第31話 繁忙期の助っ人は秘密に弱い
ライバルは、大きなリュックで来た。
十一月十二日、火曜の朝。町の駅前のロータリーで、私は段ボールの〔立花 みかん〕をダッシュボードに立てて、ハンドルを握りしめている。
改札から出てきたのは、日に焼けた、目のきれいな女性。
私の上半身くらいあるリュックに、腰には使いこんだ革のケース。
ケースからのぞいているのは、マイばさみの柄だ。プロの匂いがする。
「立花さんですか。沢渡ほのかです。よろしくお願いします」
畑の端から端まで呼べば届きそうな、明るくてよく通る声だ。
二十五歳で関東の生まれ、農作業の手伝いをしながら、日本じゅうの畑を回っているらしい。
「顔のいい人、いると思って来ました」
……は?
「募集の写真の奥に、後ろ姿が写ってて。あれ、絶対に顔がいいと思って」
募集の写真は、颯太が園を五枚撮って載せた。「スイさんは全部よけた」と、胸を張っていた。
後ろ姿は、よけていなかった。
颯太ーっ!
リュックを荷台にゴムひもで留めて、〔立花 みかん〕を伏せて走りだすと、助手席のほのかさんは、窓の外の海を見ながら、回ってきた畑の話をする。
「みかんは、去年の冬が愛媛の八幡浜で、その前が和歌山の有田」
夏から秋のはじめは、北のほうで、じゃがいもとりんごを穫ってきたそうだ。
今年は、行ったことのない産地に行こうと決めて、九州は初めてらしい。
じゃがいも、りんご、みかん。日本の秋を、北から順番に穫りよーやん。
話しながら、膝の上で、マイばさみを開いたり閉じたりしている。
その手の甲が、私と同じ焼け方をしていた。
日焼けの場所まで本職やん、手強い。
足もとの長靴だけは、新品みたいにきれいだ。
「産地を出るたびに、土を落として洗うの。よその土を、次の畑に持っていかないように」
恋のライバルは、たいてい美人で、性格がよくて、仕事ができる。……三つとも、当たっとー。
作業場の前で、スイが空のコンテナを抱えて待っている。
軽トラを降りたほのかさんが、そこで足を止める。
「……前から見ても、顔がいい」
感想が、正直すぎる。前から見ても顔がいいことくらい、私は半年前から知っとー。
「沢渡ほのかです。よろしくお願いします」
スイは名前を聞いて、少し首をかしげた。
「さわたり。……沢を、渡る?」
「え? あ、はい。そういう字です」
「君の働いた畑の水は、どこから来ていた」
「……水?」
初対面の第一声が、水。
スイは、いつもどおり顔より水で、ほっとした。
でも、よその畑の水の話なんか、私は一個も持っとらん。ほのかさんは、山ほど持っとー。
◇
じいちゃんが、収穫ばさみの柄で私を指す。
「今日の段取りは、まめが組め」
任された! 一日まるごとの段取りを、私が!
まずは、雨で止まった上の段の宮川早生の続き。きのうの午後から穫っていて、今日は露が乾く十時から。皮が浮く前に、穫りきる!
「ほのかさんは、うちと組みます。浮きの確かめ方を教えるけん。スイは、じいちゃんとモノレールの積みこみ」
教える係は、教わる人の隣にいるべきである。これは教育の基本で、やきもちではない。
ほのかさんは、はさみを抜いて、私の手もとを一度だけ見る。
「ここ、二度切り?」
「二度切り」
「了解」
それだけで、もう切っていた。
一回目は軸を長めに残して切って、二回目に、へたのきわで切りそろえる。軸が残ると、かごの中でほかの実を刺してしまうからだ。
ぱちん、ぱちんと鳴る音が、速くて、迷いがない。
私より、ちょっと速い。ちょっとだけ。ほんの、ちょっとだけ。
満杯のコンテナに手をかけかけて、ほのかさんは自分で止める。
「満杯は持たない。腰を痛めたら、次の産地に行けないから」
あっさり言って、自分の腰を一回ぽんとたたく。
その箱は、スイが抱えて、モノレールまで運んでいく。
私は、外側の色の濃い実を手のひらにのせて、親指で皮をそっと押す。
「それ、何してるの?」
「浮いとらんか、見よーと。皮が浮いとったら、ふかっと沈むけん」
ほのかさんがまねをして、三個目で指が止まった。
「……沈んだ」
「その子は、こっちのかご。うちのおやつ行き」
「あたし、いろいろ回ったけど、押して確かめるの教わったのは初めて」
目を丸くして、私を見る。なんか、うれしい。
そのとき、隣の木の下で、満杯のコンテナの横のスイが、箱の実を一つ手のひらにのせて、目を閉じかけているのが見えた。実の中の水を確かめる、いつもの癖だ。
「スイ! コンテナ、いっぱいやん!」
スイが目を開けて、コンテナを抱えに行く。
ゆうべ、離れから颯太の声が聞こえていた。「人前で、みかんを手のひらにのせて、目をつぶらんこと」。一つ目から、もう危ない。
昼は、石垣に並んで、母の作り置きのおにぎり。
ほのかさんが、スイの隣に座った。……座った。
「午後って、組み替えあり? スイさんと組んでみたいんだけど」
「私は、まめの段取りで動く」
スイは、おにぎりから目も上げずに即答した。
おにぎりの梅干しが、なんか、甘い。
「そっか。あ、そうだ、水の話」
ほのかさんが、海のほうを指さした。
「去年いた八幡浜はね、昔、日照りの年に、トラックで水を運んで、手でまいてたんだって」
ほのかさんの指が、海から山のほうへ動く。
「それで遠くから水を引いて、山に水槽をいくつも作って、いまは斜面のスプリンクラーで、水も薬もまくの。泊めてもらった家のおじいちゃんの受け売りだけど」
スイのおにぎりが、止まった。
「……日照りの年から、か」
それから、ずいっと、ほのかさんのほうへ寄る。
「その水槽は、いくつあった。水は、どこから引いた。管は、どこで分かれる」
おにぎりを持ったまま、質問が止まらない。
段取りで動くて、さっき言うたやん!
水の話で、負けとー!
◇
その晩、母屋の台所は七人になった。
客間には、ハツヨさんちの布団。きのう、颯太が坂を二往復して運んだ。
颯太は学校から帰ると、制服のまま、スイの隣の席に座る。相棒の席らしい。
「スイさんって、どこの国の人なんですか?」
ほのかさんが、肉じゃがの向こうから聞いた。
「遠い親戚筋で、外国育ちだ」
「外国って、どこの?」
「北のほうの、雨の少ない国だ」
颯太の五十二ページの身元資料の、ほぼそのまま。ゆうべ、離れで仕込まれた答えだ。
「連絡先、教えてもらえます?」
「電話を、持っていない」
これは本当で、スイへの用事は、だいたい私のスマホに来る。
「じゃあ、写真を一枚だけ……」
颯太が、先に箸を置いた。
「すみません。うちの方針で、スイさんの写真は、ネットに上げんでほしいとです」
それから、颯太は背筋をのばす。
「あと、募集の写真の後ろ姿。あれ、俺のせいです。よけたつもりで、よけきれとらんかった。……すみませんでした」
中学三年生が、机に額がつきそうなくらい、深く頭を下げた。
「今夜、写真、差し替えます」
顔を上げない颯太の耳が、赤い。
あとで、プリン一個おごっちゃろ。
ほのかさんは笑わずに、少しだけ待ってから口を開く。
「顔、上げて。農家さんの写真は、勝手に上げない。それ、あたしの決まりだから」
そう言って、スマホを伏せる。
悔しいけど、この人、ちゃんとしとー。見直した。
ほのかさんが、水差しの水をスイのコップについだ。
「その水は、どこから来た」
スイが、真顔で聞く。
七人の台所が、一瞬で、しんと静かになった。
「スイさん、水道マニアなんです」
颯太が、間を置かずに言う。
机の下で、ごつ、と小さな音がして、スイの肩がちょっとだけ跳ねた。
「……町の水道たい」
父まで、まじめな顔で答えた。
ほのかさんは「マニアかあ」と笑って、それ以上は聞かなかった。
洗い物は、ほのかさんと並んでした。
「で、まめちゃん。スイさんと、付き合ってるの?」
皿が、一枚すべった。
「つ、付き合っとらん!」
「じゃあ、狙っていい?」
「だめ」
自分でも、びっくりするくらいの速さ。
ほのかさんは、泡だらけの手で笑った。
「冗談。よその畑の実は、勝手に穫らないから」
「うちの畑やないし!」
言い返してから、気がついた。
うちの畑やないなら、さっきの「だめ」は、何の「だめ」なん!?
◇
十三日。四人いると段取りが回って、上の段の宮川早生は、あしたの午前で穫りきれる。段取り係、二日目も絶好調!
向こうの木のほのかさんは、かごを空けに来るたびに、スイの横顔をしっかり見ていく。
「いい顔を見ると、次の木が速くなるんだよね」
燃料、スイなん!?
昼前、脚立の上から見下ろすと、脚を押さえたスイが、下から私を見上げていた。いつもと反対で、なんかくすぐったい。
私が下りるのを待って、スイが小声で言った。
「ポンプ小屋の前のコップの水が、朝から少し変だ」
わせだ。
向こうの世界から、水から水へ渡って手紙を運んでくる、手のひらくらいの、いつも濡れた獣。払いは、みかん。
仕事じまいに、かごとは別の小さな袋へ、おやつ行きを四つと、ちゃんとした実を四つ。準備は、ばっちり。
夕方、仕事が終わると、ほのかさんがスマホを持って、じいちゃんに聞いた。
「上から海、撮っていいですか」
産地ごとに、いちばん高い所から景色を一枚だけ撮るらしい。じいちゃんは「おう」とうなずいた。
うちの園のいちばん高い所は、池の横の、ポンプ小屋のすぐ前だ。
「あ、案内します!」
急ぐ。でも、石段は一段ずつ。
池のフェンスの前で、ほのかさんは看板を読んだ。
〔危険 はいるな〕
「はい、入りません」
看板に、ちゃんと返事をしている。
ポンプ小屋の前のコップの水面が、ふるえていた。北の風か、わせか。
わせやった。濡れた小さな頭が、水面から半分だけのぞいて、こっちを見ている。
「え、かわうそ?」
ほのかさんのスマホが、持ち上がりかけた。
「池の、主です!」
口から出たのが、それだった。
「主、ちっちゃ!」
「主は、写真に写らんとです!」
自分でも、何を言っているのか分からない。
ほのかさんは、スマホを下ろした。
「主ね。了解。……その家の決まりだもんね」
片目をつぶってみせた。主の中身は聞かない、という顔だ。
それから笑って、段の西の端のほうへ景色を撮りに行った。
日は岬の肩に引っかかって、その下の海が、金色の板みたいになっている。
ほのかさんと入れ違いに、スイが上がってきた。
セーフ。主、セーフ。……と思ったら、主がコップから体を半分出して、爪を四本立てた。
「……ツケが一つ、今日の分で二つ。それと、見られた分が一つ、だと言っている」
「見られたのは、そっちの出方のせいやろ!」
見られ料て、何!? そんな料金、いつ決めたと!?
わせは、爪を一本も引っこめない。
まずは、袋の上のほうから、おやつ行きの宮川早生を四つ。
わせは前足で一個ずつ押して、沈む実を、全部押し返してきた。
覚えるの、早すぎん? 朝から、コップの中で見よったと?
袋の底から、ちゃんとした実を四つ出して並べると、わせはやっと背中の油紙の袋を開けた。
今日は紙一枚やなくて、封筒が二通。
スイが一通目の表を見て、二通目の表を見て、手を止める。
「……豆へ、と書いてある」
豆。
八月、スイは弟子のミロへの手紙で、私を村の字の「豆」と書いて、「豆は、話しません。誰ですか」と返された。
そのときスイは、「次の返事で、書く。豆は、豆ではなく、まめだと」と言った。
「まめ宛てだ」
異世界から、私宛ての手紙が来た。
……なんで、「豆」のまんまで届いとーと!?




