第8話 ネットのさざ波
『【E〜D級】最近ダンジョンの様子、変じゃね?【探索者総合】』
その夜。とある探索者向けのネット掲示板に、一本のスレッドが立った。
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1:名無しの探索者
なあ、最近E級の『ゴブリンの洞穴』、やたら空いてないか。昨日潜ったら魔物が一体もいなかったんだが
5:名無しの探索者
>>1
それ俺も思った。D級の『彷徨いの森』も奥のほうまでスカスカ。魔素濃度もはっきり下がってる
8:名無しの探索者
どうせどっかのクランが根こそぎ狩り尽くしたんだろ。レベル上げか素材稼ぎってやつ
14:名無しの探索者
いや、それが妙なんだよ。ギルドの記録を見ても、ここ数日あの森に入った登録パーティは一組もない
17:名無しの探索者
は? じゃあ誰が狩ったんだ
20:名無しの探索者
そういや昨日、森の入口で見たわ。パーカー着たひょろい兄ちゃんが、一人でふらっと入ってったの。すぐ死ぬと思って見送ったけど
23:名無しの探索者
>>17
ソロの探索者がいるって噂はある。でもソロでD級を丸ごと枯らすとか、S級ランカーでも無理だろ
26:名無しの探索者
>>20
そいつ生きて出てきたのか?
28:名無しの探索者
>>26
それが、夕方に普通に出てきた。手ぶらで、鼻歌歌いながら
29:名無しの探索者
鼻歌ワロタ 完全に散歩帰りのそれ
31:名無しの探索者
こわ。魔物を一夜で全滅させる何かがいるってことか。それもう探索者じゃなくて災害では?
33:ベテラン探索者
冗談抜きで、ちょっと不気味だぞこれ。E級の坑道も枯れてるって報告が上がってる。同一犯なら、正体不明のソロが二つのダンジョンを空にしてる計算だ
34:名無しの探索者
>>33
あんたみたいなベテランがそこまで言うの珍しいな。そんなにヤバい話なのか
35:名無しの探索者
でたw 災害認定はさすがに草
どうせ盛ってるだけだって。明日にはまた普通に魔物わいてるよ
36:ベテラン探索者
>>34
ヤバいっつうより不自然なんだよ。魔物は討伐されても数日でまた湧き戻る。なのにあの二つは狩られたきり沈黙したまんまだ。まるで生態系ごと格上の何かに塗り替えられちまったみたいにな
37:名無しの探索者
こえーよ。深夜に一人で読む掲示板じゃねえわこれ
38:名無しの探索者
>>35
それが、わかないんだよなあ……
41:名無しの探索者
正体不明の最強ソロ探索者とか、ちょっと厨二心くすぐられるわ。ロマンあるな
43:名無しの探索者
どうせ来週には忘れてる話題
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まだ、その書き込みを本気にする者は誰もいなかった。よくある与太話。深夜の掲示板の、他愛のないさざ波だ。
だがこのさざ波は、遠からず世界を揺るがす大波へと育っていく。彼らの言う"正体不明の何か"は、確かに実在したのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同じ頃。当の"何か"はといえば。
安宿のベッドに寝転がって、片手にスマホ、もう片手にポテチという実にだらけた格好で格闘ゲームに興じていた。
狭い四畳半に軋むベッド。窓の外にはネオンの残りかすみたいな街明かりがぼんやりにじんでいる。追放されて転がり込んだ安宿だが不満はない。誰の顔色も窺わず好きな時間に寝て好きなだけだらけていられる。それだけで今の俺には十分すぎる贅沢だった。
画面の中では、俺の操るキャラが相手を華麗なコンボで沈めていく。避けて、殴って、また避けて。指先だけで最適な行動を寸分の狂いもなく叩き出していく。
……そういえば、ダンジョンでの俺の戦い方も、これによく似ている。AGIとSTRを一瞬で切り替えるあの感覚は、まさにこの画面の中の駆け引きと同じ気持ちよさだ。案外、俺のスキルは格ゲー向きの性分なのかもしれない。
思えばほんの数日前まで俺は"最弱の欠陥品"として学園を追い出された身だ。婚約者には鼻で嗤われ、恩師気取りの教師にはゴミでも見る目で切り捨てられた。それが今やソロでダンジョンを枯らして鼻歌まじりに帰ってくる始末である。人生ってのはわからないものだと我ながら思う。
もっとも、その"わからなさ"を誰より理解していないのは、たぶん俺自身なのだろうが。
「よし、ここでキャンセルから――」
ボタンを連打し、最後のコンボを決める。「勝利」の二文字が画面に軽やかに躍った。
なかなか悪くない一日だ。森を半日ほど散歩して、そこそこ稼いで、飯を食って、あとはこうしてだらける。追放された最弱の落ちこぼれにしては、上出来な暮らしぶりじゃないか。
誰にも縛られない。誰にも媚びない。あの窮屈な学園にいた頃より、今のほうがよほど息がしやすかった。
もっとも――俺の"散歩"のせいで、どこかの掲示板が小さくざわついていることなど、この時の俺は知る由もない。
スマホをベッドに放り、大きく伸びをする。
さて。明日はいよいよ、あの森の奥に待つ"お楽しみ"だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日。俺はまっすぐ、あの黒い霧の淀みへと向かった。
昨日よりも気配が濃い。まるで俺が来るのを待ち構えていたかのようだ。
淀んだ魔素をかき分け、木々の途切れたその奥へと足を踏み入れる。踏み込むほどに空気が重くなり、肌がぴりぴりと痺れた。まともな探索者ならこの圧だけで回れ右をするだろう。
やがてぽっかりと開けた空間に出た。ぬかるんだ地面。倒れ伏した古木。むせ返るような湿った獣の匂い。
そして、その中央。
――ずしり、と。
地の底から響くような、獣の唸り声がした。
空気がびりびりと震える。木々の葉が一斉にざわめいた。暗がりの奥で、爛々と光る一対の眼が、ゆっくりとこちらを向く。その背後には、いくつもの小さな光。取り巻きの気配が、ずらりと並んでいた。
黒い霧がゆっくりと晴れていく。
その奥から姿を現したのは、見上げるほどの巨躯だった。馬をひと回り凌ぐ体高。銀灰色の剛毛は針のように逆立っている。裂けた口の端からは湯気じみた荒い吐息が漏れていた。太い前肢の一振りで古木さえへし折りそうな威容。古傷で片目の潰れた隻眼が、値踏みするようにこちらを捉えている。
フォレストウルフ――それも並の個体じゃない。数多の眷属を従え、この森の頂点に君臨する一体の"主"だ。
群れを従える、圧倒的な"格上"の存在感。これまでの雑魚とはまるで格が違う。
「……お前が、この森の主か」
俺は思わず口の端を吊り上げた。
ようやく、少しは骨のありそうな奴のお出ましだ。
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