黄昏亭の百人
サービス終了まで 残り25日
黄昏亭に、こんなに人が入っているのを見るのは、五年ぶりだった。
テーブルは全部埋まっていて、壁ぎわにも、階段にも人が立っている。
数えると、四十三人。今夜ログインしている人数の、ほぼ全員だった。
「あー、あー。聞こえるか、後ろ」
ガンテツが、カウンターの上に立った。ドワーフなので、それでやっと全員から顔が見える。
「急に呼び出して悪かったな。今日は、頼みがあって集まってもらった」
酒場がしんとした。
ガンテツは、ゆうべまでに分かったことを、全部話した。
ガロの店のニナが、決まったセリフ以外を話すこと。十年分の客を覚えていること。ゆうべ、チュートリアルのクエストを使って、店の外へ出たこと。
途中で、何人かが笑った。冗談だと思ったのだ。
ミオが、ゆうべ撮った画像を一枚だけ見せた。噴水の底で、濡れずに座りこんで笑っているNPCの画像だ。
笑い声が、止まった。
「それでだ」
ガンテツは、太い指を一本立てた。
「頼みは一つ。このことは、外に言わねえでほしい」
ざわついた。
「運営に見つかったら、不具合として直される。あの子は、いらっしゃいませしか言えなくなる。だから、残り二十五日、ここにいる連中だけの秘密にする」
ガンテツは、カウンターの上から、全員の顔を順番に見た。
「どうだ」
しばらく、だれも口を開かなかった。
最初に手を挙げたのは、窓ぎわの席の、小さな老婆だった。
「わたし、言わないわ」
ハナばあだ。
白髪をきれいに結い上げた、農婦の姿のアバター。中身も七十八歳で、このゲームの最年長と言われている。
「言う相手も、もういないしね」
ハナばあが、からからと笑った。
それで、空気がほどけた。次々に手が挙がった。
「おれも言わない」
「掲示板には書かない」
「つーか、書いたら、おれが一番に通報するわ」
四十三本の手が挙がった。
いや、四十二本だった。
酒場のいちばん奥、柱の陰の席に、一人だけ手を挙げていない人がいた。
灰色のフードをかぶった、細い女のアバター。釣り竿を壁に立てかけている。
港の桟橋で、いつも黙って釣りをしている人だ。名前は確か、シオ。
十年近く見かけるのに、話したことは一度もない。
シオは、だれとも目を合わせずに、ジョッキの水面を見ていた。
反対はしていない。賛成もしていない。ただ、そこにいた。
◇
「じゃあ、現実的な話をします」
眼鏡をかけた、細身の剣士が立ち上がった。
ナギだ。中身は二十六歳のシステムエンジニアで、黄昏亭の技術担当をしている。
「ニナを、サービス終了のあとも残せないか。ゆうべ、ガンテツさんに言われて、ひと晩考えました。結論から言うと――」
ナギは、眼鏡を押し上げた。
「無理です」
酒場が、どよめいた。
「待て待て、もうちょっと言い方あるだろ」
「すみません。順番に言います」
ナギは早口になった。
「ニナは、ぼくらのリンカーの中にいるわけじゃありません。運営のサーバーの中にいるデータです。持ち出すには、会社のサーバーに入る必要があるし、入れたとしても、ゲームのデータは会社の財産なので、勝手に持ち出したら犯罪です。それに、ニナを動かしている仕組み自体が、たぶん社外に出せない技術です。で、三月三十一日の二十四時に、サーバーごと止まります」
「……つまり?」
「つまり、運営が自分から『残します』と言わないかぎり、無理です」
ナギは、そこで少しだけ声を落とした。
「で、運営には、言えないんですよね。言ったら直されるから」
だれも、何も言えなかった。
秘密にすれば、ニナは残り二十五日、話していられる。
でも、秘密にしているかぎり、二十五日のあとはない。
「じゃあ、こうしましょう」
沈黙を破ったのは、ハナばあだった。
「残せるかどうかは、わからないんでしょう。だったら、わかるまで、あの子をひとりにしないことにしましょうよ」
「ひとりに?」
「お店に、だれかが毎日いるようにするの。せっかく話せるようになったのに、だれも来ない夜があったら、かわいそうじゃない」
ハナばあは、皺だらけの手を、テーブルの上で組んだ。
「わたし、昼間なら毎日行けるわよ。年寄りは暇だから」
「おれ、夜勤明けの朝なら」
「平日の夕方、学校終わったら行く」
「土日の昼は任せろ」
その場で、当番表ができた。
ミオが、目の前の画面に表を作っていく。日付が横に並び、時間が縦に並ぶ。朝、昼、夕方、夜、深夜。
空いた欄に、次々と名前が埋まっていった。
「深夜は? 零時から二時」
「それは、いらない」
俺が言うと、ミオが表を見て、眉を寄せた。
「……あ、もう全部埋まってる。マカベって」
「お前は毎日だろ」
ガンテツが、当たり前みたいに言った。
表を見ると、深夜の欄が、三月三十一日まで全部、マカベで埋まっていた。
俺は、自分で書いた覚えがない。
「ガンテツさんが最初に書いといた」
「書いとかなくても、来るだろ」
来る。
十年、来ていた。今さら言われることでもない。
「……おじさん、ちょっと照れてる?」
「照れてない」
「首の後ろ、かいてるよ」
俺は、首から手を離した。
酒場のあちこちで、笑い声が上がった。
◇
会がお開きになる少し前に、ナギがもう一度、手を挙げた。
「あの、最後に一つだけ。残せるかどうかとは別に、気になってることがあって」
「なんだ」
「ニナが急に話せるようになった、理由です」
酒場が、また静かになった。
「サービス終了の一か月前に、何の更新もなく、NPCの動きが変わるのは、おかしいんです。偶然の不具合なら、ほかのNPCにも何か起きてるはず。でも、ガロも、門番のトトも、宿屋のおかみも、いつもどおりです」
「つまり」
「だれかが、ニナにだけ、何かした可能性があります」
だれか。
俺は、なんとなく、酒場の奥を見た。
柱の陰の席は、空になっていた。
壁に立てかけてあった釣り竿も、なくなっていた。
そのとき、酒場にいた全員の目の前に、同時に、半透明の板が浮かんだ。
運営からの、お知らせだった。
【《アストラ・リンク》エリアの段階的な閉鎖について
サービス終了までの期間、サーバーの統合を進めるため、三月十日より、外側のエリアから順に閉鎖いたします。
最初の閉鎖は、三月十日二十四時、「砂の王墓」です。
最終日まで残るエリアは、始まりの町リュネと、星降りの丘のみとなります】
黄昏亭が、しんとした。
だれかが、小さく「王墓、行っとかなきゃ」とつぶやいた。
終わりは、三月三十一日に一度に来るんじゃなかった。
あと四日で、最初の一つが来る。




