第14話 スチールセイバーと遠い視線
翌日。俺はまず、いつもの個人経営の換金所に足を運んだ。
薄暗い店内は、金属と埃と、微かな魔素の焦げたような匂いが染みついている。カウンターに、ここしばらくの狩りで溜め込んだ魔石をじゃらりと並べていく。フォレストウルフやオーク、それに森の主から採れた上等な一個。数はそこそこの山になった。
店主の親父が片眼鏡越しにそれを検分するなり、露骨に眉を跳ね上げた。主の魔石を指先で摘まみ上げ、灯りに透かして、うなるように喉を鳴らす。
「……おい兄ちゃん。あんたまた、とんでもないもんを持ち込んできたな。この主のやつなんざ、D級で採れる純度じゃねえぞ」
「まあ、たまたま拾ったんだよ。たまたま」
「ふん。詮索はしねえのが俺の流儀だがな」
親父は電卓を弾き、しばし唸って、一枚の伝票を寄越した。
締めてしめて――俺が思っていたよりもずっと大きな数字が並んでいる。桁をもう一度数え直してしまうくらいには。
最弱と嗤われて追放された身が、今や、一度の換金でこれだけの金を手にしている。魔石を懐に忍ばせて森を歩くだけで、金のほうから勝手に転がり込んでくるのだ。世間ではいまだ何者でもない俺が、だ。まったく、おかしなものだと思う。
「毎度あり。……兄ちゃん、あんた見かけによらねえな。せいぜい長生きしろよ」
「ご忠告どうも」
ずしりと重くなった財布を懐にしまい、俺は換金所をあとにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その足で向かったのは、街でいちばん品揃えのいい武具店だった。
扉を押せば、鼻先に油と鉄の匂いが流れてくる。壁一面に並んだ剣、槍、盾。安価な量産品から一点物まで、値段順に整然と陳列されたその奥へ、俺は迷わず歩を進めた。
目当ては、決まっている。
店の奥。上等な得物ばかりを並べたガラスケースの、その中央。
――スチールセイバー。
いつぞや、一文の得にもならないと知りつつ、指をくわえて眺めた憧れの一振りだ。鈍く底光りする鋼の刀身は、あの安物のアイアンソードとは風格からして違った。柄に巻かれた革の締め具合ひとつ取っても、作り手の丁寧さが伝わってくる。
「親父さん。これ、もらうよ」
俺が値札を指させば、店主は「おっ、目が高いね」と相好を崩した。
支払いを済ませ、俺はその剣を鞘ごと受け取る。
ずしり、と手に馴染む重み。柄を握り、少しだけ抜いて刃を検めた。研ぎ澄まされた鋼が店の照明を弾いて、ぎらりと光る。刃筋に沿って走る細かな鍛え目が、水面の波紋みたいに浮かんで見えた。
試しに手首をひねって、軽く宙で振ってみる。ひゅっと小気味よく空気が鳴った。重心も、握りの収まりも申し分ない。普段は掌ひとつで事足りるとはいえ、こういう得物を腰に佩いているだけで、探索者らしい格好はつくものだ。
「……いいな。実にいい」
思わず口元が緩んだ。
思えばこの剣は、正真正銘の最弱から始めて、たった一人でここまで這い上がってきた、ささやかな証のようなものだった。ステータスも金も何もなかった追放初日の俺が、今はこうして憧れの一本を、自分の稼ぎで手にしている。
もっとも――と、俺は苦笑する。
この鋼とて、俺が本気でSTRを振り切れば、遠からず安物と同じ運命を辿るのだろう。柄を握り潰し、刀身を紙細工のようにひしゃげさせて終わりだ。そもそも俺の一撃に最後まで付き合える得物なんて、この世にそうそうありはしない。
それでも構わない。折れるまでは存分に付き合ってもらうとしよう。
俺は真新しい相棒を腰に下げ、機嫌よく店を出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて。装備も懐も、これで申し分ない。
"彷徨いの森"は、もうすっかり狩り尽くしてしまった。あの程度では正直、もう物足りない。ならば次に目指す場所は、とっくに決まっている。
一つ上のランク――C級ダンジョン『蟻王の巣』。
噂によれば、数えきれないほどのソルジャーアントが巣くう、厄介な物量の狩り場らしい。硬い外殻と、統率の取れた集団戦。D級を出たばかりの探索者が挑めば、まず数の暴力に呑まれて命を落とす。
だが今の俺には、むしろ好都合だ。溜まりに溜まった経験値の"ダム"を決壊させるには、格好の獲物がわんさと揃っている。
「群れ、か。……ちょうどいい」
思い返せば、ずいぶん遠くまで来たものだ。ステータス・オール5の欠陥品。婚約破棄に除籍、全校を巻き込んだ失笑。あの日どん底へ叩き落とされた俺が、たった数日でE級からD級までを食い破り、今こうしてC級の門を叩こうとしている。
誰にも知られず、誰にも媚びず。最弱の仮面の裏で、俺は着実に、この階段を駆け上がっていた。
そしてこの階段には、まだてっぺんが見えない。どこまで昇れるのか、自分でも見当がつかない。だが、その底知れなさこそが、今の俺にはたまらなく心地よかった。
俺は胸元のアミュレットと、腰の新しい剣の重みをそれぞれ確かめて、軽い足取りで街の大通りを歩き出した。
次の狩り場へ。まだ見ぬ格上との、次の"遊び"へ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――その背を。
雑踏の遥か向こうから、じっと射抜く一対の視線があった。
人混みに紛れて、ひとりの人物が足を止めている。すらりと伸びた立ち姿。時代がかった和装の上に、無造作に一振りの刀を提げていた。行き交うスーツや作業着の群れの中で、この現代の街並みにはひどく不釣り合いな出で立ちだ。
だというのに、行き交う人々は誰一人、その異質な佇まいに気づいた様子もない。すれ違い、肩を掠め、それでも視線ひとつ向けずに流れていく。まるでその人物だけが、雑踏という風景から切り離されて存在しているかのようだった。
その涼やかな双眸が、遠ざかっていく一人の青年の背だけを、まっすぐに捉えている。
「……妙だな」
誰にともなく、その人物は呟いた。
「あの男。何の変哲もない、ただの雑踏の一部にしか見えぬのに」
剣の道に生きる者だけが持つ、研ぎ澄まされた勘。それが先ほどから、静かに警鐘を鳴らし続けていた。あの飄々とした青年の内側で、底の知れない"何か"がとぐろを巻いている――と。
気配はない。殺気もない。構えの癖ひとつ読み取れない。それでいて、目を離した瞬間に喉を裂かれていても不思議ではない、という奇妙な確信だけがある。
「まるで、凪いだ水面の下に、途方もない深淵が沈んでいるような……」
やがて青年の背は、雑踏に溶けて見えなくなった。
その人物はしばし無言で佇んでいたが。
ふと口元にうっすらと笑みを刻むと、静かに、その後を追うように歩き出す。
"名無しの怪物"の正体へ、初めて肉薄しようとする者が現れたこと。
――当の湊は、むろん知る由もなかった。
(――第1章 完)
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