方法
サービス終了まで 残り13日
三月は、終わりの紙ばかり刷る。
卒業式の式次第。送別会の案内。退職のあいさつ状。閉店のお知らせ。
みどり印刷の輪転機は、朝から晩まで、だれかの「最後」を刷り続けている。
「真壁、駅前の和菓子屋の閉店チラシ、色校出たぞ」
部長の大塚が、刷り上がったばかりの紙をひらひらさせた。
「創業六十年だってよ。最後の日は、全品半額だと」
「……そうですか」
「なんだ、元気ないな。和菓子、嫌いか」
「好きです」
チラシには、筆の字で「長い間、ご愛顧ありがとうございました」と書いてあった。
掲示板の羊皮紙と、同じ言葉だった。
印刷物に間違いがないか、一字ずつ確かめるのが、俺の仕事だ。
店の名前。日付。電話番号。「ありがとうございました」の「ご」が抜けていないか。
十年、他人の「最後」に、一字の間違いもないように気をつけてきた。
自分の「最後」のことは、考えたこともなかった。
◇
黄昏亭のテーブルの真ん中に、柚木が座っていた。
フードは、もうかぶっていなかった。
まわりを、四十人くらいが囲んでいる。ガンテツ、ミオ、ゼロ、ハナばあ、ナギ。
「わたしは、柚木千尋。ルミナスゲートの社員で、このゲームの保守をしています」
柚木は、まず、そう名乗った。
酒場がざわついた。何人かは、ミオの話で薄々知っていた。何人かは、まったく知らなかった。
十年近く、港で黙って釣りをしていた「釣りの人」が、運営そのものだったのだ。
「黙っていて、ごめんなさい」
柚木は、頭を下げた。
「それから、おとといのメンテナンスは、わたしがやりました。ニナには、何もしていません。……今日は、その先の話をしに来ました」
柚木は、テーブルの上に、半透明の資料を広げた。
会社の企画書みたいな、そっけない書式だった。
「ニナを、サービス終了のあとも残す方法です」
酒場が、静まり返った。
「結論から言います。ゲーム全体は、残せません。サーバーを動かすお金が、会社にはもうないから。でも、ニナと、ガロの店だけなら、話は別です」
柚木は、資料の一枚目を指した。
「会社が『営利目的ではない記念の場所』として、ニナと店のデータを、外の小さなサーバーに移すのを許す。サーバーの費用は、プレイヤーが出す。動かすのは、わたしが個人でやる。会社のゲームとしては終わるけど、あの子は、小さな場所で、話し続けられる」
だれかが、息をのむ音がした。
ガンテツが、テーブルを叩いて立ち上がった。
「金なら出す! いくらだ!」
「サーバーの費用は、月に数万円。百人で割れば、一人数百円です」
「安いじゃねえか! なんだ、それなら――」
「お金は、いちばん簡単な壁です」
柚木は、ガンテツの言葉をさえぎった。
「壁は、ほかに二つあります」
◇
「一つ目。ニナの中身です」
柚木は、資料をめくった。
「ニナは、十年分のプレイヤーの言葉を覚えています。言葉は、言った人の、個人の情報です。会社のサーバーから外に出すなら、言った本人の同意がいる」
「同意」
「同意した人の言葉は、持っていける。同意しない人の言葉は、持ち出す前に消す。法律と、会社の決まりで、そうなっています」
ナギが、眼鏡を押し上げた。
「柚木さん。ニナに言葉を残した人って、何人いるんですか」
「数えたことはない」
「数えられますか」
「ログを見れば」
柚木が、目の前に小さな画面を開いた。指が、すばやく動く。
ナギが、横からその画面をのぞきこんだ。二人で、何か早口で話している。専門用語が多くて、俺にはほとんど分からなかった。
しばらくして、ナギが、顔を上げた。
「出ました。十年間で、ニナに一回以上話しかけた人の数」
酒場の全員が、ナギを見た。
「一万二千四百十一人です」
だれも、何も言わなかった。
一万二千四百十一人。
残った百人の、百二十倍以上だった。
「……全員に、同意をもらうのか」
俺が聞くと、柚木は首を横に振った。
「全員じゃなくていい。同意しない人の分は、消すだけ。一人でも同意すれば、その人の言葉は持っていける。でも、同意が少なければ、ニナの中身は、ほとんど空っぽになる」
空っぽのニナ。
十年分の言葉を消されたニナは、もう、ニナじゃないのかもしれない。
「よし」
ガンテツが、もう一度、テーブルを叩いた。
「全員に電話する」
「全員?」
「一万二千人だろ。一日千人かけりゃ、十二日だ。間に合う」
「ガンテツさん、一日千人って、一分に一人かけても十六時間だよ」
ミオが、冷静に突っこんだ。
「……タクシーの客待ちの間にかける」
「客待ち、そんなに長くないでしょ」
「最近は長いんだよ!」
酒場に、やっと笑い声が戻った。
◇
「二つ目の壁は」
笑い声がおさまってから、柚木が言った。
「会社の許可です。データを外に出すのを許すかどうか。決めるのは、社長」
「社長って、どんな人なんだ」
ゼロが聞いた。
「早瀬誠一。六十一歳。アストラを作った人」
柚木は、少しだけ言葉を選んだ。
「十年前、ことのはを作れと言ったのも、社長。一年で止めろと言ったのも、社長。サービスを終わらせると決めたのも、社長」
「……手ごわそうだな」
「悪い人じゃない」
柚木は、すぐに言った。
「でも、決めたことを、簡単には変えない人」
ナギが、手を挙げた。
「柚木さん。もう一つ、気になることがあります。ニナの仕組みって、十年前の古い形式ですよね。外の新しいサーバーで、そのまま動くんですか」
柚木は、一瞬だけ、黙った。
「……それは、わたしが、なんとかする」
ナギは、それ以上、聞かなかった。
でも、眼鏡の奥の目が、少しだけ曇ったのが見えた。
◇
零時。ガロの店。
ニナに、全部話した。
残れるかもしれないこと。小さな場所で、話し続けられるかもしれないこと。壁が二つあること。
ニナは、最後まで黙って聞いていた。
「わたし、残れるんですか」
「まだ、分からない」
柚木が言った。
柚木は、今夜も、店まで来ていた。カウンターの前に立って、ニナの顔をまっすぐ見ている。
「分からないことを、あなたに言うのは、ずるいと思う。期待させたぶんだけ、だめだったとき、つらくなるから」
港で言ったのと、同じことだった。
「でも、言わないで、勝手に決めるのは、もっとずるいと思った。だから、言いに来た」
ニナは、柚木の顔を見ていた。
「シオさん。……柚木さん」
「どっちでもいい」
「柚木さん。ありがとうございます」
ニナは、カウンターの向こうで、深く頭を下げた。
「期待、します」
柚木は、何も言わなかった。
ただ、うなずいた。
帰り際、店の扉の前で、柚木は一度だけ振り返った。
俺に向かって、小さな声で言った。
「次は、社長に会わないといけない」
「会えるのか」
「会わせる。……でも、覚悟しておいて」
柚木は、扉の外の暗がりを見た。
「社長は、この世界を作った人。そして、終わらせると決めた人だから」
扉が閉まって、鈴が、小さく鳴った。




