第32話 じいちゃんの設備投資が当たった日
「豆へ。……豆は、小さいですか」
「一行目から失礼やん!?」
異世界から届いた、私宛ての初めての手紙。その一行目で、背を聞かれた。
十三日の夜、離れの縁側で、颯太の照らす懐中電灯を頼りに、スイがミロの字をこっちの言葉に直しながら読んでいく。
向こうの字は一文字も読めないので、中身は、スイの声で知るしかない。
ほのかさんは、いま母屋のお風呂に入っている。
「ほのかさん、あと十分です」
颯太がスマホの時計を見ながら言う。数学の問題集を開いたときより、真剣な顔。
「そもそも、なんで宛名が、豆のまんまなん? 八月に、豆やなくてまめやって書く、て言いよったやん」
「書いた。畑の豆ではなく、この家の娘の呼び名だ、と」
「なら、まめって書いてよ」
「村の字に、ひらがなはない。まめは、豆だ」
……そうやった。小さいから、まめ。知っとったけど!
異世界まで豆で届くとは、思わんやん!
「だから、ミロへの手紙では、畑の豆より、一回り大きく書いている」
「お、大きく……!?」
特別扱いやん。少女漫画なら、背景に花が咲くところ!
「小さく書くと、畑の豆と見分けがつかない」
「見分けのためかい!」
スイが、封筒の表をこっちに向ける。
読めないけれど、一字だけ妙に堂々としている。ミロも、大きく書いてきたらしい。
大きい豆に、小さいですかって聞きよー。
スイ宛ての一通は、先に読んでもらった。たった三行だった。
師匠へ。
泉は、去年より指五本ぶん低いままです。それより下がってはいません。
豆に、手紙を書きました。
師匠は、訳すだけにしてください。
ミロ
弟子に、念を押されとー。
「続きを読む」
師匠と話しているのは、あなたですか。
師匠は、村では、一日に三つしか話しませんでした。「水位」と「まだだ」と「寝ろ」です。
「……五つは、話していた」
「訳すだけって、書いてあったやん!」
しかも、二つしか増えとらん。
こっちでは朝から晩まで、私に水の話ばっかりしよーくせに。
師匠の手紙に、あなたの三行がありました。
三つ目は、私が先にやっていました。
二つ目は、村長が気に入りました。毎日、畑を見に来ます。うるさいです。
八月にスイと一緒に送った返事のことだ。
豆の葉は夕方と朝に見る、毎日見る、一列だけ変えて比べる、の三行を、私が読みあげてスイが村の字にした。
負けず嫌いか!
でも、異世界の村長さんが、私の一行で毎日畑に来よー!
スイの目が、手紙の上で一行ぶん下へ飛んで、少し、間があった。
師匠が、腹を出して寝ないように、見ていてください。私が言っても、聞きません。
ミロ
前にミロの手紙で「腹を出して寝ないでください」と読まれたときは、想像しかけてやめたけど、今日は止まらん。
夜中に離れの戸をそーっと開けて、はだけた布団をかけ直す私——
「できるか!」
「姉ちゃん、顔」
颯太が懐中電灯をこっちに向けたので、照らさんで、と手で払う。
「それと、スイさん。いま、目が一行、飛びました」
颯太、そこは、しっかり見とーやん。
「……飛ばした」
認めたくせに、読んでくれない。
「あとで、読む」
「なんで、あとでなん!?」
「ほのかさん、あと一分です」
颯太が二通を受験の問題集のあいだにはさんだので、異世界の手紙と放物線が、同じページで寝ることになった。
母屋のほうで、お風呂の戸が開く音がする。
「……返事は、うちが書くけん」
異世界からの手紙に、私が自分で返事を書く。八月は三行だけやったけど、今度は一通まるごと!
◇
十四日の昼、上の段の宮川早生、最後の一個まで穫りきった!
午後、ほのかさんを軽トラで駅まで送った。
洗って干した長靴をリュックの横にぶら下げて、ほのかさんは、改札の前でくるっと振り返った。
「来年も呼んでね、段取り係さん!」
「呼ぶ! 段取りは、来年もうちが組む!」
恋のライバルではなかった。来年の段取り表に、もう名前が入っている。
十五日は、朝から細い雨だった。
作業場の軒下で、先に穫った分の宮川早生のコンテナをスイが積んで、二人で荷台にシートをかけ、ゴムひもで留める。
行き先は町のJAの選果場で、助手席にはスイが乗っている。
そして私のリュックには、タオルを二枚入れてきた。
スイは、これまでに四回泣いている。だいたい、水の前で。
選果場なら、きっと水を使う。先回りは、段取り係の仕事だ。
スイが荷受けにコンテナを下ろし、私が数を伝票に書いていると、奥から、見覚えのある眼鏡が出てきた。
「立花さん。スイさんも」
力丸さんは、午後の「目揃え」の見本を並べに来ているらしい。出荷するみかんの見た目の基準を、農家さんとそろえる会だ。
そろえる、と名のつく仕事は、力丸さんのいちばん好きなやつだ。
「ラインを見ていかれますか。上の通路の窓から見えますよ」
階段を上がって窓から見下ろすと、下は、みかんの道だった。
コンテナからあけられた実が、何本もの列になって、ベルトの上を流れていく。
光の箱をくぐり、カメラの下を通って、列がまた、いくつにも分かれていった。
「大きさと、色と、傷と、中の甘さと酸っぱさです。光を当てて、通り具合で中を読みます」
私は、スイの袖を引いた。
「……ここ、水、ある?」
「ラインを流れる水は、ない。壁の中の管と、屋根の雨だけだ」
よし。今日は、泣かんね。
横を見たら、スイの目のふちに、水がたまっていた。
「水やないよ!? みかんよ!?」
「……流れ方が、水だ」
スイは、窓から目を離さない。
頬を一筋つたったところで、私はあわててタオルを押し当てた。
「どの実も、同じ物差しで測られて、行き先が決まる。……村では、水を分けるたびに、誰かが怒る」
「……機械が分けたら、誰も怒らんってこと?」
スイが、うなずく。
隣で、力丸さんが眼鏡を外した。
「……そうなんです。私も、初めてここを見た日に、泣きました」
「力丸さんも泣いたと!?」
「今日は、眼鏡が曇っただけです」
その曇り、内側からやない?
二枚目のタオルを差し出すと、力丸さんは黙って受け取って、レンズを拭いた。
二枚目を使うのが力丸さんとは、思わんかった。
帰りの軽トラで、スイはワイパーの向こうを見ながら言った。
「茂どのの作業場にも、小さい川があればいい」
◇
次の朝、作業場の前に、運送屋さんのトラックが止まった。
荷台の後ろの板が、ういーんと地面まで下りてくる。
その上には、緑のペンキのはげた細長い機械が、軽トラの荷台よりまだ長い図体で乗っていた。
きのうの「小さい川」が、トラックで来た。
伝票を受け取ったのは、お母さんだった。
〔品名 選果機(中古)〕
「……じいちゃん。これ、なん?」
じいちゃんは、麦わら帽のつばを、ちょっと下げる。
「設備投資たい」
出た、じいちゃんの、自分の買い物にだけ付く魔法の言葉。
「じいちゃん、いつ落としたと?」
「……十二日の晩」
「ほのかさんの来た晩やん!」
私とお母さんの声が、そろった。
「軽トラには載らん長さやけん、運送屋に頼んだ」
「そげなことは聞いとらん。どこに置くと? これ」
お母さんの言うとおりで、作業場はコンテナと脚立と噴霧器で、もう満員だ。
お母さんが、じいちゃんをにらむ。
「その言葉は、使うてから言いんしゃい」
「そうよ、じいちゃん! うちには、はさみは研いで十年使え、て言うたくせに!」
私も、お母さんの側につく。
節約、節約て言いよったのは、どこの誰ね。
脚立と噴霧器を軒下に出してから、お父さんとスイが、キャスターの付いた機械をごろごろ押して奥へ入れた。お父さんの顔に、「土曜やのに」と書いてある。
じいちゃんが、コンセントを差す。
「詰まったら、止めて、コンセントば抜いてから。手は入れるな」
スイッチを入れると、穴だらけの筒が、ごろんごろんと回りだす。
穴は、手前ほど小さくて、奥へ行くほど大きくなっていく。
……階級板やん。うちの階級板が、丸まって回りよー!
スイが台に上げたコンテナを、じいちゃんが投入口へ傾ける。
宮川早生が筒の中を転がって、小さい実から、ころん、ころん、と、自分に合う穴を見つけて落ちていく。
落ちる口の下には、古い毛布を敷いた箱と、じいちゃんの字のテープの札が並んでいる。
〔2S〕〔S〕〔M〕〔L〕と来て、筒の端から出てくるのが〔2L〕。
それから、〔2S〕よりさらに手前の、いちばん小さい穴の下に、〔まめのおやつ〕。
「なんで、うちの名前!?」
「小さかとは、昔から、まめが食べよったけん」
じいちゃんは、筒から目を離さずに言う。
……そんなこと、覚えとったと。
ころん、ころん。
ゆうべ、私が階級板に一個ずつのせて一時間かかった一コンテナぶんが、お茶を一杯飲むあいだに終わってしまった。
「お母さん。これは、設備投資やん!」
「あんた、さっきまで、どっちの味方やったと?」
「そろいの味方! 玉は、機械がそろえる。色と傷みは、うちが目で見る。品評会の『色のそろい、もう一歩』、これで一歩、行ける!」
スイは機械の前にしゃがんで、膝に手を置いたまま動かない。
「……小さい川だ」
泣いてはいなくて、金魚鉢をのぞく猫の顔をしていた。
お母さんは何も言わずに、スイが台に上げておいた次のコンテナを、投入口のほうへすっと滑らせた。
……お母さん、いま、寝返った!?
◇
夕方に作業場をのぞいたら、台の上のコンテナが、全部空になっていた。
機械の前に立っていたのは、袖をまくって、筒の回る音にうんうんうなずいているお母さんだ。
お母さんが「次」と言う係で、箱を台に上げて受けの箱を入れ替えるのは、昼から呼ばれたお父さんとスイ。
そして、〔まめのおやつ〕のテープの上には、お母さんの字で〔加工〕と書いた、新しいテープが貼ってある。
「うちのおやつが!」
「あんた一人で、食べきれた年のあったね? 食べ物は、無駄にせんと。小さかとは、味の濃かとよ。ジュースにしたら、ちょうどよか」
「濃いけん、うちのおやつなんやん!」
お母さんの目が、本気だ。あれは、ジュースとマーマレードで、直売所の棚をもう一段増やす目。
じいちゃんが、空のコンテナに腰かけて、満足そうに言う。
「……設備投資たい」
これで三回目。今日いちばん、えらそう。
「次の設備投資は、先に言いんしゃい」
「おう」
お母さんは、怒った顔のまま、〔加工〕の札を指でなでつけた。
お父さんは作業場の床で、大の字になっている。
「週末……」
お疲れさまです、お父さん。
夜は、あしたの直売所の袋詰めだ。
大きさは機械がそろえてくれたから、私は、作業台の同じ明かりの下に十個並べて、色と傷みを隣と比べて詰めていく。
並ぶ、並ぶ! 十袋並べても、どれが一袋目か分からん!
品評会の審査員さん、見とってください。全部そろいよー!
スイは、横で袋の口を折ってくれている。
「スイ。返事、書く。……あの飛ばした一行、読んで」
スイは、袋の口を二回折ってから、颯太の問題集から返してもらった封筒を開いた。
私のほうは、見ない。
「豆は、師匠の、何ですか」
……え。
袋の中の実が、一個、ころんと転がった。
ペンを持って、とにかく紙に書く。
〔まめは、スイの、〕
……家の娘。違う。段取り係。違う。看板娘。もっと違う。
ペンが勝手に〔こ〕まで書いたので、私はそれを、真っ黒に塗りつぶした。
セーフ。スイは、こっちの字が読めん。
……ん? 読めんなら、この返事、どうやって村の字にすると?
「書けたら、読みあげてくれ。八月と同じだ」
声に出して、言わないかんと!?
スイの目の前で!?
選果機なら、転がすだけで、どこかの穴にちゃんと落ちるのに。
私だけ、どの穴にも、落ちん!




