第33話 こたつという魔物
スイが、こたつに食べられた。
十二月九日の月曜は、けさがこの冬いちばんの冷えこみだった。
その晩、じいちゃんが押し入れからこたつ布団を出してきて、居間の座卓がこたつになった。
コードの傷をじいちゃんが指でたどり、颯太がコンセントを差すと、スイは布団をめくって中をのぞきこんだ。
「……火が、ないのに、赤い」
「電気たい」
じいちゃんの説明は、それで全部だった。
秋が暖かすぎて、今年はこたつも寝坊したのだ。
スイは足を入れて十秒で目が細くなり、一分で天板にあごをのせて、かれこれ十分、動かない。
「まめ。これは、出られない」
「まだ十分しか入っとらんやん!」
机に布団をかぶせて中を温めるだけの道具に、水守が負けている。
私の向かいにスイ、左にじいちゃん、右に颯太が座ると、こたつは四人で満席だ。お父さんはお風呂で、お母さんは台所にいる。
作戦その一、腕を引っぱる。びくともしないのは、体重の半分をこたつに預けているからだ。
作戦その二、晩ごはんで釣る。
「今夜はがめ煮よ。台所に取りに来て」
「……ここで、食べる」
作戦その三、水で釣る。
「台所の蛇口、日曜にお父さんが新しいパッキンに替えたっちゃけど。見たくないと?」
「見たい。だが、足が、もう、ここの者になった」
蛇口に勝つ道具が、この家にあったと!?
問題集を広げた颯太が、顔も上げずに言う。
「スイさん、こたつの先輩として言います。こたつからは、出られんです」
「あんた、勉強しに入ったっちゃろ!」
お母さんが、台所から顔を出した。
「スイくん、こたつで寝たらいかんよ。寝とーあいだに汗かいて、体の水の抜けるけん。いまのうちに、水ば一杯飲みんしゃい」
お母さんは、それから、じいちゃんにも釘を刺した。
「足ば同じとこに当てっぱなしにしたら、やけどするけんね」
「おう」
スイの顔つきが、すっと変わった。
「……体の、水を、抜く?」
スイは、その人の水はその人のものだからと、人の中の水は見ない。
「抜けても、私には分からない。……水を奪う、魔物か」
スイは天板にコップの水を一杯置いて、まっすぐ見つめはじめた。
自分の水は見えんけん、コップの水で見張りよー。魔物と分かったなら、はよ出らんね!
……でも、人のことは言えない。
選果機の来た晩に、飛ばした一行を読んでもらってから三週間。毎晩「あした書く」と言っていたら、あしたが二十三回来た。
「まめ。返事は」
私は、こたつ布団を頭までかぶった。
「聞こえん! こたつの中は、圏外!」
魔物の側に、一人、増えた。
布団から顔を出したところで、スイがつぶやいた。
「……コップが、変だ」
「え、魔物が飲んだと!?」
「そのコップではない。ポンプ小屋の前の」
わせだ。
向こうの世界から水を伝って手紙を運んでくる、いつも濡れた小さな獣で、払いは、みかん。
次の瞬間、スイが、すっとこたつから出た。
「出られるやん! 蛇口は、水の用事に入らんと!?」
「蛇口は、あしたも替わっている。わせは、待たない」
魔物、弱っ!
◇
かごの残り少ない宮川早生を一つつかんで、二人とも上着をひっかける。スイの手は野帳とペンでふさがっているので、懐中電灯は私が持つ。
外はこたつの中とは別の国で、スイが一回だけ、母屋のほうを振り返った。未練、あるやん。
石段を一段ずつ上がると、吐く息が白くて、南の空に半分の月が出ている。
ポンプ小屋の前のコップのふちに、濡れた小さな前足が二本、かかっていた。
わせは、返事を取りに来たらしい。爪が一本立って、返事だけやけん、運び賃は一つ。
三週間待たせたのに、延滞料はなし。逆に怖い。
宮川早生を差し出すと、わせはそれを抱えこんで、前足で水面をとんとんたたいた。
はよ、と言われているのが、分かる。
ポケットの中の紙を開くと、書いては消した跡の下に、一行。
一通まるごと書くはずが、三週間で、これだけ。
スイが野帳の後ろの頁にペンを当てて、待っている。
スイの顔は、見られん。わせのほうを向いて、声に出す。
「……豆は、師匠の、何ですか」
一音目で、声が裏返った。
「……師匠に、聞いてください」
少女漫画では、答えは男の子の口から聞くものと決まっていて、私が先に言うのは決まり違反。
……そういうことに、しておく。
スイは少しだけこっちを見てから、村の字を書きはじめた。
ペンが、動く。動く。まだ、動く。
「長くない?」
「訳すと、長くなる」
「訳すだけって、ミロに言われとったやん!」
「訳した」
私の十一文字が、村の字にしたら三行。
そんなわけ、ある?
スイは頁を破って、わせの袋に差しこんだ。わせが、するりと水の中に消える。
今度は、読めんのが、私のほうだ。
……何て、書いたと!?
◇
次の日の昼、じいちゃんと二人で、上の段の青島温州を見て回った。
色ののり具合を一本ずつ見て、どの木から穫るか順番を決めるのが、今日の私の仕事だ。
空は曇りで、昼すぎから、海のほうの風が冷たくなってきた。こたつから出た次の日に、北風。恨むよ、空。
いちばん日当たりのいい一本の前で、足が止まる。
枝がよく張って、実が橙の電球みたいに光っている。
「じいちゃん。この一本だけ、年明けまで置いたら……」
言いかけて、自分の口で自分を止めた。
後ろから来たスイが、こっちを見る。
「置くと、どうなる」
「長う置いたら、甘うはなるとよ」
自分の声が、ちょっと悔しそうなのが分かる。
「でも、そのぶん、この木は、来年の花が減りやすいと。花のもとは、もう枝の中で作りよーけん。……見えんけど」
スイが、葉の付け根の、まだ何も見えないところを、指でなぞった。
「花のもとは、見えないのか」
「見えん。外からは、春になるまで誰にも」
小学生のころから、じいちゃんに聞かされてきた話だ。
知っているのに言いかけたのは、スイにいちばん甘いのを食べさせたかったから。
「……やけん、置かん」
自分で言った。
じいちゃんは、何も言わずにうなずいた。
「来年の花を、見たい」
スイが言った。
……え。
風が、ひゅっと鳴った。
スイが来年の春もここにおるのは、知っとー。そこやない!
でも、見たい、って言うた。うちの木の花を、楽しみにしとーって!
北の風の中で、私だけこたつに入ったみたいに、指の先まであったかくなった。
「……そのかわり、今年の実は、いちばんおいしい食べ方で出しちゃる! 焼きみかんにする!」
じいちゃんが、黙ってはさみを出して、その木から青島を二つ穫った。
「味見用たい」
私は野帳の穫る順の欄に、この一本も、ほかの木と同じように書きこんだ。
段取り係、本日の業務、完了!
◇
その晩も、こたつに四人で、天板には今夜もスイの見張りのコップが立っている。
台所のトースターで、青島を二つと、箱の底の宮川早生を少し、皮ごと焼いてもらった。
「宮川は早う食べんといかんとやけん、焼くとなら、ちょうどよか。熱かけん、手ば気をつけりー」
お母さんが皿を置くと、皮の焦げた匂いが、こたつの上にふわっと広がる。
スイの前に置いたのは、上の段の青島だ。
来年の花を守った木の、今年の実。
私は熱いうちに宮川早生を割って、すじごと口に放りこんだ。
甘っ! 中がとろっとして、三秒で一個!
スイは、青島を両手でそっと持った。
北原早生の初収穫の日は、すじを長い順に並べて、十七分かかった。焼いても、並べる。
一本、また一本と、すじが皿のふちに並んでいく。
湯気が、皿の上でだんだん細くなっていく。
「スイ、冷める!」
「湯気が、甘い匂いだ」
「嗅いどー場合やないと!」
十二分後。
「冷めた。……だが、すじは全部取れた」
「焼いた意味!」
スイは冷めた青島を一房ずつ、ゆっくり食べた。満足そうなのが、くやしい。
じいちゃんも、もう一つの青島を割って、一房だけ口に入れた。
「……甘か。寝かせたら、もっと丸うなる」
じいちゃんがみかんに「甘か」と言うのは、めったにない。焼いた意味は、ちゃんとあった。
さて、ここからが本番。
私は、心の中の恋愛計画表に、一行足した。
〔その九 こたつで足が当たる〕
こたつの中は、布団に隠れて誰にも見えない。見えないからこそ、少女漫画が成立する。
偶然を装って、わざと当てるのが、こたつの作法である。
足は私のほかに三人ぶんで、当たる確率は三分の一。
悪くない勝負やろ?
そっと、まっすぐ、足をのばす。
こつん。
「……まめ。それは、おれの足たい」
じいちゃんが、新聞から目も上げずに言った。
まっすぐのつもりが、左にそれとった。なんでよ。
気を取り直して、もう一回。
こつん。
「姉ちゃん、蹴らんで。二次方程式が逃げる」
右もはずれで、今夜は二打数ゼロ安打。
あきらめて、足をそろそろと自分の陣地に引っこめた。
そのとき、スイが、二個目の焼きみかんに手をのばした。
こたつの中で、スイの足が、私の足に当たった。
「……すまない」
スイはそう言ったのに、足を、引かない。
十月の雷の縁側では、私が一センチ寄ったら、スイは二センチ離れた。
今夜は、一ミリも、離れない。
……動けん。
動いたら、何かが終わる気がする。何が終わると? 知らん!
台所から、のんきなお母さんの声が飛んでくる。
「こたつで寝たらいかんよー。体の水の抜けるよー」
寝とらん。寝られるわけ、ない!
出られんのは、こたつのせいやない!
スイが、足を引かないまま、天板のコップを見て、ぽつりと言った。
「ミロへの返事に、こたつのことも、書いた」
「も」って何!? うちが布団かぶって圏外になったとこまで、書いたと!?




