第15話 レベル100への渇望
俺のレベルは、ここしばらく80から一歩も動いていない。
彷徨いの森を根こそぎ枯らそうが、その先の魔物をどれだけ狩ろうが、数字は80で凍りついたままだ。倒した分の経験値は相変わらず、画面の裏の"ダム"へと静かに流れ込んでいく。
だが最近、そのダムの水位の上がり方が、どうにも鈍い。
理由はわかっている。俺にとってD級はもう、格下になりすぎたのだ。
いくら格下の魔物を潰したところで、入ってくる経験値は雀の涙。首の賢者のアミュレットが五割増しに膨らませてくれたところで、元がしょぼければ大した足しにはならない。あの重たいダムを本気で満たしたいなら、もっと歯応えのある格上を狩るしかない。
それに――正直に言えば、だ。
この80で止まった数字が、俺はどうにも我慢ならない。
強くなること。レベルが上がること。それそのものが、俺には理屈抜きで面白いのだ。数字がひとつ跳ねるたび、体の造りそのものが作り替えられていく、あの感覚。ずっと最弱と侮られてきた反動か、元からそういう性分なのか。とにかく天井にへばりついて足踏みするこの感覚が、むず痒くて仕方がなかった。
もっと上へ。もっと強く。できることなら早く三桁――レベル100の大台に手を掛けたい。それが今の俺の、ささやかで貪欲な目標である。
その渇きを満たせる場所は、一つしかない。
つまり――次の狩り場は、とっくに決まっている。
C級ダンジョン『蟻王の巣』。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街道を、俺は軽い足取りで進んでいく。
腰には先日ようやく手に入れた白銀のスチールセイバー。歩くたびに鞘が腰で小気味よく揺れ、ベルトに規則正しく重みを預けてくる。まだ本気で振ってはいないが、こいつが俺の極振りにどこまで耐えてくれるのか、正直ちょっとした楽しみだった。
まあ、どうせ長くは保たないだろうが。
所詮、俺の一撃に最後まで付き合える得物なんて、この世に存在しない。だが、それでいい。折れるまではせいぜい、良い相棒でいてもらおう。安物のアイアンソードが一日で砕けたあの頃を思えば、こうして憧れの一本を腰に下げているだけでも、上等な出世だ。
首元では、賢者のアミュレットが胸に冷たく馴染んでいる。歩調に合わせて宝玉が鎖骨のあたりをことりと叩く。ただ歩いているだけでは何も起きない。だが一度でも魔物を狩れば、こいつが裏でこっそり経験値を水増ししてくれる。日陰者にしては、実に働き者の相棒だ。
装備も、資金も、レベルも。今の俺には申し分ない。あとはそれをぶつける相手さえいればいい。
しばらく行くと、前方の空気ががらりと変わった。
ぴりつく魔素の密度。D級の森とは比べ物にならない。肌を撫でる風にすら、うっすらと刃物のような鋭さが混じっている。なるほど、これがC級か。
一歩ごとに空気が重く喉へ絡んでくる。並の探索者なら、この魔素の圧だけで足がすくむだろう。実際、街道の脇には引き返す算段でも始めたのか、青い顔で立ち止まっている一団の姿もあった。だが俺にとっては、久方ぶりに感じる心地よい緊張だった。
道の先に、見上げるほどの巨大な岩山がそびえていた。その麓に、ぽっかりと黒い坑道が口を開けている。無数の穴が、まさしく蟻の巣のように岩肌を貫いていた。日の当たらない穴の奥は、覗き込んでも底が見えない。
坑道の奥からは絶えず、カサカサと、無数の脚が擦れ合うような音が漏れ聞こえてくる。ときおり、それに混じって甲殻を打ち合わせるような硬い音が響く。中にいったいどれだけの数が蠢いているのか。想像するだけで背筋がぞくりと粟立った。――嫌悪じゃない。武者震いだ。
C級ダンジョン『蟻王の巣』。
噂によれば、数えきれないほどのソルジャーアントが巣くう、厄介な物量の狩り場だという。一体一体はさほどでもないが、鋼のような外殻と、統率の取れた集団行動が厄介極まりない。D級を出たての探索者が迂闊に踏み込めば、あっという間に数の暴力に呑まれて命を落とす。ソロなど論外――そう言われている。
「……ま、俺には関係ないけどな」
むしろ好都合だ。魔物の数が多いということは、それだけダムを満たす燃料が揃っているということ。溜まりに溜まったあの水を一気に決壊させるには、これ以上ない狩り場じゃないか。
物量で押し潰す、か。だがそれは、まともに一対一で戦う探索者にとっての脅威にすぎない。数がどれだけ群れようが、極振りした一撃の前ではまとめて薙ぎ払われるだけの話だ。むしろ数が多いほうが、一度に稼げてありがたいくらいだった。
思えば、次はどんな強敵がいるだろうと胸を高鳴らせるのは、いつ以来だろうか。最弱の烙印を押されたあの日から、俺の毎日はむしろ驚くほど充実している。誰にも縛られず、誰にも遠慮せず、好きなだけ強くなっていく。これ以上の贅沢があるものか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ゲートに近づくにつれ、あたりには物々しい装備の探索者が増えてきた。
誰もが、森あたりでうろついている連中とは、まるで顔つきが違う。値踏みするような視線。ひりついた殺気。装備の傷み方ひとつ取っても、修羅場をくぐった数が違うとわかる。ここから先は生き死にの世界だと、その面構えが物語っていた。
ゲート脇の掲示板には、C級の討伐依頼がびっしりと貼り出されている。パーティ募集の張り紙。装備商のワゴン。担架に乗せられ、外へ運び出されていく負傷者。呻き声と、それを励ます仲間の怒声。森ののどかな空気とは打って変わって、ここには一攫千金と死のにおいが、濃く入り混じっていた。
そんな中を、くたびれたパーカーのオール5がのんびり歩いていく。当然あちこちから、不審げな目が突き刺さった。「なんだあのひょろいのは」とでも言いたげだ。
いつものことだ。俺は気にも留めず、ゲートのほうへ足を向けた。
――と。
その時ふと、背中にちりっとした違和感が走った。
周りの不躾な視線とは、明らかに毛色が違う。もっと静かで、もっと鋭い。まるで研ぎ澄まされた刃の切っ先を、そっと首筋に添えられているような。
俺は思わず足を止め、後ろを振り返った。
だが、そこにあるのは行き交う探索者の雑踏ばかり。人の流れは何ひとつ乱れておらず、それらしい人影はどこにも見当たらなかった。
「……気のせい、か」
胸の奥に小さな胸騒ぎだけを残して、俺は前へ向き直る。目の前には、蟻王の巣へと続く物々しいゲート。
だが、その小さな引っかかりも、これから始まる"お楽しみ"を前にすれば些細なことだ。今はただ、目の前の狩り場に集中しよう。
その正体不明の視線の主が誰なのか――この時の俺は、まだ知らない。
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