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ゼロ

サービス終了まで 残り19日


 噴水の前に、黒いコートの男が立っていた。


 腰に、細い剣が二本。銀色の髪。

 五年前と、何も変わらない姿だった。アバターは年を取らない。


 ゼロは、俺を見つけて、片手を上げた。


「よう」


「……よう」


 それきり、二人とも黙った。


 五年ぶりに会ったら、何を言うか。

 最初の一年は、毎晩考えていた。二年目からは、考えなくなった。三年目には、考えていたことを忘れた。


 結局、口から出たのは、こんな言葉だった。


「生きてたのか」


「こっちのセリフだ。お前、まだやってたのか。マカベなんて名前で」


「名前はほっとけ」


 ゼロが、少しだけ笑った。

 昔と同じ、片方の口の端だけ上げる笑い方だった。


「ガンテツさんから、連絡が来た。古いメールアドレスに、長い文章で。半分は誤字だったけど」


「あの人、スマホで打つの遅いからな」


「『マカベが毎晩NPCと話してる。心配だから来てくれ』って書いてあった」


「……誤解を招く書き方だな」


「招いたよ。だから来た」


 ゼロは、噴水のふちに腰を下ろした。


 しばらく、水の音だけがしていた。


「なんで、やめたんだ」


 自分でも、思ったより低い声が出た。


「何も言わずに。『また明日な』って言って、それきりだっただろ」


 ゼロは、噴水の水面を見ていた。


「上の子が、生まれたんだ」


「……」


「あの次の日の朝。予定より三週間早かった。病院から帰ってきたら、夜にゲームする時間なんて、一分もなくなってた。最初の一週間は、明日こそ言おうと思ってた。一か月たったら、今さら何て言えばいいのか、分からなくなった」


「言えばよかっただろ。子どもが生まれたって。それだけで」


「そうだな」


 ゼロは、あっさりうなずいた。


「そうだな。悪かった」


 それで終わりにされるのが、なぜか腹が立った。

 五年分の待ちぼうけが、たった一言で片づけられた気がした。


 俺は立ち上がった。


「ニナに会いに来たんだろ。店はこっちだ」



◇



 鈴が鳴った。


「よう、いい天気だな」


「……ガロ、変わんねえな」


 ゼロがつぶやいた。


 カウンターの向こうで、ニナが顔を上げた。

 俺を見て、それから、俺の後ろに立つ黒いコートの男を見た。


 ニナの目が、大きくなった。


「ゼロさん!」


 カウンターの跳ね上げ板を、ばたん、と上げて、ニナは外に飛び出してきた。


「五年と、十日ぶりです!」


 ゼロが、一歩、後ずさった。


「……ほんとに、しゃべるんだな」


「しゃべります。仕様の範囲内です」


 ニナは、胸を張った。それから、ゼロの顔をまじまじと見上げた。


「ゼロさんが最後に来たのは、五年前の三月二日です。エリクサーを一本買いました。マカベさんが『また高いの買って』って言ったら、ゼロさんは『いつか使う』って言いました」


 ゼロの顔から、笑いが消えた。


「……覚えてるのか」


「覚えてます。使いましたか?」


 ゼロは、目の前にメニューを開いた。持ち物の画面を、指でゆっくりとたどっていく。

 しばらくして、手が止まった。


「……まだ、ある」


「使ってないんですか」


「使う前に、やめたからな」


 ニナは、腕を組んで、むずかしい顔をした。


「エリクサーは、使わないと、ただの高い水ですよ」


 ゼロが、吹き出した。

 俺も、思わず笑ってしまった。


「だれに教わったんだ、そんな言い方」


「マカベさんです。八年前の秋に、ゼロさんに言ってました」


 俺は、何も言い返せなかった。



◇



 それから、ゼロはニナといろいろ話した。


 ゼロが昔、天空の塔の最上階で全滅した話。ゼロがガロに毎回「いい天気だな」と返していた話。ゼロが一度だけ、ニナに「おれの相棒、本名でやってるんだけど、どう思う?」と聞いた話。


「どう答えたんだ、ニナ」


「『いらっしゃいませ! 冒険の準備はお済みですか?』です。決まったセリフしか言えなかったので」


「おれは、それを聞いて、『だよな』って言った」


「言いました」


「最悪だな、お前ら」


 ゼロとニナが、同時に笑った。


 その笑い声の途中で、ゼロが、ぴたりと止まった。


 笑った顔のまま、動かない。

 頭の上に、小さな月のマークが浮かんでいた。【離席中】。


「……ゼロさん?」


 ニナが、ゼロの顔の前で手を振った。反応がない。


「どうしたんですか」


「たぶん、向こうで何かあった」


「向こう」


「現実だ。子どもが起きたんだろ」


 ニナは、固まったゼロをしばらく見上げていた。

 それから、ガロのほうを振り返って、もう一度ゼロを見た。


「ゼロさんが、お父さんみたいになりました」


 ガロが天井を見て言った。「よう、いい天気だな」。


 俺は、腹を抱えて笑った。

 ニナもつられて笑った。固まったゼロの横で、二人で、しばらく笑っていた。


 五分後、ゼロの頭の上の月が消えた。


「悪い。次男が起きた」


「次男?」


「八か月。上が五歳で、下が八か月。今、片手で抱っこしながらやってる」


「……両手、使えないのか」


「片手で十分だ。お前とやってたころより、反射神経は上がってるぞ。子どもは、なんでも口に入れるからな」


 ゼロは、なんでもないことのように言った。

 五年分の、俺の知らない時間が、その一言に詰まっていた。



◇



 零時を回ったころ、ゼロが、急にまじめな顔になった。


「ガンテツさんの話だと、ニナを外に連れ出す方法を探してるんだろ」


「ああ。チュートリアルのクエストで、広場までは出られた。でも、その先は、手がない」


「草原に行きたいんだってな」


 ニナが、こくりとうなずいた。


 ゼロは、少し考えてから、言った。


「春祭り、覚えてるか。七年前の」


「春祭り……」


 覚えている。

 サービス四年目の、春のイベントだ。リュネの東の草原に花畑が咲いて、プレイヤーが花を集めて回る。


「あのイベント、最初の案内役は、ニナだったんだよ」


 ニナが、目を丸くした。


「わたし、ですか」


「覚えてないのか」


「覚えています。一時間だけ、店の外に出て、皆さんを草原の花畑まで案内しました。……でも、あれは、わたしが行ったんじゃなくて、勝手に足が動いていただけで。草原のこと、何も見ていないんです。前しか見られなかったので」


 ゼロは、うなずいた。


「イベントに参加するには、招待状が要った。祭りが終わったら、使えなくなるアイテムだ。でも、使わなかった招待状は、消えずに持ち物に残った」


 ゼロは、メニューを開いた。


「おれは、物を捨てられない性分でな」


 お前もか、と言いかけて、やめた。


 ゼロの手のひらの上に、小さな封筒が現れた。

 桜色の紙に、金色の花の封蝋。


【春祭りの招待状(未使用)】


 七年前に配られて、だれもが使って、だれの手元にも残っていないはずのものだった。


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