見えない壁
サービス終了まで 残り27日
【NPCはパーティーに招待できません】
一つ目は、三秒で終わった。
「だよなあ」
ガンテツが、頭をかいた。
次の夜。ガロの店には、俺とガンテツとミオがいた。
ニナを外へ連れ出す方法を、片っぱしから試してみることにしたのだ。
「じゃあ二つ目。おれが抱えて出る」
「ガンテツさん、それ絵面がやばい」
「ゲームだぞ。いいから見とけ」
ガンテツは、カウンターの外に出てきたニナの前で腰を落とし、両腕を差し出した。
ニナは、ていねいに頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「おう。いくぞ」
ガンテツが、ニナをすくい上げようとした。
腕が、すり抜けた。
勢いあまったドワーフの巨体が、そのまま前につんのめって、棚に頭から突っこんだ。
瓶が三本、床に落ちて割れた。
「……ガンテツさん、棚の薬、三本割れました」
ニナが、床を見下ろして言った。
「弁償は――できないんでしたね」
「すまん……」
ミオが、腹を抱えて笑っていた。
割れた瓶は、五秒で光になって消えて、棚に元どおり並び直した。
この世界では、物は壊れても元に戻る。
戻らないのは、三月三十一日に消えるものだけだ。
◇
三つ目。ミオの転移魔法。
「対象を選んで、リュネの門まで飛ばす。いける気がする」
ミオが杖を振った。
目の前に、半透明の板が浮かんだ。
【対象を選択できません】
「……いける気がしただけだった」
四つ目。俺の大盾の後ろにニナを隠して、扉を抜ける。
盾ごと見えない壁に押し返された。
五つ目。店ごと出る。
ガンテツが「家ごと運ぶクエストが昔あったろ」と言い出したが、だれも思い出せなかった。
「全部だめか」
ガンテツが、床にあぐらをかいた。
ミオが、目の前に配信の画面を開いた。
「ねえ、これ、配信しようよ」
「やめろ」
自分でも驚くくらい、強い声が出た。
ミオが、画面に指をかけたまま止まる。
「……なんで。拡散すれば、助けてくれる人が出てくるかもしれないじゃん。運営だって、無視できなくなるし」
「無視できなくなるから、まずいんだ」
俺は、カウンターの向こうのニナを見た。
「運営から見たら、NPCが決まったセリフ以外をしゃべるのは、不具合だ。広まったら、直される」
「直される?」
「元に戻される。たぶん、修正の更新が一回入って終わりだ」
ミオが、黙った。
ニナが、小さく手を挙げた。
「あの。直される、というのは、元に戻る、ということですか」
「……たぶん、いらっしゃいませしか言えなくなる」
ニナは、しばらく自分の手を見ていた。
「それは、いやです」
はっきりした声だった。
ニナが「いや」と言うのを、初めて聞いた。
ミオは、配信の画面を閉じた。
「わかった。言わない」
「おれもだ。ギルドの連中には話すが、外には出さねえ」
ガンテツが、太い腕を組んだ。
「秘密だな。残った連中だけの」
◇
その夜、運営から返信が来た。
二日前に送った問い合わせへの答えだ。三人で、俺の目の前に浮かんだメールをのぞきこんだ。
【お問い合わせの件は、仕様の範囲内です】
一行だけだった。
「仕様の範囲内」
「範囲、広すぎない?」
ミオが吹き出して、ガンテツもつられて笑った。
ニナだけが、首をかしげていた。
「わたし、仕様の範囲内なんですか」
「らしい」
「よかったです。範囲の外だと、直されるんですよね」
まじめな顔で言うので、三人とも、また笑った。
ひとしきり笑ったあと、ニナが「あ」と言って、カウンターの下にもぐった。
出てきたとき、両腕で分厚い本を抱えていた。
革の表紙が、すり切れて白くなっている。
「帳簿です。お店の」
ニナは、カウンターの上でそれを開いた。
細かい字が、びっしり並んでいた。
日付、名前、品物、数。一行に一つの買い物。
「マカベさんのところは、ここからです」
ニナが、ページを何十枚もまとめてめくった。
十年前の、二月十四日。
マカベ 回復薬(小) 3。
次の行も、マカベ。その次も。ページをめくっても、マカベ。
回復薬(小)、3。回復薬(小)、3。回復薬(小)、3。
「三千百二十日です。全部で九千三百六十九本」
「九千……」
ガンテツが、目をむいた。
「お前、小を九千本も買ってたのか。何に使うんだよ、あんなの」
「使ってない。倉庫に入れてる」
「九千本、倉庫に?」
「倉庫が、ほとんど回復薬(小)でできてる」
「そういえば、マカベさん」
ニナが、帳簿から顔を上げた。
「初めてのお給料の日の上級回復薬、まだ倉庫ですか」
俺は、メニューから倉庫を開いた。
十年分の持ち物が、ずらりと並んでいる。
回復薬(小)が、何ページも続く。使わなくなった剣。ゼロと取った記念の盾。イベントでもらった帽子。どこで拾ったかも覚えていない石。
一つずつに、そのときの夜がくっついていた。
この剣は、ボーナスが出なかった冬に、意地で作った。この帽子は、ゼロと二人で、くだらないイベントを三晩かけて回ったときのものだ。
現実の俺の部屋には、十年分のものなんて、ほとんど残っていない。引っ越しのたびに捨ててきた。
捨てられなかったのは、こっちの世界の分だけだった。
「おじさん、捨てられない人だ」
「うるさい」
いちばん下までめくった。
上級回復薬が一本、たしかにあった。
そして、その下に、見覚えのない一行があった。
【ニナのおつかいメモ(クエストアイテム)】
【クエスト「はじめてのおつかい」:進行中】
「……チュートリアルのやつだ」
ガンテツが、身を乗り出した。
「最初に道具屋で受けて、広場の掲示板までメモを届けるやつだろ。八年前の更新で、なくなったはずだぞ」
思い出した。
十年前の二月十四日。回復薬を三つ買って、ツケの冗談を言って、ニナにメモを渡された。
広場へ向かう途中で、スマホが鳴った。最後に受けた会社からの、不採用のメールだった。
俺はそのまま、ログアウトした。
メモは、届けていない。
倉庫のいちばん奥で、クエストは十年間、進行中のままだった。
あの夜の続きが、ここで待っていた。




