ゲンが悔しげに自分の足下を睨んでいる。
握りしめられた拳が、小刻みに震えていた。
だが、やがて彼の口からこぼれ落ちたのは、
すべてを諦めたような虚ろな声だった。
「……女の方だ。女が、口から布を吐いて仕上げているのを見た。おそらく、それが噂の軍需物資だ」
セティアの身体が一瞬強張り、信じられないというようにゲンを振り返る。
観察されていたのだ。
彼が真面目に修繕作業をしているすぐ傍らで。
俺たちの無防備な日常を。
ハリーは満足そうに口角を吊り上げた。
「よくやった。もうお前は帰っていいぞ。あとのことは俺の方でやっておく。男の方は始末して、女とこの家を手に入れれば、隠し金はあとでゆっくり探せばいい」
ハリーの捕食者のような視線が、セティアを舐め回す。
「こんな器量良しの上に、金の成る能力を持ってるなんてな。俺にもようやくツキがまわってきたってもんだ」
「ふざけるな! 何を勝手なことばかり言ってるんだ!!」
俺はセティアを庇うように、ハリーの前に立ち塞がった。
「なんだお前、俺とやり合おうってのか? お前のその細腕で何ができるってんだ?」
俺はハリーをじっと見据える。
「おっ、なかなか良い目をするじゃねえか。お前、思ったより見どころがあるな。気に入ったぜ。どうだ、お前さえよかったら俺たち『鉄火場一派』に協力しないか?」
下卑た笑いを浮かべ、ハリーが握手を求めるように右手を差し出してくる。
以前から聞いていた『鉄火場一派』という不穏な響きに、俺の意識が一瞬そちらに傾いた。
「――なんて言うわけねえだろ!!」
頬から鼻あたりに重い衝撃を受けたと感じたときには、俺は身体ごと後ろに吹き飛ばされていた。
ハリーの拳が、俺の顔を打ち抜いたのだ。
殴り飛ばされた俺は、無様に地面を転がった。
「アタリさん!?」
「アタリっ!!」
「が、がはっ……!」
目の前がチカチカと弾け、意識が朦朧とする中、かろうじて身を起こす。
視界の端に、悲鳴を上げるセティアと、苦悶に顔を歪めるゲンの姿が見えた。
「なんで俺がお前みたいなヒョロヒョロの野郎に、一人前の口きかれなきゃならねえんだ? お前ごとき虫ケラ、ひねり潰すのなんか俺一人で十分なんだよ!」
絶対的な暴力。ハリーは見た目通りMOBな俺を見下ろし、自分が強者であることを確信したようだった。
「それに、俺のバックには鉄火場一派が控えてる。俺に手を出すってことは、組織に歯向かうってことだ。お前なんかすぐに消されるんだよ。……どうだ? 大人しく俺に寝返るなら下僕に加えてやってもいいぞ?」
ハリーの嘲笑が耳打ちするが、その言葉はもう頭に入ってこなかった。
口の中を切った血の味がする。殴られた激痛と、理不尽な悪意に対する怒りで視界が揺れる中、俺の脳裏にはゲンのあの言葉が木霊していた。
『――俺はあいつらと違って、一度請け負った仕事はきっちりやらねえと気が済まないタチなんだ。工期までに全部終わるかはわからねえが、俺にできることは責任もってやるぜ!』
あの真っ直ぐな笑顔が、頭から離れない。
もしここで俺がハリーの暴力に屈すれば、ゲンは俺たちから請け負った仕事を投げ出すことになる。
情報を売らされた挙句、職人としての矜恃すらも永遠に失ってしまうのだ。
そしてそれは、二度と取り戻すことができない致命的な傷になる。
誰に理解されなくても、俺にはわかる。
ここで俺が諦めれば、俺やセティアだけじゃない。
ゲンまで不幸にしてしまう……!
その瞬間だった。
俺の口の端や、額の傷から流れ出ていた血が蒸発するように消え、代わりに俺の右手から『厚さ5ミリ以下の極細の赤い紐』のようなものがスルリと垂れ下がる。
俺の脳内へ、新たな固有技能のイメージが流れ込んできた。
――固有技能【解毒発効〈血鞭〉】
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