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12/21

釣りの人

サービス終了まで 残り17日


 釣りの人が、また、いた。


 夕方の当番で、ガロの店のカウンターの前に座っていたときだ。

 窓の四角の向こう、広場の噴水の陰に、灰色のフードが見えた。


 わたしが顔を上げると、フードはすっと噴水の裏に引っこんで、それきり出てこなかった。


「ミオさん?」


 ニナが、薬瓶を磨く手を止めた。


「どうかしましたか」


「ううん。なんでもない」


 なんでもなく、なかった。


 あの人を見るのは、これで四回目だ。

 黄昏亭の集まりのとき。いちばん奥の柱の陰で、一人だけ手を挙げなかった。

 草原の夜。花の道から離れた、遠くの丘の上に、灰色の影がぽつんと立っていた。

 ゆうべ、ログアウトする前。店の窓の外を、ゆっくり通りすぎていった。


 そして、今日。


 名前は、シオ。港の桟橋で、いつも釣りをしている人。

 十年近くいるらしいのに、マカベさんもガンテツさんも、話したことがないという。


「ニナ。あの、釣りの人って、お店に来たことある?」


「シオさんですか」


 ニナは、少し考えた。


「お店の前は、よく通ります。窓から、中を見ていきます。でも、入ってきたことは、一度もありません」


「一度も?」


「十年で、一度もです。何も買わない人です」


 わたしは、立ち上がった。


「ちょっと、出てくる」


「当番は、どうしますか」


「すぐ戻る!」


 店を飛び出すと、広場の向こうで、灰色のフードが角を曲がるのが見えた。



◇



 わたしの名前は三浦澪。高校二年。


 学校では、だいたい一人でいる。

 いじめられているわけじゃない。ただ、一年の四月に風邪で一週間休んだら、戻ったときには、教室のグループが全部できあがっていた。それだけだ。


 昼休みは、イヤホンをして、スマホで配信のアーカイブを見る。

 放課後は、まっすぐ家に帰って、リンカーをかぶる。


 アストラを始めたのは、二年前の九月だった。

 とっくにさびれていて、だれもわたしのことを知らない世界。それがよかった。


 ニナに、その日のわたしのひとりごとを言われたとき、心臓が止まるかと思った。

 だれにも知られていないと思っていた場所で、ずっと、知られていた。


 恥ずかしかった。

 でも、それより、少しだけ、うれしかった。


 そのことは、まだ、だれにも言っていない。



◇



 灰色のフードは、町の転移門から、港町ポルタへ飛んだ。


 わたしも、すぐに飛んだ。


 ポルタは、リュネの南の港町だ。白い漆喰の家が坂に並んでいて、その下に、青い海が広がっている。

 夕暮れだった。海も、家の壁も、桟橋の板も、全部オレンジ色に染まっていた。


 灰色のフードは、坂を下りて、いちばん端の桟橋へ歩いていく。


 わたしは、坂の途中の樽の陰に隠れた。

 顔だけ出して、様子をうかがう。


 フードの人は、桟橋の先に腰を下ろして、釣り竿を出した。

 糸を投げる。浮きが、海の上に、ぽつんと浮かぶ。


 それきり、動かなくなった。


 五分。十分。

 浮きは、ぴくりともしない。


 わたしが、樽の陰で足がしびれ始めたころ、フードの人が、振り返らずに言った。


「その樽、中身ないから」


「……え」


「中身のない樽は、半分透けてる。隠れても、見えてる」


 わたしは、樽を見下ろした。


 たしかに、うっすら透けていた。樽の向こうの、わたしの膝が見えている。


「……先に言ってよ」


「今、言った」


 わたしは、観念して、樽の陰から出た。



◇



 桟橋の先まで歩いていって、フードの人の隣に立った。


 近くで見ると、フードの下の顔は、ふつうの女の人だった。

 三十代くらい。目の下に、うっすら隈がある。アバターに隈をつける人は、珍しい。


「釣れる?」


「釣れない」


「ずっと釣れないの?」


「ここの魚は、十年前から、数が決まってる。釣れる時間も、場所も、決まってる。この桟橋の先は、何も釣れないように作ってある」


「じゃあ、なんでここで釣ってるの」


「静かだから」


 シオさんは、浮きを見たまま言った。


 わたしは、遠回しに聞くのが苦手だ。

 だから、まっすぐ聞いた。


「あなた、運営の人?」


 浮きが、波で小さく揺れた。


 シオさんは、しばらく何も言わなかった。

 否定しないのが、答えみたいなものだった。


「ずっと、見てたよね。黄昏亭も、草原も、お店の前も」


「……見てた」


「なんで」


 シオさんは、竿を少しだけ持ち上げて、また下ろした。


「あの子に、あまり期待させないで」


「期待?」


「外に出られるとか。残れるとか」


 シオさんの声は、平たかった。

 怒っているのでも、悲しんでいるのでもない。報告書を読み上げるみたいな声だった。


「期待したぶんだけ、最後が、つらくなる」


 わたしは、かっとなった。


「じゃあ、何もするなってこと? あと十七日、ニナに、何も見せないで、黙って消えるのを待ってろってこと?」


「そうは言ってない」


「言ってるじゃん」


「言ってない」


 シオさんは、やっと、わたしのほうを見た。


 疲れた目だった。

 でも、その奥で、何かがぐらぐら揺れていた。


「……言って、ない」


 三回目は、ほとんど、自分に言い聞かせているみたいだった。


 わたしは、それ以上、何も言えなくなった。


 シオさんは、また浮きのほうを向いた。

 夕日が、海の向こうに沈みかけていた。


「あなた、あの子の話、どこまで知ってるの」


 わたしが聞くと、シオさんは、ゆっくり首を横に振った。


「帰りなさい。当番、あるんでしょう」


 当番表のことを、どうして知っているのか。

 聞こうとしたけれど、シオさんはもう、こっちを見なかった。



◇



 リュネに戻る転移門の前で、わたしは、フレンドでもない人のプロフィールを開いた。


 名前を指で押すと、だれでも見られる、簡単な情報が出てくる。

 名前。称号。所属ギルド。登録日。


 シオ。称号なし。ギルドなし。


 登録日のところで、指が止まった。


 アストラ・リンクのサービスが始まったのは、十年と二か月前の、一月十五日だ。

 最初の日に始めたプレイヤーは、「初日組」と呼ばれて、ちょっとした自慢になる。ガンテツさんも、初日組だと言っていた。


 シオさんの登録日は、一月十四日だった。


 サービス開始の、前の日だった。


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