臨時メンテナンス
サービス終了まで 残り15日
【臨時メンテナンスのお知らせ
日時:3月16日 2:00〜6:00
内容:一部NPCの不具合修正】
零時十五分。
メールを閉じた十分後に、その告知が、全員の目の前に浮かんだ。
一部NPCの、不具合修正。
店の中にいたのは、俺とニナだけだった。
ニナは、告知の板を、カウンターの向こうから見上げていた。
「ふぐあい、しゅうせい」
「……ああ」
「わたしのことですか」
うそをつこうとして、やめた。
「たぶん、そうだ」
ニナは、しばらく告知を見ていた。
それから、ゆっくりと、カウンターの上に両手を置いた。
「あと、一時間四十五分ですね」
◇
黄昏亭の連絡用の掲示板に、短く書いた。
『二時から臨時メンテ。たぶんニナが直される。来られるやつは、今すぐ店に来てくれ』
五分後に、最初の一人が来た。
ガンテツだった。夜勤のタクシーを、駅のロータリーに停めて、車の中からログインしたという。
それから、次々に来た。
平日の深夜一時だというのに、残った百人のうち、七十一人が来た。
だれが言い出したわけでもなかった。
店の前に、自然と列ができた。一人ずつ店に入って、カウンターの前に立って、ニナに何かを言って、出ていく。
「おれの娘の名前は、あかりだ」
ガンテツが、カウンターに両手をついて言った。
「大学二年。おれがゲームしてるのを、恥ずかしいって言う。でも、たまに、おれの弁当に、ふりかけかけてくれる。覚えといてくれ」
「あかりさん。ふりかけ。覚えました」
「……頼む」
ガンテツは、泣かなかった。
泣かずに、ドワーフの太い指で、ニナの頭をなでようとして、すり抜けた。
ハナばあは、夜中の一時に起きてきた。
「年寄りは、早寝早起きなのよ。早起きが少し早すぎただけ」
そう言って笑ってから、ハナばあは、カウンターの前で背筋をのばした。
「わたしに、このアカウントを作ってくれたのは、孫の陽太。中学二年のときだったわ。今は二十歳。もう来なくなったけど、あの子が教えてくれたから、わたしはここにいるの」
「陽太さん。知ってます」
「あら、そうなの」
「はい。でも、もう一回、覚えます」
ハナばあは、うなずいて、ニナの手に、自分の手を重ねるふりをした。
ナギは、ニナにプログラムの話をして、途中で「ごめん、これ覚えてもらっても意味ないな」と頭をかいた。
黄昏亭の古株たちは、それぞれの、いちばんの思い出を一つずつ話していった。
ゼロは「相棒を、よろしく」とだけ言った。俺は、聞こえないふりをした。
ミオは、なかなか店に入ってこなかった。
列の最後の方で、やっと入ってきて、カウンターの前に立って、しばらく黙っていた。
「……わたし、こないだ、樽に隠れて、ばれた」
「はい」
「それだけ。それだけ覚えてて」
「わかりました」
ニナが笑った。ミオも、少しだけ笑った。
「あと、わたしのこと、ちゃんと覚えてて。直されても」
ミオは、それだけ言って、走って出ていった。
◇
一時五十分。
店の中に、俺が一人だけ残った。
店の外には、まだ何十人も立っている。
「マカベさんは、何を覚えておけばいいですか」
ニナが聞いた。
言いたいことは、たくさんあった。
あの一週間のこと。三年前の十一月二十日の夜のこと。親父のこと。
でも、それは、十分で話せることじゃなかった。
直される前の十分で、話していいことでもない気がした。
「ツケ」
俺は言った。
「ツケ、ちゃんと覚えとけよ。回復薬(小)、一本」
ニナは、目を細めた。
「忘れません」
「直されても、だぞ」
「直されても、です」
一時五十九分。
【まもなくメンテナンスを開始します。ログアウトしてください】
視界の端が、暗くなり始めた。
最後に見たのは、カウンターの向こうで、ニナが小さく手を振っている姿だった。
カウンターの横で、ガロが「よう、いい天気だな」と言うのが聞こえた。
◇
二時から六時まで、四時間。
俺たちは、現実のグループ通話でつながっていた。
七十一人のうち、最後まで残ったのは、二十人くらいだった。
だれも、ほとんどしゃべらなかった。
ときどき、だれかの咳払いや、キーボードの音や、冷蔵庫の扉を開ける音が聞こえた。
ガンテツは、駅前のタクシー乗り場で、客待ちの列に並んでいた。無線の音が、ときどき混じった。
ゼロの通話からは、三時ごろ、赤ん坊の泣き声が聞こえた。ゼロが小声で子守歌を歌い始めて、だれかが吹き出して、ゼロが「聞くな」と言った。
ミオは、四時ごろ、寝息を立て始めた。だれも起こさなかった。
俺は、アパートの六畳の床に座って、壁にもたれていた。
電気はつけなかった。
窓の外の街灯の明かりが、カーテンの隙間から一本だけ、床に線を引いていた。
十年間、毎晩、六畳一間の部屋からリュネへ行っていた。
この四時間ほど、向こうが遠いと思ったことはなかった。
五時半。カーテンの隙間が、青くなり始めた。
五時五十九分。
『……そろそろだ』
ガンテツの声が、通話に響いた。
六時。
【メンテナンスが終了しました】
◇
広場に降り立った瞬間、走った。
ほかのやつらも、同時に降り立って、同時に走り出した。
二十人が、石畳を蹴って、広場の東の角へなだれこむ。
扉を開けた。鈴が鳴った。
「よう、いい天気だな」
カウンターの向こうで、ニナが顔を上げた。
にっこり笑った。
十年間、見てきた笑顔だった。
「いらっしゃいませ! 冒険の準備はお済みですか?」
店の中の空気が、止まった。
ガンテツが、入り口で、膝から崩れた。
ミオが、口に手を当てた。ゼロが、壁に手をついた。
俺は、カウンターに両手をついた。
「……ニナ」
ニナは、笑顔のまま、俺を見ていた。
ガラス玉みたいな目で。
だれも、何も言えなかった。
一秒。二秒。三秒。
ニナの口の端が、ぴく、と動いた。
「……冗談です。ツケの人」
店の中に、二十人分の、声にならない声があふれた。
「最っ悪!!」
ミオが、カウンターを叩いた。
「ほんと最悪! 心臓止まるかと思った! 直されたかと思った!」
「ごめんなさい」
ニナは、肩をすくめて笑った。
「皆さんが、あんまりこわい顔で入ってきたので」
「おまえ……おまえなぁ……」
ガンテツが、床に座りこんだまま、今度こそ本当に泣いていた。
俺は、カウンターに両手をついたまま、しばらく顔を上げられなかった。
首の後ろをかく気力もなかった。
「ちゃんと、覚えてますよ」
ニナが、俺の前に、回復薬(小)を一本、置いた。
「ツケ。一本。……今のは、サービスです」
置かれた瓶は、俺の持ち物には入らなかった。NPCからは、物を受け取れない。
ニナは、それを知っていて、置いたのだ。
「メンテナンスのあいだ、どうしてた」
「眠っていたみたいです。真っ暗で、何もなくて」
ニナは、少し首をかしげた。
「でも、一回だけ、女の人の声がしました。『大丈夫』って」
◇
六時半。
会社に行く支度をしなければいけなかった。徹夜明けで、市役所の広報誌の最終校正がある。
ログアウトする直前に、目の前に、個人宛てのメッセージが浮かんだ。
フレンドでもない人からのメッセージだった。
差出人の名前は、シオ。
【話がある。今夜、港で】




