第13話 修繕計画
朝、夜明けと共に目覚めの知らせとして鳴らされる一つ鐘の半刻(約1時間)ほど前、夜空が白み始めようかという頃合いに、俺は周囲を伺いながら住居の扉を開ける。
この辺りの道を散策しつつ、新しい生薬素材を探しに行くためだ。
この世界にはまだまだ俺の知らない素材が沢山あるだろうし、これからのことを考えると少しでも生薬素材は確保しておきたい。
だが、ところ構わず草花や木の根を採取して回るのは、この世界の人からすると異質な者に映る可能性がある。
少しでも目立たないようになるべく人目のない時間帯に済ませておきたかった。
今日も新しい素材をそこそこ採取して家路につこうとしていたとき、街角から呻き声が聴こえてきた。
この捨てられ村はやはりスラム街のようなところなのか、行き倒れのような者を見かけることもある。
いちいちそういう人に構っていてはここでやっていくことはできない。
うっかり目が合った時でも見て見ぬ振りをすることもある。
だが、ふいに聴こえたその声は、なぜか俺の心に波紋を落とした。
その声を無視するのは、俺の心に歪みを生じさせるような気がしたのだ。
足を向けると、そこにはボロ布のような服に身を包み、腹を抱えながら倒れている老人の男がいた。
ひと目見て、呻き声は腹痛によるものだと推察された。
表情を伺うと、やはり苦痛に顔を歪ませている。
その傍らには、飲み口が欠けた水瓶と、吐き戻したような形跡があった。
うかつに関われば厄介事に巻き込まれるかもしれないし、今の俺には他人を無償で救う余裕なんてない。
だが、老人の近くに落ちていたパンの欠片に目が行ったとき、なんとなく俺はその老人を放っておくことができない気持ちになってしまった。
そのパンはカビ色に変色していた。
また、老人のすぐ近くに少し深めの水溜まりがあった。
俺は老人がなぜ腹痛を起こしているのかなんとなく理解できてしまった。
恐らく空腹に耐えかねて、カビの生えていると知りながらパンを口にし、腹痛を起こして水溜まりの水を飲んだのだろう。
こんな道端の水溜まりが清浄であるはずがない。
恐らく大腸菌などの人体にとって有害な細菌やウイルスが混入しているかもしれない。
社会的弱者、特に貧困が引き起こした体調不良は、本人の努力では抗うことができない。
医療制度などの社会保障が十分に整備されているとは思えないこの世界では、それは死に直結する。
恐らくこの老人も何らかの医学的対処がされなければこのまま死ぬ可能性が高い。
貧困はどうすることもできない。
だが、俺がこの老人にできることはあるかもしれないと思った。
俺はため息をつき、周囲に誰もいないことを確認しながら、男の横に膝をついた。
「……大丈夫ですか? 少し手首を貸してもらってもいいですか」
俺は男の痩せ細った手首を掴み、脈を測る。
固有技能【解読発功<五行診療>】
俺の目の前に老人の体調を表す真円パラメータが現れ、男の不調が「視覚的な数値」として浮かび上がる。
その結果、やはり体調不良の原因は不衛生な飲食物の摂取による腸管粘膜の炎症、脱水症状であった。
このまま放っておけば死につながる恐れが高い。
つかの間、逡巡したが、俺は掌に魔力を凝縮させ、特定の成分を術式に組み込んだ。
やがて掌に一粒の赤白二色カプセルが生成される。
「これを飲んでください。解毒と鎮静作用があります」
老人は怪訝な表情ながらも震える手でカプセルを受け取り、飲み込む。
数分もしないうちに、老人の顔から苦痛の色が抜けていく。引きつっていた全身の筋肉も緩んでいった。
「……痛みが取れた。あんた、もしかして……医司様なのか……?」
「……ただの通りすがりの者です。次は変色したパンを食べてはダメですよ。あと水溜まりの水も飲まないようにしてくださいね」
「あ、ああ。そうだな。あまりに腹が減ってしまって……」
「ごめんなさい。それじゃ俺はこれで……」
「あ、ちょっとアンタ、待って……」
この老人を、俺は本当の意味で救うことはできない。
目の前にいた助けられる患者を見捨てるのが、俺は耐えられなかった。俺は俺でなくなるのが怖かっただけなのだ。
自分のした偽善的な行為から逃げるように、俺は足早に自分の住居へと戻った。
配給金が入ったことで、俺とセティアの食生活は劇的な改善を遂げた。
まず、これまで一日二食あるいは一食だったのが、一日三食となった。
そして、これまではわずかな穀物と作り置きの豆のスープだけの食事だったのが、パン・野菜・スープの三点セットに大幅ランクアップした。
「包帯だけであれば、1カ月に今の3倍は作れます。これからは満足に食事を取れないということはありません」と、セティアは嬉しそうに言った。
これまで苦労が絶えなかったのだろう。これからは良い暮らしをしてもらいたいと俺は思った。
そしてまとまった金が手に入ったことで、セティアからひとつの提案があった。
「住居の修繕をしましょう」
俺たちの家屋はもともと倉庫だった廃屋で、あまりのボロさに誰も住み着かなかったところをセティアが住み始めたのだが、雨漏りはするわ、柱はギシギシ言うわ、床は抜けるわで、本当に酷い状態らしい。
これからも俺とここで住み続けるのであれば、きちんと修繕しなければならないと思ったという。
普通にそう聞くと、俺とセティアが結婚して新しい生活をスタートするような感じに受け取ってしまう。
セティアのような絶世の美少女にそう言ってもらえるのは悪い気はしないが、残念ながら俺はまだ正式に妻と離婚しているわけではないし、セティアも俺と結婚したいと思ってそう言っているわけではないことはわかっている。
こういう小さなやりとりで、変に勘違いしないことが大事だ。
セティアとの距離感を間違えて彼女の逆鱗に触れてしまったら、この何もわからない世界で突然放り出されてしまうかもしれないのだ。
そうなれば、間違いなく俺に待っている運命は“野垂れ死に”だろう。
こんなわけのわからない状況で野垂れ死にするのは、いくらMOBの俺でも勘弁してほしい。
「どうやって家屋の修繕の依頼を出すの?」
「弁務官事務所に修繕計画の申請を出します」
この『捨てられ村』、正式名称は『避難集落』といい、もともと戦災難民の一時収容施設として建設されたそうで、ここにある施設はすべて公的施設であり、購入や所有は認められていない。
よって、この集落の施設のうち、使用者などが気づいて修繕の必要があると判断したものについては、弁務官事務所に修繕計画を申請すれば修繕される―――
「――と、いうのが建前です」
実際は、働き口にあぶれた者や街を追われた犯罪者の流入が相次ぎ、一時収容施設であるはずの住居に住み着いてしまったため、次第に治安の悪いスラム街のような場所となってしまった。
しかし、どこの世界もそうであるように、役所が一度作ったシステムはそう簡単にやめることはできない。
難民となってしまった人々が一定数いることは間違いないのだが、一方で、施設を維持していくためには金が必要だ。
住民が定住してしまった以上、いつまでもお客様気分でいてもらっては困るという役所側の判断なのだろう。
本来、納税義務を免除された住人にも避難集落を維持するために納税義務を課し、施設のインフラを無償で利用できることと引き換えに、施設の修繕費用に関しては利用者から費用を徴収することにしたのだ。
「つまり、施設の修繕計画を申請したうえで、弁務官事務所の許可が下りれば、弁務官事務所の提示した修繕費用を負担しなければならないのです」
「修繕費用が負担しきれなかったときは?」
「毎月の配給金からその分が引かれます。それでも払いきれなかったときは集落からの退去命令が出されます」
支払能力がない場合は、要注意人物指定にされてしまうほどの重い罪なのだという。
「まあ支払能力がない場合は、修繕計画の申請を取り下げたり却下されたりするので、よほどのことがない限りはそういう事態にはならないと思いますが」
そこらへんは弁務官事務所で修繕計画の担当編集……ではなく、担当書司と相談して決めることらしい。
いささか窓口の女性の高圧的な態度が気になったが、基本的に住民のために機能しようとする役所のようだ。
後日、俺たちは家屋の修繕計画の概要を用意して弁務官事務所を訪れた。
家屋の修繕計画の申請で来たことを窓口の女性に伝えると、「担当官が来るまで、そこの机でしばらく待っていなさい」というお告げを再び受けた。
打ち合わせ机の前に立って待っていると、ユンフラークとは違う人が来た。
俺たちのことを高圧的な視線で一瞥すると、フンと一息吐いて俺たちの前にさっさと座った。
こっちは立って待っていたのだから、「どうぞ」、のひと言くらいあってもいいんじゃないか、と俺は思ったが、ここは異世界。
まずはこの世界の常識にならった方が良いだろう。
「施設の修繕計画の申請・許可を担当する書司のミジンコだ」
ユンフラークとは違い、高圧的な態度と名前のギャップに一瞬、吹きそうになった。
――慌てるな。
目の前の担当官が名乗った『ミジンコ』は公名であって、親からつけられた名前ではない。
親からつけられた名前だと本人の意向も尊重してあげて、と言いたくなるが、あくまで自分が公称としてつけたものだから、何にも問題はない。
この世界のことに徐々に慣れつつも、こういう名前の違和感は、思わぬ笑い(ツボ)にはまる恐れがある。
よくよく気を付けなければならない、と自戒する。
施設の修繕計画の申請・許可については、セティアの世帯管理を担当するユンフラークではなく、ミジンコが担当するらしい。
「607棟――あの廃倉庫に2人で住み着いたというわけだ」
ミジンコは俺たちを見た。
なんだか嫌な目つきだ、と俺は思った。
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