風見の草原
サービス終了まで 残り18日
「春の花畑へ、ご案内します!」
ニナの声が、店の中に響いた。
今度は、ニナは口を押さえなかった。
自分の声を聞いて、うれしそうに、くすっと笑った。
【イベント「春祭り」:案内を開始します】
【案内終了まで 59:59】
ゼロの招待状を使ったのは、二十三時ちょうどだった。
店の外には、今夜ログインしている五十人あまりが集まっていた。全員、ニナが草原へ行くと聞いて来たのだ。
「一時間か」
「一時間だ」
ゼロが、腕を組んだ。片腕に、たぶん現実では次男を抱いている。
「祭りのとき、案内の時間は一時間だった。それが過ぎたら、ニナは店に戻される」
「わかりました」
ニナは、エプロンのひもを結び直した。
「一時間、ぜんぶ見ます」
ガロが、天井を見て言った。
「よう、いい天気だな」
「うん。いい天気だよ、お父さん」
ニナは、扉を開けた。
◇
広場を抜けて、大通りを東へ。
ニナの後ろに、五十人がぞろぞろとついていく。
七年前の春祭りも、こうだった。ニナが先頭で、その後ろに何百人もの行列が続いた。あのころは、だれもニナの顔なんて見ていなかった。目当ては花畑だった。
今夜は、五十人全員が、ニナの背中を見ている。
ニナは、何度も立ち止まった。
パン屋の看板。鍛冶屋の煙突から出る火の粉。宿屋の窓の明かり。二階の窓辺で丸くなっている猫。
「あの猫、知ってます。皆さんが、よく撫でにいく猫ですよね」
「ミケだ」
「ミケさん。話には何百回も聞いてました」
ニナは、猫に向かって、ぺこりと頭を下げた。
猫は、十年前と同じように、あくびをした。
大通りの突き当たりに、町の門があった。
石造りのアーチ。その横に、槍を持った門番のNPCが立っている。
門番のトト。リュネを訪れるすべての冒険者に、最初の一言をかける男だ。
ニナが門をくぐろうとしたとき、トトが言った。
「リュネへようこそ! 旅の人」
ニナが、立ち止まった。
「……出ていく人にも、言うんですね」
「十年、ずっとそうだ」
俺が言うと、ニナはトトを見上げた。
トトは、門の外の暗がりを見ていた。入ってくる人も、出ていく人も、トトにとっては同じ「旅の人」だ。
「トトさん」
ニナが言った。
「いってきます」
トトは、何も言わなかった。
次の人が門をくぐったとき、また「リュネへようこそ! 旅の人」と言った。
ニナは、門の外へ、一歩踏み出した。
◇
風が吹いた。
門の外は、なだらかな丘がどこまでも続く草原だった。
月が出ていて、背の低い草が、風が吹くたびに銀色にうねっていく。波みたいに、端から端へ。
ニナの三つ編みが、風にあおられて、ふわりと浮いた。
ニナは、目を閉じた。
「……押してきます」
「何が」
「風が、です。お店の中の空気は、じっとしているんです。でも、ここの空気は、こっちを押してきます」
ニナは、両腕を広げた。
エプロンが、風をはらんでふくらんだ。
それから、走り出した。
草をかき分けて、丘を駆け上がって、てっぺんで止まって、また反対側へ駆け下りる。
五十人が、あわてて後を追った。ガンテツが転んだ。ミオが「待ってよ!」と叫んだ。
丘のふもとに、青いゼリーみたいな丸いものが、ぷるぷる跳ねていた。
スライムだ。初心者が最初に倒す魔物。
「スライムさん!」
ニナが、駆け寄って、しゃがみこんだ。
両手をのばして、なでようとする。
スライムは、ニナに見向きもしなかった。
ぷるん、とニナの手の横をすり抜けて、そのまま、すぐ後ろにいたガンテツに体当たりをした。
「いてっ」
ニナは、手をのばしたまま、ぽかんとしていた。
「……スライムさんに、無視されました」
「NPCは、魔物の標的にならないんだ」
「仕様の範囲内ですか」
「範囲内だ」
ニナは、ちょっとだけ頬をふくらませた。
ガンテツは、スライムに三回体当たりされてから、やっと斧で倒した。
【案内終了まで 41:12】
◇
「あ」
だれかが、声を上げた。
ニナの足元から、光が広がっていた。
草の間から、小さな芽が、次々と顔を出していく。芽はするするとのびて、つぼみになって、ぽん、ぽん、と開いた。
白、黄色、薄紅。草原の、ニナの歩いた道の上だけに、花が咲いていく。
春祭りの、花畑だった。
イベントの仕組みが、七年ぶりに動いたのだ。
案内役のニナが歩いた場所に、花が咲く。七年前、ニナの後ろにできた花の道を、何百人もが追いかけた。
「……覚えてる。これ」
ミオの後ろで、だれかがつぶやいた。黄昏亭の古株の一人だった。
「七年前、嫁さんと二人で来たんだよ。嫁さん、もうやめちゃったけど」
その声に、何人かが、うなずいていた。
ニナは、足元を見下ろしていた。
「わたし、ずっと前しか見てなかったんです。勝手に足が動いていたから」
ニナは、ゆっくりと振り返った。
月明かりの草原に、ニナが歩いてきた道が、花の線になって、町の門までのびていた。
その両側に、五十人が立っていた。
「後ろに、こんなに、きれいなものができてたんですね」
◇
【案内終了まで 08:40】
ニナと二人で、花の中に座った。
ほかの連中は、少し離れたところで、思い思いに花を摘んだり、寝転んだりしていた。気をつかってくれたのかもしれない。ゼロは、また【離席中】になっていた。
「マカベさんたちは、毎日、こんなところに来てたんですね」
「毎日じゃない。でも、まあ、来てた」
「どんな気持ちでしたか」
俺は、少し考えた。
「何も考えてなかった。当たり前だと思ってたから。草原があって、スライムがいて、風が吹いてるのが」
当たり前じゃなかったのだと、今になって分かる。
あと十七日で、この草原もなくなる。
ニナは、足元の白い花に、指をのばした。
花びらに触れた指先が、すり抜けずに、そっと止まった。
「さわれます」
「イベントの花だからな。案内役は、さわれるのかもな」
「やわらかいです」
ニナは、花びらを指でなでながら言った。
「……十年分、皆さんの話を聞いて、草原はこういう所なんだろうって、ずっと考えていました」
「実物は、どうだった」
「全然、違いました」
ニナは、笑った。
「わたしが考えていたのより、ずっと、風が強かったです」
【案内終了まで 00:10】
ニナの体が、光り始めた。
ニナは、立ち上がって、草原をぐるりと見回した。
丘。月。銀色の草。花の道。五十人。
「マカベさん」
「ああ」
「ありがとうございました」
【案内を終了します】
ニナが、光になった。
足元の花が、一輪ずつ、閉じて、草の中に沈んでいった。
◇
店に戻ると、ニナはカウンターの向こうに立っていた。
「いらっしゃいませ。……おかえりなさい、かな」
五十人が、店の中と外に、ぎゅうぎゅうにひしめいていた。
ゼロが、目の前のメニューを閉じて、首を横に振った。
「招待状、あれが最後の一枚だった」
店の中が、静かになった。
次の手は、もうない。
ニナが草原を見られたのは、一時間だけだった。
ニナは、カウンターの上で、両手を組んだ。
「十分です」
だれも、何も言わなかった。
ニナは、少し間をおいて、小さな声で言い直した。
「……うそです。もっと見たいです」
ミオが、黙ってカウンターの前に出た。
持ち物から、白い花びらを一枚取り出して、置いた。草原で、こっそり摘んでいたらしい。
「買い取り、お願いします」
「……一ゴールドです」
ニナは、花びらを両手で受け取って、窓辺に持っていった。
窓辺の砂の小瓶の横に、花びらが一枚、増えた。




