第2話 最弱スキルの正体と極振りスイッチ
あの日、講堂で見つけた奇妙な「+」と「-」のマーク。
あれから何度、頭の中のステータス画面を睨んでも答えは同じだった。
『配分可能ポイント:0』
押しても引いても数字は微動だにしない。動かせるポイントがそもそもないのだ。だが――このマークが存在する以上、意味がないはずがない。ポイントさえ増えれば、俺はこの数字を好きにいじられる。そういうことだと直感が言っていた。
ポイントを増やす方法。心当たりは一つしかない。
レベルを上げることだ。
幸い、除籍された俺には他にやることもない。実家を頼る気はさらさらないし、これからは自分一人の力で食っていくしかない。手っ取り早く稼げて、ついでにレベルとやらも上げられる場所。この国じゃたった一つしかない。
ダンジョンだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「湊、本気なのか!? いくらE級でもソロなんて無茶にも程が――」
街外れのE級ダンジョン『ゴブリンの洞穴』。その薄暗い入口の前で、追いかけてきた慎司が肩で息をしながら俺を引き止めた。
「心配すんな。ちょっとした散歩だよ、散歩」
「散歩!? お前、ステータスはオール5なんだろ!? そんなんでダンジョンなんか入ったら本当に死ぬぞ!」
「まあ、見てなって」
俺は片手をひらひら振って洞穴の暗がりへ足を踏み入れた。背後で慎司の「絶対無茶すんなよ!」という切実な声が反響する。
……とはいえ、だ。
偉そうに啖呵を切ってはみたが、正直、今の俺は正真正銘のオール5。慎司の言うとおり、街のチンピラ相手ですら怪しいくらいのただの最弱だ。
まあそれでも試してみなけりゃ始まらない。
湿った土の匂い。奥からぺたりぺたりと湿った足音が近づいてくる。
「ギ、ギッ」
醜い緑色の小鬼――ゴブリンが一体、錆びついた短剣を構えて暗がりから現れた。E級ダンジョンの最下級の雑魚。……のはずなのに、オール5の生身で対峙すると、その錆びた刃がやけに鋭く見えた。
「ギギャッ!」
ゴブリンが甲高い叫びを上げて短剣を突き出してくる。
――速い。
思わず無様に尻もちをつきながら後ろへ倒れ込んだ。空を切った刃が鼻先をかすめる。心臓がみっともなく跳ねた。なるほど、これが最弱の視界か。冗談じゃない。
だが、無我夢中で地面に転がった俺の手が、たまたま拳大の石を掴んでいた。
ゴブリンがとどめとばかりに覆いかぶさってくる。その醜い顔面めがけて、俺は半ば悲鳴を上げながら握った石を力任せに叩き付けた。
ゴッ、と鈍い音。
運が良かったとしか言いようがない。石の角がちょうどゴブリンのこめかみにまともに入ったのだ。小鬼は白目を剥いて、そのまま俺の上にどさりと崩れ落ちた。
「……勝ったのか?」
荒い息のまま、俺は死んだゴブリンを押しのけて立ち上がった。全身汗だくで膝がガクガクと震えていた。E級の雑魚一体に危うく殺されかけた。我ながら情けない話だ。
――と、その時だった。
『レベルアップ』
『レベルアップ』
『レベルアップ』
『レベルアップ』
脳内で軽快な電子音のような響きが四つ立て続けに鳴り渡った。
「……は?」
『天宮 湊 Lv.5』
ゴブリンたった一体で、いきなりLv5。ありえない。普通、E級の雑魚一体の経験値なんて雀の涙ほどのはずだ。
だが――その理由は、すぐに思い当たった。
今の俺のステータスは正真正銘のオール5。世界のシステムから見れば、文句なしの最弱だ。だとすればそのシステムは、俺に"必要な経験値"を最弱にふさわしい最低ランクのまま見積もっているんじゃないか。
最弱用のちっぽけな器。そこへ魔物一体ぶんの経験値がまるごと注ぎ込まれれば、器はあっさり溢れ返り、一体倒しただけで四つも跳ね上がる。
なるほど。とんだバグだ。だが俺にとっては、笑いが止まらないほど都合のいいバグでもある。
そして今、そのバグ以上に俺の目を強く引くものがあった。
『配分可能ポイント:60』
――来た。
さっきまで「0」だった数字が、一気に六十まで跳ね上がっている。レベルが上がればポイントが増える。俺の直感は当たっていた。
レベルは1から5へ、四つ上がった。対して手に入った配分ポイントは60。……なるほど。単純に割れば、1レベルにつき15ポイント。項目は五つだから、1項目あたり3ポイントぶんの成長分だ。本来なら各項目へ勝手に振り分けられていくはずのその伸びしろを、俺のスキルはまるごと"未配分のプール"として、俺の手元に残してくれているらしい。
俺ははやる指でSTRの「+」にそっと触れてみた。
『STR:5 → 6 → 7 → ……』
今度は数字が素直に動いた。触れるたびにSTRがぐんぐん伸び、それに合わせて配分可能ポイントがみるみる減っていく。
なるほど、読めてきた。
俺のステータスは、STR・VIT・AGI・INT・DEXそれぞれ下限が5。その下限を割ることはできないが、レベルアップで得た"余り"のポイントを、俺は好きな項目へいくらでも自由に振り分けられるのだ。
あの水晶はきっと、俺が全部を5に均等配分した"今この瞬間の姿"だけを見て、「均等固定の最弱スキル」と勘違いしたんだ。冗談じゃない。固定どころか――こいつはどこにでも好きに振り直せる、規格外の代物だ。
『能力再分配』
脳内の画面の隅に、その正体を示す文字がひっそりと浮かんでいた。
「……はっ。これが史上最弱の欠陥品ねえ」
思わず乾いた笑いがこぼれた。
と――笑っている場合ではなかった。
「ギィッ!」
「ギギッ!」
「ギャギッ!」
洞穴の奥から今度は数を頼りに、ゴブリンの群れがわらわらと押し寄せてくる。五体、いや六体。またたく間に四方を囲まれた。
だが、さっきまでとは状況がまるで違う。
俺は指を滑らせ、手に入れたばかりの六十ポイントをまずは全部AGIへ振り切った。
『AGI:全振り』
その途端、世界の速度ががくんと落ちた。
四方から一斉に振り下ろされる短剣の軌道がはっきりと止まって見える。俺は必要最小限の動きだけでそのすべてをするりとすり抜けた。あとには俺の残像だけがその場にぽつんと置き去りにされる。
そして敵と敵のがら空きになった"間"へ潜り込んだ刹那――今度はSTRへすべてを瞬時にシフト。
『STR:全振り』
振り抜いた拳がゴブリンの一体を軽々と吹き飛ばす。返す手でもう一体。避けるときはAGI、殴るときはSTR。コンマ数秒の間に目まぐるしく手札を切り替えていく。
その感覚はまるで――そう、やり込んだ格ゲーで寸分の隙もなくコンボを繋いでいく、あの瞬間にそっくりだった。
最後の一体を地に沈めたとき、俺は自分でも意外なほどこの状況に夢中になっていた。
「……なんだこれ。めちゃくちゃ楽しいな」
さっきの無様な辛勝がまるで嘘のようだ。ポイントさえあれば、俺は最弱にも最強にも一瞬で化けられる。
その時だった。
洞穴のさらに奥。ぽっかり口を開けた暗闇の底のほうから、これまでの雑魚どもとはまるで比べ物にならない濃密でねっとりとした魔素がゆっくり漂ってきた。
ずしん。ずしんと洞穴全体を微かに揺らす重たい足音。
どうやらこの気楽な"散歩コース"には――一体、とびきりでかいのがまだ残っているらしい。
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