第4話 最弱のフリという最強の生き方
洞穴を出ると、昼下がりの陽の光が眩しかった。
入口の岩に腰かけていた慎司が俺の姿を認めるなり勢いよく立ち上がる。よほど気を揉んでいたのだろう。顔は幽霊でも見たみたいに真っ青で、握りしめた拳が小さく震えていた。
「湊……! お前、無事なのか!? 中でずっと物音がして、俺もう何度飛び込もうとしたか――」
「言ったろ。散歩だって」
俺が肩をすくめてみせると、慎司は呆けたように口を開けたまましばらく固まった。
「散歩って……傷ひとつないじゃないか。オール5のFランクがE級をソロで、しかも無傷でなんてありえない。ありえないだろそんなの」
まあ普通はそう思うよな。世間の常識ってやつはそう簡単に曲がらない。俺は懐からさっき拾った深紅の魔石を取り出してぽんと放って見せた。
「ほら。ボスのドロップだ。これ換金すりゃ当分は遊んで暮らせる」
「ボス……って。お前まさか、チャンピオンを……?」
慎司の声がみっともなく裏返る。信じたくない。だが目の前で光る魔石が、それが紛れもない本物だと訴えてくる。その二つの間で律儀な親友の頭はショ-トしかけているらしい。
その顔を見ていたらほんの少しだけ意地悪をしたくなった。
「そんな顔すんなって。こんなの簡単だぜ」
俺は足元に転がっていた人の胴ほどもある岩にそっと手のひらを添えた。
掌底。ただとんと押しただけ。
次の瞬間、その岩がぱあんと乾いた音を立てて、まるで砂の城みたいに脆く砕け散った。破片がさらさらと地面にこぼれ落ちる。
「――――」
慎司が声にならない声を漏らして、その場にぺたりと尻もちをついた。目をこぼれ落ちそうなほど見開いている。
「い、今の……岩が……素手で……?」
口だけが意味をなさない言葉をぱくぱくと繰り返している。無理もない。人の胴ほどもある岩が、手のひらでそっと押されただけで砂に変わったんだ。常識で測れるものじゃない。
――そこまで見て、俺はようやく我に返った。
……あ。やべ。やりすぎた。
調子に乗って見せびらかしたのは失敗だったかもしれない。もし今のがこいつ以外の誰かの目に触れて、「オール5のはずの落ちこぼれが実は化け物だった」なんて噂が回ったら――間違いなくろくなことにならない。
あの蛇喰あたりは目の色を変えて俺を利用しようと擦り寄ってくるだろう。ギルドは強引に囲い込もうとするだろうし、下手をすれば実験動物みたいな扱いすら受けかねない。せっかくあの窮屈な檻から解放されたばかりなのに、それじゃ本末転倒もいいところだ。
力を持つ者は、必ず力を持つ者同士の面倒事に巻き込まれる。派閥、しがらみ、腹の探り合い。あの学園で嫌というほど見せられてきた光景だ。誰かに祭り上げられ、誰かに疎まれ、誰かに利用される。――冗談じゃない。俺はただ、気ままにダンジョンへ潜って、好きなだけ強くなっていければそれでいい。
自由気ままに好きなだけ強くなる。俺が欲しいのはただそれだけだ。
だったら答えは簡単だ。隠せばいい。
俺は脳内の画面を呼び出した。Lv25で膨れ上がった総ポイントがずらりと並んでいる。だが、こいつを各項目に振り分けさえしなければ。配分せず全部を"裏"に伏せたままにしておけば、どうなる。
測定器や鑑定スキルが読み取れるのは実際に有効化された数字だけだ。裏に隠したポイントは誰にも見えない。つまり俺のステータスは、いくらレベルが上がろうと他人の目にはいつまでも【オール5】のまま。どんな高性能なスキャナ-を向けられようが、俺は"史上最弱の欠陥品"を演じきれる。
そして戦うときだけ、ほんの一瞬こっそり極振りすればいい。倒し終えたらまた何食わぬ顔でオール5に戻す。
試しに膨れ上がったポイントを裏に伏せたまま、表向きの数字を確かめてみた。脳内の画面は涼しい顔で『STR:5/VIT:5/AGI:5/INT:5/DEX:5』と並べたままだ。さっきチャンピオンを消し飛ばした化け物と同じ人間だとは、これを見た誰も思うまい。うん、完璧だ。
普段は無能。いざとなれば規格外。我ながら悪くない仮面だ。
それに――と、口の端が緩む。この仮面には、もう一つ愉快な使い道がある。俺を嗤って追い出したあの連中が、いつか正体も知らぬまま、俺という存在に怯える日が来るかもしれない。その時まで、せいぜい"最弱"を演じ切ってやろう。落差が大きければ大きいほど、逆転の瞬間はきっと痛快になる。
「……なあ慎司」
「な、なんだ……」
「今のは全部見なかったことにしてくれ。俺はこれからもただのオール5の落ちこぼれ。それでいいんだ」
「見なかったって……そんな力があるのになんで隠すんだよ! あいつらを、麗奈たちを堂々と見返してやればいいじゃないか!」
律儀な親友は、自分のことみたいに本気で悔しがってくれている。まったくいい奴だ。でも。
「見返すのは今すぐじゃなくていい」
俺は笑った。あいつらが俺を最弱だと信じ込んで見下して、いい気になっているまさにその裏側で。俺はこっそり誰も届かない高みまで登ってやる。そうして逃げ場も言い訳もなくなった頃に――全部まとめて一気にひっくり返してやるのだ。
その時の連中の顔を想像したら思わず口元が緩んだ。すぐに叩き潰すより、そっちのほうがずっと面白いに決まってる。
「まあ見てろって。そのうち最高の"ざまぁ"ってやつを見せてやるからさ」
慎司はしばらく黙り込んでいたが、やがて大きく息を吐いた。
「……わかった。俺は何も見てないし、何も聞いてない」
そう言って少し悔しそうに、それでもきっぱりと続ける。
「けどな。一人で抱え込むなよ。困ったら絶対に俺を頼れ。いいな」
まったくこいつは。俺はつい噴き出してしまった。持つべきものはこういう馬鹿正直な親友だ。
それでも慎司の目の奥には、拭いきれない何かがずっとちらついていた。
あんな出鱈目な力を見せられて。それでいて、こいつが俺をスキャンすればきっとオール5としか出ない。目の前の現実と頭の中の常識とが真正面からぶつかり合って――こいつの脳みそは当分すっきりしそうにない。
「……いや。あの動き、まさかな。……気のせいだよな。うん」
自分に言い聞かせるようにぶつぶつ呟く慎司を、俺は苦笑して置いていく。悪いな慎司。お前にはそのうちちゃんと話すからさ。
街へ続く道を一人歩き出す。西日が長い影を落として、砂利がじゃりじゃりと鳴った。
まずはこの魔石を金に換えて、まともな装備を揃える。それから次の狩り場だ。E級じゃもう物足りない。D級あたりがちょうどいい肩慣らしになるだろう。
最弱の欠陥品、天宮湊。追放された落ちこぼれで、誰からも期待されない負け組。――大いに結構。その安っぽい仮面の下で、俺の"無双"は今、誰にも気づかれないまま静かに始まったばかりだった。
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