第14話 弁務官
「住居としての建物の雨漏り対策、床材の補修、柱材の補強と門扉の修繕ね……」
ミジンコは申請書を確認しながら、ところどころで薄ら笑いを浮かべた。
薄ら笑いを浮かべるポイントがあっただろうか。
この世界の常識に疎い俺は、どこがNGポイントかがまだ掴み切れていない。
ダメなところがあれば修繕計画の修正をしなければならないと注意深くミジンコの様子を観察した。
「あの大きな倉庫に君たち2人が住むことになった経緯と、住み続けなければならない必要性を述べたまえ」
俺とセティアは思わず顔を見合わせた。
修繕の申請をすれば、単純に必要費用が計算されて提示されるものだと思っていたからだ。
まさかそんな質問が来るとは思っていなかった。
「――私はこの集落に来たとき、まだ何もできない子どもで着の身着のままの上、肺に病を患っていました。そのため、先住者がいる住居にはことごとく受け入れを拒否されたのです。仕方なく、誰もいない廃屋の倉庫だったあそこに寝床を構えました。――あそこしか住むところがなかったんです」
セティアが当時の辛い記憶を思い出したのか、悲しそうな表情を見せる。
彼女が捨てられ村に来た当初の過酷な事情を知り、俺は胸が痛んだ。
「俺も同じです。俺は病気ではありませんでしたが、他の住人からは入居を断られました。セティアだけが俺を受け入れてくれたんです」
「なるほど。要するに、セティアが君を連れ込んだということか」
ミジンコの意地悪な物言いに、セティアが愕然と目を見開く。
俺は自戒しなければと思いつつも、腹の底から湧き上がる怒りを抑えられなかった。
「なんでそんな言い方をするんですか?」
俺が問いただすと、ミジンコは冷ややかな目をこちらに向けた。
「君たち二人だけの住居を修繕するために、集落の維持に必要な貴重な物資を回していいかを判断するためだ」
広い倉庫を男女二人だけで占有し、快適な空間へと変えようとしている。
そのために限られた物資を手配する価値があるのか、ということらしい。
男女が同じ屋根の下で生活を共にしているという事実が、こういう偏見を生むのだろう。
彼の主張にも一理あるような気がして、俺は押し黙ってしまった。
「私がアタリさんを連れ込んだとして、それが何か問題でもあるのですか?」
セティアが、ミジンコの目を真っ直ぐに見据えて言った。その強い視線に射抜かれ、ミジンコの頬がわずかに紅潮する。
「で、では……君はこの男との、ふしだらな関係を認めるというわけだな?」
「ふしだらな関係、という意味がよくわかりません。私はアタリさんがやってきたとき、重病で明日をも知れない状態でした。アタリさんは見ず知らずの私に薬を処方し、病を治してくださったのです。アタリさんがいなければ、私は今頃死んでいたでしょう。命を救ってくださった恩に報いるため、私はこれからの人生を懸けるつもりです。貴方の言う『ふしだらな関係』がそれを指すのなら、私は否定するつもりはありません」
真っ向からの反論にぐうの音も出ないのか、ミジンコの表情が卑屈に歪んだ。
「で、では! あそこの倉庫に住み続けなければならない理由はなんだ!? 別にあそこじゃなくても住居はあるだろう。適していないなら、別の住居に入居希望を出せばいい!」
「他の住居に入居できる保証でもあるんですか? 先ほども言いましたが、私たちはことごとく断られました。ミジンコさんの方で斡旋してもらえる住居があるんですか?」
「そ、そんなものはない」
すげなく言い捨てるミジンコ。
「要は君たちの努力が足りなかったということじゃないのか? セティアはもう病気は治ったのだろう? 女である君がうまく誘惑すれば、受け入れてくれる住居もあるだろうし、うまくいけば男の方もセットで面倒を見てくれるかもしれないぞ? アタリとか言ったな、お前もセティアのヒモみたいにぶら下がってないで、自分の力で住居を探すべきだとは思わないのか?」
俺はずっと、ミジンコの言葉を黙って聞いてきた。
俺の常識は、この世界では通用しない。
郷に入っては郷に従え、だ。
俺がこの世界の常識に合わせてこれから生きていかなければならない。
多少理不尽に思えることがあっても、甘受しなければならない時がある。
そのことを十分に考慮したうえで、俺は結論を出した。
――この男、ただの下衆だ。
最初から俺たちのことを穿った目でしか見ておらず、なんとかして修繕計画を潰そうとしている。
先ほどからセティアに向ける目つきも、どこかねちっこくて気持ち悪い。
元の世界の大学病院にも、妻に下心丸出しの視線を向ける男が何人もいたのを思い出す。
しかし、セティアに正論で言い負かされてから、彼は明らかに感情的になっている。
こういう輩が意固地になると非常に厄介だ。
修繕の許可どころか、腹いせに現在の住居からの退去を命じられるかもしれない。
そう考えると、途端に気が重くなってきた。
「それで、私たちの住居の修繕計画の許可はしていただけるんですか?」
セティアがさらに迫ると、ミジンコは歪んだ笑みを浮かべた。
「先ほども言ったが、貴重な集落の物資は限られている。君たちだけのために、倉庫の修繕を認めるわけにはいかないと判断される。それどころか、ふしだらな関係のために貴重な倉庫を専有している君たちは大いに問題があると――」
「――何か問題でもあるのかな?」
ふいに、凛とした声が響いた。
いつの間にか、打ち合わせ机の横に一人の男が立っていた。
切れ長の目に冷徹な光を宿した、油断のならない視線が俺たちとミジンコを捉えている。
「ユニセフ弁務官?!」
ミジンコが素っ頓狂な声を上げ、その場で立ち上がった。
国連児童基金みたいな名前の人が現れた。
「弁務官」というからには、書司よりも階級が上なのだろう。ミジンコのあからさまな狼狽ぶりを見るに、直属の上司か、かなり上位の人物に違いない。
「何か言い合っていると思って来てみれば、どうしたんだ、ミジンコ三級書司?」
「あ、いえ、それがですね……」
ユニセフの視線に射抜かれたミジンコが、目に見えて動揺している。
まるで素行不良な社員が上司に見つかってしまったような感じだ。
「私たちの住居は修繕が許可されないのでしょうか?」
セティアが尋ねると、ユニセフはセティアに視線を向けた。
「家屋の一般修繕程度であれば、特に問題はないはずだが。ミジンコ、何か事情があるのか?」
「あ、いえ……! 最近は『鉄火場一派』の抗争も散発的に起こっていますし、もしあそこが修繕されて大人数が収容可能となれば抗争勢力の拠点になる恐れもあると思いまして……」
「607棟倉庫か。あそこは長いこと誰も使っていなかったはずだ。抗争勢力の拠点になったという噂など聞いたことがないが、何か根拠があってのことか?」
「あ、いえ……、私がそう思っただけでして」
「だったら、住居を利用している者の申請を断る理由にはならないのではないか?」
「あ、いえ……私も、まさにそう思っていたところでして」
ミジンコの態度がどんどん卑屈になっていく。
見ているこっちが居たたまれない気持ちになってきた。
「……では、今回の修繕計画の申請はひとまず受理しておく。後日、修繕費用の見積もりを伝えるので、その時にまた出頭するように」
ミジンコは逃げるように話を打ち切ると、そそくさと去っていった。
「……あの、ありがとうございました」
セティアが、背を向けたユニセフに深く頭を下げる。
「別に当たり前のことを言っただけだ。礼を言われる筋合いはない」
ユニセフは振り返り、感情を感じさせない顔でそう言った。
だが、その鋭い目はセティアではなく、俺の方へ向けられていた。
「ミジンコにはああ言ったが、鉄火場一派の抗争が起きているのは事実だ。君たちが住居を修繕するとなれば、連中に『我々には資金がある』と知らせてやるようなものだ。奴らは恐喝や賭博、強盗を常習的に行っている。くれぐれも身辺には気を付けることだな。――弁務官事務所は基本的に、住人同士の争いには干渉しない」
俺の心を探るようにそう言い残し、ユニセフは今度こそ振り返ることなく去っていった。
◇ ◇ ◇
後日、修繕計画の許可と、修繕費用の見積りが提示された。
再び弁務官事務所に呼び出された俺たちは、ミジンコとは別の仏頂面をした書司から一枚の書面を渡された。
そこに記載された家屋の修繕費用総額は、
『40,000ルクス』
「え、こんなに……!?」
セティアが驚きの声を上げた。
「なんだ、文句でもあるのか?」
「あ、いえ……」
明細にはこう書かれていた。
[住居修理費40,000ルクス]
・石材10,000ルクス(200ルクス✕50点)
・板材木10,000ルクス(100ルクス✕100枚)
・金具10,000ルクス(50ルクス✕200点)
・日人工10,000ルクス(100ルクス✕5人✕20日)
明細を見て、俺は、この世界の物価や人件費のことが、なんとなくわかった気がした。
計算上はざっくりしすぎているように見えるが、個々の単価を計算しやすいように画一化していると考えれば納得できる。
金具の種類も書かれていないのに単価が統一されているのは、鍛冶職に一括発注して受注生産させるシステムだからかもしれない。
「ひとつ確認したいんですけど――」
俺は、書司に尋ねた。
「もし一括で払いきれない場合、残金はどうやって支払うんですか?」
「お前たちの配給金に応じた額を、その都度納めてくれればいい」
「え? 毎月決まった額じゃなくて、自由に決めていいんですか?」
「配給金が安定しない月もあるだろう? 物入りな時期もある。我々がいちいち適正な支払額を判断することなど不可能だ。毎月少しでも支払い続けている実績があれば、ある程度はお前たちを信用して任せることになっている」
住人を管理しきれないという裏事情はあるだろうが、意外にも経済事情には配慮してくれるらしい。
「……ちなみにその信用がなくなった場合は?」
「集落からの退去を命じることになる」
――極端っ!!
やっぱりこの世界、いろいろと大雑把すぎる気がする。
「この修繕計画でお願いします」
セティアと俺は、正式に依頼を出した。
今後、弁務官事務所から大工工房へ発注が行われ、職人が派遣されてくるそうだ。
「だが、まず最初に一定額は支払ってもらわなければならない。どの程度払うつもりだ?」
書司が、厳しい目を向けてきた。
「一括でお願いします」
セティアが、クレジットカードで買い物をするようにさらりと言った。
セティアの言葉を聞いた書司が一瞬固まり、まるで恐ろしいものを見るような目で彼女を見た。
「よ、40,000ルクスだぞ? 銀貨40枚を一括で? え、ちょ、マジで?!」
書司が俺の方を見て、信じられないという顔をする。
無理もない。集落の最下層にあるボロ屋に住んでいて、先ほどまで「こんなにかかるのか」と驚いていた少女が、突然大金を一括で払うと言い出したのだ。
彼の常識からすれば、あり得ない状況に違いない。
革袋から銀貨40枚を取り出し淡々と渡すセティアと、呆然とした表情で受けとる書司。
そのシュールな光景に、俺はなんとも言えない気持ちでただ苦笑するしかなかった。
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