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11/19

風見の草原

サービス終了まで 残り18日


「春の花畑へ、ご案内します!」


 ニナの声が、店の中に響いた。


 今度は、ニナは口を押さえなかった。

 自分の声を聞いて、うれしそうに、くすっと笑った。


【イベント「春祭り」:案内を開始します】

【案内終了まで 59:59】


 ゼロの招待状を使ったのは、二十三時ちょうどだった。

 店の外には、今夜ログインしている五十人あまりが集まっていた。全員、ニナが草原へ行くと聞いて来たのだ。


「一時間か」


「一時間だ」


 ゼロが、腕を組んだ。片腕に、たぶん現実では次男を抱いている。


「祭りのとき、案内の時間は一時間だった。それが過ぎたら、ニナは店に戻される」


「わかりました」


 ニナは、エプロンのひもを結び直した。


「一時間、ぜんぶ見ます」


 ガロが、天井を見て言った。


「よう、いい天気だな」


「うん。いい天気だよ、お父さん」


 ニナは、扉を開けた。



◇



 広場を抜けて、大通りを東へ。


 ニナの後ろに、五十人がぞろぞろとついていく。

 七年前の春祭りも、こうだった。ニナが先頭で、その後ろに何百人もの行列が続いた。あのころは、だれもニナの顔なんて見ていなかった。目当ては花畑だった。


 今夜は、五十人全員が、ニナの背中を見ている。


 ニナは、何度も立ち止まった。

 パン屋の看板。鍛冶屋の煙突から出る火の粉。宿屋の窓の明かり。二階の窓辺で丸くなっている猫。


「あの猫、知ってます。皆さんが、よく撫でにいく猫ですよね」


「ミケだ」


「ミケさん。話には何百回も聞いてました」


 ニナは、猫に向かって、ぺこりと頭を下げた。

 猫は、十年前と同じように、あくびをした。


 大通りの突き当たりに、町の門があった。


 石造りのアーチ。その横に、槍を持った門番のNPCが立っている。

 門番のトト。リュネを訪れるすべての冒険者に、最初の一言をかける男だ。


 ニナが門をくぐろうとしたとき、トトが言った。


「リュネへようこそ! 旅の人」


 ニナが、立ち止まった。


「……出ていく人にも、言うんですね」


「十年、ずっとそうだ」


 俺が言うと、ニナはトトを見上げた。


 トトは、門の外の暗がりを見ていた。入ってくる人も、出ていく人も、トトにとっては同じ「旅の人」だ。


「トトさん」


 ニナが言った。


「いってきます」


 トトは、何も言わなかった。

 次の人が門をくぐったとき、また「リュネへようこそ! 旅の人」と言った。


 ニナは、門の外へ、一歩踏み出した。



◇



 風が吹いた。


 門の外は、なだらかな丘がどこまでも続く草原だった。

 月が出ていて、背の低い草が、風が吹くたびに銀色にうねっていく。波みたいに、端から端へ。


 ニナの三つ編みが、風にあおられて、ふわりと浮いた。


 ニナは、目を閉じた。


「……押してきます」


「何が」


「風が、です。お店の中の空気は、じっとしているんです。でも、ここの空気は、こっちを押してきます」


 ニナは、両腕を広げた。

 エプロンが、風をはらんでふくらんだ。


 それから、走り出した。


 草をかき分けて、丘を駆け上がって、てっぺんで止まって、また反対側へ駆け下りる。

 五十人が、あわてて後を追った。ガンテツが転んだ。ミオが「待ってよ!」と叫んだ。


 丘のふもとに、青いゼリーみたいな丸いものが、ぷるぷる跳ねていた。


 スライムだ。初心者が最初に倒す魔物。


「スライムさん!」


 ニナが、駆け寄って、しゃがみこんだ。

 両手をのばして、なでようとする。


 スライムは、ニナに見向きもしなかった。

 ぷるん、とニナの手の横をすり抜けて、そのまま、すぐ後ろにいたガンテツに体当たりをした。


「いてっ」


 ニナは、手をのばしたまま、ぽかんとしていた。


「……スライムさんに、無視されました」


「NPCは、魔物の標的にならないんだ」


「仕様の範囲内ですか」


「範囲内だ」


 ニナは、ちょっとだけ頬をふくらませた。

 ガンテツは、スライムに三回体当たりされてから、やっと斧で倒した。


【案内終了まで 41:12】



◇



「あ」


 だれかが、声を上げた。


 ニナの足元から、光が広がっていた。


 草の間から、小さな芽が、次々と顔を出していく。芽はするするとのびて、つぼみになって、ぽん、ぽん、と開いた。

 白、黄色、薄紅。草原の、ニナの歩いた道の上だけに、花が咲いていく。


 春祭りの、花畑だった。


 イベントの仕組みが、七年ぶりに動いたのだ。

 案内役のニナが歩いた場所に、花が咲く。七年前、ニナの後ろにできた花の道を、何百人もが追いかけた。


「……覚えてる。これ」


 ミオの後ろで、だれかがつぶやいた。黄昏亭の古株の一人だった。


「七年前、嫁さんと二人で来たんだよ。嫁さん、もうやめちゃったけど」


 その声に、何人かが、うなずいていた。


 ニナは、足元を見下ろしていた。


「わたし、ずっと前しか見てなかったんです。勝手に足が動いていたから」


 ニナは、ゆっくりと振り返った。


 月明かりの草原に、ニナが歩いてきた道が、花の線になって、町の門までのびていた。

 その両側に、五十人が立っていた。


「後ろに、こんなに、きれいなものができてたんですね」



◇



【案内終了まで 08:40】


 ニナと二人で、花の中に座った。


 ほかの連中は、少し離れたところで、思い思いに花を摘んだり、寝転んだりしていた。気をつかってくれたのかもしれない。ゼロは、また【離席中】になっていた。


「マカベさんたちは、毎日、こんなところに来てたんですね」


「毎日じゃない。でも、まあ、来てた」


「どんな気持ちでしたか」


 俺は、少し考えた。


「何も考えてなかった。当たり前だと思ってたから。草原があって、スライムがいて、風が吹いてるのが」


 当たり前じゃなかったのだと、今になって分かる。

 あと十七日で、この草原もなくなる。


 ニナは、足元の白い花に、指をのばした。

 花びらに触れた指先が、すり抜けずに、そっと止まった。


「さわれます」


「イベントの花だからな。案内役は、さわれるのかもな」


「やわらかいです」


 ニナは、花びらを指でなでながら言った。


「……十年分、皆さんの話を聞いて、草原はこういう所なんだろうって、ずっと考えていました」


「実物は、どうだった」


「全然、違いました」


 ニナは、笑った。


「わたしが考えていたのより、ずっと、風が強かったです」


【案内終了まで 00:10】


 ニナの体が、光り始めた。


 ニナは、立ち上がって、草原をぐるりと見回した。

 丘。月。銀色の草。花の道。五十人。


「マカベさん」


「ああ」


「ありがとうございました」


【案内を終了します】


 ニナが、光になった。

 足元の花が、一輪ずつ、閉じて、草の中に沈んでいった。



◇



 店に戻ると、ニナはカウンターの向こうに立っていた。


「いらっしゃいませ。……おかえりなさい、かな」


 五十人が、店の中と外に、ぎゅうぎゅうにひしめいていた。


 ゼロが、目の前のメニューを閉じて、首を横に振った。


「招待状、あれが最後の一枚だった」


 店の中が、静かになった。


 次の手は、もうない。

 ニナが草原を見られたのは、一時間だけだった。


 ニナは、カウンターの上で、両手を組んだ。


「十分です」


 だれも、何も言わなかった。


 ニナは、少し間をおいて、小さな声で言い直した。


「……うそです。もっと見たいです」


 ミオが、黙ってカウンターの前に出た。

 持ち物から、白い花びらを一枚取り出して、置いた。草原で、こっそり摘んでいたらしい。


「買い取り、お願いします」


「……一ゴールドです」


 ニナは、花びらを両手で受け取って、窓辺に持っていった。


 窓辺の砂の小瓶の横に、花びらが一枚、増えた。


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