第6話 彷徨いの森は散歩コ-ス
一歩、森の中へ踏み込んだ瞬間に空気が変わった。
むっと湿った青臭い緑の匂い。頭上を覆う枝葉が日の光を遮り、昼だというのに森の奥は薄暗い。地面は苔と落ち葉で柔らかく沈む。踏むたびにくぐもった音が返った。どこかで名も知らぬ鳥がけたたましく鳴いて、すぐに静まる。
彷徨いの森。その名の通り一度迷い込めば方向感覚を狂わされ、二度と出られなくなる――そんな噂の絶えないダンジョンだ。目印になる特徴のない木々がどこまでも続く。少し歩いただけで、自分がどこから来たのかさえ怪しくなってくる。ソロ探索が固く禁じられているのは魔物の強さだけが理由ではないらしい。
そして何より、肌にまとわりつく魔素の濃さがまるで違う。
E級の坑道が薄めた出汁だとすれば、ここは煮詰めた原液だ。ぴりぴりと剥き出しの神経を撫でるような密度。なるほどFランクがソロで来れば死ぬというのも大げさではないらしい。
もっとも俺には関係のない話だ。方角なんぞ狂ったらまた適当に歩けばいい。
俺は腰の安物のアイアンソ-ドを軽く抜いて肩に担いだ。切れ味も反りも大したことはないが、無いよりはマシだ。剣を提げていたほうがいかにも探索者らしくて都合もいい。
「さて。何が出るかな」
呟いた次の瞬間だった。
ずしん、と重い足音。前方の木立を丸太のような腕がかき分ける。
現れたのは身の丈二メ-トルを超える巨漢――オ-クだった。豚のような鼻面に飛び出した牙。緑がかった醜い肌の下で、瘤のような筋肉が波打っている。手には太い丸太を削り出したような棍棒。E級のゴブリンとは比べ物にならない質量だ。
「ブモォォッ!」
オ-クが咆哮を上げ、棍棒を振りかぶって突進してきた。地を蹴るたびに太い脚が土を抉る。まともな探索者ならパ-ティを組み、盾役が受けて後衛が魔法で削る。そうやって慎重に対処すべき相手だ。
だが。
「悪いな。俺、パ-ティ組む趣味なくてさ」
脳内の画面に指を走らせ、振れるポイントのすべてをSTRへ注ぎ込む。
『STR:全振り』
振り下ろされる棍棒。その一撃を俺は避けもしない。ただ担いだアイアンソ-ドを無造作に横へ薙いだだけだ。
ズパンッ、と。
驚くほどあっけない手応えだった。安物の刃がオ-クの分厚い胴をバタ-のように通り抜けていく。二メ-トルの巨体が上下真っ二つに分かれてどうと地に倒れた。断ち割られた断面から白い湯気が立ちのぼる。
「……お、こりゃまずいな」
思わず手の中の剣に目をやった。刃はぼろぼろに欠け、刀身も心なしか歪んでいる。オ-クが硬かったわけじゃない。俺の極振りしたSTRに、安物の鉄のほうが悲鳴を上げたのだ。
「これじゃ長くは持たないか。……なるほど、あのスチ-ルセイバ-が欲しくなるわけだ」
苦笑いしながら剣を握り直した。まあいい。斬れなくなったらその時は拳で片付ければいい話だ。
脳内では控えめなレベルアップの音が鳴っている。オ-ク一体でE級のゴブリン数十体ぶんか。格上ほど実入りがいい。悪くない狩り場だ。
だが、感慨に浸る間もなかった。
今度は地を揺らす無数の足音が四方から一斉に近づいてくる。
茂みを割って飛び出してきたのは、猪型の魔物――ワイルドボアの群れだった。一頭一頭が軽自動車ほどもある巨体。剥き出しの牙と血走った小さな目。地響きを立てて、俺を押し潰さんと囲みながら駆けてくる。その数、ざっと十頭以上。
「お、今度は数で来るのか」
これはこれで面白い。
俺は指を滑らせ、今度は全ポイントをAGIへ振り切った。
『AGI:全振り』
瞬間、世界の速度ががくんと落ちた。
突進してくるワイルドボアの群れが、まるで止まった写真のようにゆっくり見える。俺は最小限の足運びで、その巨体と巨体の隙間をするりと縫っていく。風を切る音さえ間延びして聞こえた。
一頭とすれ違いざま、AGIからSTRへ瞬時に切り替えて欠けた刃を首筋へ滑らせる。二頭目はAGIのまま身を沈めて牙をかわし、逆の手の甲で顎を撥ね上げた。三頭目は跳躍してその分厚い背を蹴り抜く。
避ける。斬る。またすぐ避ける。
群れの真ん中を舞うように駆け抜けながら、俺はコンマ数秒の間にAGIとSTRを何度も往復させた。まるで複雑なコンボを一つも落とさず繋いでいくみたいに。指がひとりでに最適な配分を弾き出していく。この感覚がたまらなく心地いい。
そして俺が群れの反対側へ抜けきったとき。
背後で十頭を超えるワイルドボアが示し合わせたように一斉に倒れ伏した。
残ったのは、俺の薄い残像だけ。
「ふう。まあ、準備運動にはちょうどいいか」
息一つ乱れていない。それどころか拍子抜けするくらいだ。
ふと手の中を見れば、アイアンソ-ドはもう刃としての体を成していなかった。ワイルドボアの硬い剛毛がとどめを刺したらしい。
「結局、一日も持たなかったな」
使い物にならなくなった剣を、肩をすくめて鞘に戻す。やっぱり、まともな得物が要る。あの白銀のスチ-ルセイバ-が、いよいよ本気で欲しくなってきた。
その後も、森を進めば魔物は次々と湧いて出た。木の陰から飛びかかる巨大な蜘蛛。頭上の枝から糸を垂らす蛇。だがどれも、AGIとSTRを切り替える俺の前では、悲鳴を上げる間もなく骸に変わっていく。もはや戦闘というより道端の草でも刈っている気分だった。
脳内のレベルは着実に上がり続けている。もっとも表向きのステータスは相変わらず涼しい顔で【オール5】を並べたままだ。どれだけ狩ろうが他人の目には俺は最弱のまま。実に都合がいい。
だが――正直に言えば、だ。
「……D級でこれか。ちょっと物足りないな」
欠伸が出た。
オ-クもワイルドボアも、確かにE級よりは骨があった。だがそれだけだ。汗一つかかないうちに終わってしまう。緊張感のかけらもない。これじゃ、せっかくダンジョンまで来た甲斐がない。
思えば、これが最弱と嗤われた男の悩みだというのだから、我ながらおかしな話だ。強すぎて張り合いがない、ときた。ほんの数日前まで、街のチンピラ相手ですら勝てるか怪しかった俺が、だ。人生、どう転ぶかわかったものじゃない。
もっと歯応えのある奴はいないのか。
俺は森のさらに奥――光の届かない深い暗がりのほうへ目を向けた。魔素の濃度は奥へ行くほど明らかに増している。うっすらとだが他の魔物とは毛色の違う剣呑な気配も感じた。あの底のほうになら、何か面白いものが眠っているかもしれない。
「ま、行ってみるか」
役立たずになった剣を担ぎ直し、俺は次の獲物を探して森の深部へと足を進めた。
ご愛読ありがとうございます。
これからも本作品をよろしくお願いします。
また、『ブックマーク』と『いいね』と『レビュー』をよろしくお願いします。
気に入った! もっと読みたい! と思いましたら評価お願いします。
下の ☆☆☆☆☆ ⇒ ★★★★★ で評価できます。最小★1から最大★5です。
『★★★★★』なら執筆のモチベーションが上がります!




