第5話 換金所と五十万のスチ-ルセイバ-
森でも坑道でもない、人の行き交う街の空気は久しぶりに吸うとどこか間延びして感じられた。
ついさっきE級ダンジョンでゴブリンの群れとそのボスを消し飛ばしてきた男が、今は何食わぬ顔で雑踏に紛れている。我ながらなかなか滑稽な絵面だ。
街に戻った俺が真っ先に向かったのは、大通りから一本裏に入った個人経営の小さな換金所だった。
ギルドの正規窓口を使えば素材の取引履歴がしっかり残る。オール5のFランクがE級ボスの魔石なんぞを持ち込んだらいい笑いものだし、下手をすれば盗品と疑われて面倒な聴取を受けかねない。目立たず現金化するならこういう裏通りの店に限る。
薄暗く埃と古い金属の匂いが染みついた店内。カウンタ-の奥で古びた新聞を読んでいた白髪交じりの店主が、俺の置いた深紅の魔石を見て老眼鏡の奥の目をすっと細めた。
「……坊主。これ、どこで拾った」
「拾ったは失礼だな。ちゃんと自分で狩ったんだよ」
店主は鼻で笑いながら魔石を鑑定用の水晶にかざした。その途端、あくび交じりだった顔がみるみる強張っていく。ずり落ちる老眼鏡にも気づかない様子で何度も水晶と魔石を見比べている。
「……おいおい、嘘だろ。この純度、C級……いや、それ以上だぞ。E級ダンジョンでこんな石が出るなんて、四十年この商売をやってて聞いたことがねえ」
その驚きようも無理はない。
思い返せば、あのゴブリン・チャンピオンはE級の枠にはまるで収まらない規格外の個体だった。ゴブリンの群れが何百に一つ生み出すという突然変異の上位種――いわゆる"希少種"ってやつだったんだろう。道理でこんな上物の魔石を落とすわけだ。もっとも、そんな当たりくじも俺の掌底の前では他の雑魚と大差なかったわけだが。
「まあ、色々あってさ」
俺が肩をすくめると、店主はしばらく唸ってから慎重な手つきで電卓を叩いた。
「三十万。文句はねえな。これでも俺の目一杯だ。……坊主、その若さで無茶だけはするなよ」
三十万。実家にも頼れず、これから一人で食っていくと決めた俺からすればまさに大金だ。年寄りの忠告に「善処するよ」と適当に返して二つ返事で頷いた。
厚みのある札束を懐にしまうと、その足で隣の武具屋へ向かう。
まずはまともな装備がいる。素手でも大抵の敵は片付くとはいえ、剣の一本も提げていなければ探索者として不自然だ。無能を装うにも最低限の小道具は必要なのだ。
薄暗い店内には剣や槍や鎧が所狭しと並んでいた。俺が手に取ったのは一番安い棚の隅で埃をかぶっていたアイアンソ-ドと、使い古しのレザ-ア-マ-。しめて五万もしなかった。切れ味も耐久もお世辞にも上等とは言えないが、どうせ俺の手にかかれば安物だろうが業物だろうが結果は変わらない。
ところが店を出ようとして、俺はふと足を止めた。
店の中央。他の商品とは明らかに扱いの違う鍵付きのガラスケ-ス。その中に一振りの剣が恭しく飾られている。
『スチ-ルセイバ-――五十万』
磨き抜かれた白銀の刀身が店の薄明かりを受けて涼しげに光っていた。装飾は最小限。それでいて素人目にも周りの安物とは格が違うとわかる、文句なしの業物だった。
「……いいな、あれ」
思わず口に出していた。
別に、俺の戦い方なら剣の性能なんて大した意味はない。極振りしたステータスの前では名剣も鈍らも大差ないのだから。それでも――なんというか、目標があるのは悪くなかった。
次はあれを買えるくらい稼ごう。そう決めるとなんだかやる気が湧いてくる。追放された落ちこぼれの、ささやかで子供っぽい夢だ。
「あんちゃん、それは無理すんな。Fランクが五十万貯める頃には白髪の爺さんになってるぜ」
カウンタ-の店主がからかうように笑った。俺は「違いない」と肩をすくめて店を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
安物の剣を腰に提げ、次に向かったのは街の探索者ギルドだ。
D級から先はギルドへの登録と簡単な講習の受講が義務づけられている。E級までは誰でも潜れるが、そこから上は死人が増えるからだ。とはいえ俺にとっては形だけの手続きにすぎない。
やたらと広く天井の高いエントランス。武装した探索者たちがひっきりなしに行き交い、依頼票の貼られた掲示板の前には人だかりができている。噂話に自慢話、値踏みするような視線。むせ返るような活気と殺気の入り混じった空気だ。
その一角の受付で入場申請の紙を差し出した。
眼鏡の女性職員が俺の探索者証をスキャナ-にかざす。その瞬間、事務的だった表情があからさまに変わった。
『天宮 湊 総合ランク:F(オール5)』
「……あの。お客様、失礼ですがD級ダンジョンへの入場申請でお間違いないですか?」
「ああ。『彷徨いの森』に行きたいんだけど」
職員は困ったような憐れむような、なんとも言えない顔をした。そして周りを気にしてから声を潜める。
「大変失礼ながら……お客様、ステータスがオール5でいらっしゃいますよね? D級はE級とは魔物の強さが桁違いです。パ-ティも組まずにお一人でなんて……本当に命に関わります。死にますよ?」
「へえ、ソロでD級ぅ? しかもオール5だってよ」
横合いから下卑た笑い声が割り込んできた。順番待ちをしていた如何にもガラの悪い中堅風の探索者たちだ。
「やめとけやめとけ。魔物の餌になりに行くようなもんだぜ、坊主」
どっと笑いが起きる。まったくどこへ行ってもこれだ。
――だが俺はむしろ笑いそうになるのを堪えた。
完璧だ。この反応こそ、俺が求めていたものだった。オール5の落ちこぼれが身の程知らずにもD級へ挑もうとしている。誰もがそう思い、誰もが俺を侮り、そして油断する。この「哀れな最弱」という評価こそが、俺にとっては何よりの隠れ蓑になるのだ。侮られれば侮られるほど、後で全部ひっくり返したときの落差が笑えるほど大きくなる。
「心配してくれてありがとな。でも大丈夫。散歩みたいなもんだからさ」
職員が絶句した顔のまま、それでも職務として申請を通してくれる。俺は笑い声を背にひらひらと手を振ってギルドを出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後の日差しの中、街外れの森へと続く道を軽い足取りで歩く。
しばらく行くと、鬱蒼と生い茂る木々の入口が見えてきた。D級ダンジョン『彷徨いの森』。E級の坑道とは漂ってくる魔素の濃さがまるで違う。なるほど、あの受付が青ざめるわけだ。
――だが、それがいい。格上の獲物ほど経験値も実入りも美味い。あのスチ-ルセイバ-だってこうしてこつこつ稼げば、そう遠くない話だろう。
オール5の"最弱"が、今日も誰にも気づかれないままこっそり格上を狩りに行く。我ながら悪くない趣味だ。
俺は軽く肩を回して森の暗がりへ足を踏み入れた。
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