終わる、ってどういうこと?
サービス終了まで 残り29日
「先輩、目の下すごいですよ。彼女ですか」
朝の事務所で、後輩の佐野がコーヒーを置きながら言った。
「違う」
「その『違う』は、彼女の『違う』ですね」
「どういう理屈だ」
「先輩が寝不足で出てくるの、去年の秋に風邪ひいたとき以来ですもん。風邪じゃないなら、恋です」
佐野は二十五歳で、何でも恋にしたがる。
俺は返事をせずに、パソコンを立ち上げた。市役所の広報誌の校正が三本たまっている。
寝不足なのは本当だった。
ゆうべ、ログアウトしてから、三時まで眠れなかった。
NPCが、しゃべった。
十年前の、俺のつまらない冗談を覚えていた。
昼休み、コンビニのおにぎりを片手に、スマホで攻略掲示板を開いた。
【悲報】アストラ・リンク サービス終了まで残り29日【ありがとう】Part14
最新の書きこみを、上から順に読んでいく。
《結局、最後まで天空の塔の最上階クリアできなかったわ》
《リュネの噴水の音、録音しといた》
《同接八十人台でワロタ……ワロえない》
《最終日、星降りの丘に集まる?》
NPCが話した、という書きこみは、一つもなかった。
運営にも問い合わせを送ってみた。
「道具屋のNPCが、決まったセリフ以外を話しています。仕様でしょうか」。
一分で返信が来た。
【お問い合わせありがとうございます。担当者より順次ご回答いたします。なお、サービス終了に伴い、ご回答までお時間をいただく場合がございます】
自動返信だった。
◇
二十三時。
鈴を鳴らして扉を開けると、ガロが「よう、いい天気だな」と言った。
ニナは、カウンターの向こうで背筋をのばした。
「いらっしゃいませ! 冒険の準備は――あ、マカベさん」
セリフが、途中で止まった。
「昨日の続きですね」
夢じゃなかった。
俺は、ひと晩考えてきたことを言った。
「確かめたいことがある。いくつか質問していいか」
「はい。お客さまの質問には、なんでもお答えします」
「それは決まったセリフじゃないよな」
「今、考えて言いました」
ニナは胸を張った。
俺は、ゆうべ布団の中で決めた質問を、順番に出していった。
攻略サイトにも、掲示板にも、どこにも書かれていないことだけを選んで。
「俺とゼロが、最初に二人で行ったダンジョンは」
「砂の王墓です。マカベさんは落とし穴に三回落ちました。ゼロさんが、『盾役のくせに先に落ちるな』って」
当たっている。
三回だったかどうかは覚えていないが、言われたことは覚えている。
「俺の誕生日は」
「十月三日です」
即答だった。
「ほとんど毎年、その日だけ、回復薬を四つ買います。『自分へのプレゼント』って言って」
「……言ったか、そんなこと」
「八回言いました。去年は言いませんでした。黙って四つ買って、帰りました」
去年の十月三日。残業で日付が変わる直前に帰って、ログインして、四つ買った。
だれにも祝われなかった誕生日だ。それを、この子だけが数えていた。
俺は、首の後ろをかいた。
「最後。俺が、この店でいちばん長くいた日は」
ニナは、少しだけ黙った。
「それは、まだ、言わないでおきます」
「……なんで」
「マカベさんが、まだ聞きたくない顔をしてるからです」
俺は、何も言い返せなかった。
その日に心当たりがあったからだ。
ニナは、話題を変えるみたいに、カウンターの下から布巾を出して、薬瓶を磨きはじめた。
「次の質問はありますか?」
「いや。……もう十分だ」
運営のいたずらで、ここまではできない。
ログを読ませれば、ある程度は分かるのかもしれない。俺がいつ何を買ったか。どこでだれと組んだか。
でも、誕生日に四つ買った理由を、俺は口に出したことが八回あって、去年は言わなかった。言わなかったことまで数えているのは、ログじゃない。
黙って帰った客の背中を、見ていたやつがいたということだ。
この子は、本当に、十年間ここにいたのだ。
◇
その夜、ほかの客は来なかった。
窓の外の広場は、街灯だけが明るい。
昔は、夜中でも噴水のまわりに人が座っていた。パーティーの募集を叫ぶやつ、露店を開くやつ、ただ集まってしゃべっているだけのやつ。
今は、石畳の上を、風で飛ばされた落ち葉の絵が転がっていくだけだ。この町の落ち葉は、十年間、同じ場所で同じように転がっている。
ガロは、ときどき天井を見て「よう、いい天気だな」と言う。それ以外は、置物みたいに動かない。
ニナは、父親が何か言うたびに、律儀に「そうだね、お父さん」と返している。
「お父さんと、話せるのか」
「いいえ」
ニナは、薬瓶を棚に戻した。
「お父さんは、三つのことしか言いません。『よう、いい天気だな』と、『おう、気をつけてな』と、『ニナ、店番を頼む』。わたしが何を言っても、そのどれかです」
「それでも、返事をするんだな」
「返事をしないと、さみしいので」
だれがさみしいのかは、言わなかった。
しばらく、二人で黙っていた。
店の中には、噴水の音が小さく聞こえている。
ニナが、窓のほうを見た。
店の窓は小さな四角で、そこから広場の一部が見える。噴水の端と、掲示板の脚のあたりだ。
「マカベさん。一つ、聞いてもいいですか」
「ああ」
「広場の掲示板に、一月から、新しい紙が貼ってあります」
あの羊皮紙だ。
サービス終了のお知らせ。
「ここからだと、字が小さくて読めません。でも、来る人がみんな、あの前で立ち止まります。それから、ここへ来て、回復薬を買って、言うんです」
ニナは、窓から目を離さずに続けた。
「『終わっちゃうんだね』って。『さみしくなるね』って。『今までありがとう』って。ひと月で、二百三十八人の人が、同じようなことを言いました」
俺は、何も言えなかった。
ゲームが終わることを、NPCに話しかけたやつが二百三十八人いた。
だれも、返事が来るとは思っていなかったはずだ。
ニナは、やっと窓から目を離して、俺を見た。
「わたし、ずっと考えていたんです。でも、わかりませんでした」
ガラス玉みたいだった目が、まっすぐこっちを向いていた。
「マカベさん。終わる、ってどういうことですか」
十年間、この店で、いろんなことを話してきた。
なのに俺は、その質問にだけ、答えられなかった。




