第30話 またのお越しをお待ちしております
「まめちゃん、品評会、惜しかったねえ」
日曜の朝、開店前の直売所で、地区のおばあちゃん三人組から、飴が六つ来た。
いつもは一人一つで、三つ。負けた週は、倍らしい。
「二等やったげなね」
「惜しかったねえ、二等」
「……二等は、ございませんでした」
看板娘の声で、きっちり直す。
当番の日の私は、標準語を着て売り場に立つ。
標準語は、仕事着である。
発表は一等だけで、うちは一等ではなかった。
噂は一週間で、うちを勝手に一つ昇格させていた。
十一月の芹ヶ浦ふれあい市は、どの棚もみかんだ。
右の棚も左の棚も袋の中は橙色で、よその家の棚まで、今日は全部ライバルに見える。
その橙色の真ん中に、旗が一本立っていた。
〔芹ヶ浦地区 品評会 一等〕
太い手描きの字で、王子の棚だ。
本人は朝いちばんに棚を作って、雨の前に穫るからと園へ帰ったらしい。
いないのに、旗だけがやたら元気だ。
いいもん。うちの棚には、今日の秘密兵器がある。
〔宮川早生 初物〕
十月の北原早生のあとに来る、うちの二番目の早生だ。
おとといの金曜に上の段で穫って、作業場の日陰で二晩寝かせた。
先週のどしゃ降りをくぐった実なので、じいちゃんは一個ずつ手のひらにのせて、親指で皮をそっと押した。
皮が浮いた実は、押すとふかっと沈む。
じいちゃんの親指の検問を通った、沈まない精鋭だけが、ここに並んでいる。
値札は私の手書きで、袋の口のシールは、店の機械が打ち出す。品の名前と値段と、しましまのバーコードと、出した人の名前。
〔立花 茂〕
会員は、じいちゃんだ。
毎朝見回っとー実なのに、私の名前は、袋のどこにもない。
……べつに、いいけど。
「まめ。これは、どこだ」
段ボールを抱えたスイが、後ろに立っていた。
秋の日曜の店は、箱が多い。
上の段の満杯の箱は父が運ぶので、じいちゃんはスイを店に回した。
五月の母の日には、この売り場で、甘夏の箱を抱えたまま固まっていた。
「右の、いちばん下」
今日は、重たい箱を、膝を曲げてすっと下ろす。
三人組の目が、六つそろって、そっちへ動いた。
慰めの時間、三十秒。
八時前、じいちゃんが一輪車で、初物の残りの箱を押して坂を下りてきた。
穫りはじめる前に運んでおいて、八時半からは、父と母と三人で上の段を穫るそうだ。
箱を店先に積んだじいちゃんは、青ものの棚の前で三人組につかまった。
じいちゃんにしては、長く話しこんでいる。
初物の自慢やろう。
じいちゃん、あれで、宮川早生にはちょっと甘いけん。
ハツヨさんが「あらまあ」と口を押さえるのが、値札の向こうに見えた。
自慢にしては、驚きすぎやない?
九時。開店の音楽が鳴ると、お客さんは、まず旗の下へ行く。
悔しいことに、王子の北原早生から、袋が先になくなっていく。
旗に書いてあるのは、王子の名前やなくて、みかんの成績だ。
そりゃ、売れる。
売れるけど、悔しいー!
◇
十時が近づくと、駐車場に、町のほうの車が次々に入ってきた。
十一月の日曜は、みかんを買いに来る人の日だ。
「いらっしゃいませ。本日は、宮川早生の初物でございます」
初物の札の前で、お客さんの足が止まる。
一袋、二袋とレジを打って、袋を渡して、頭を下げる。
「ありがとうございました。またのお越しを、お待ちしております」
これを、今日はもう十回は言っている。
言うたびに、箱を運ぶスイの手が、ちょっとだけ止まる。なんで?
十時すぎに、小さな女の子が、レジの前に走ってきた。
小学一年生くらいで、黄色い長靴をはいている。
後ろから、お父さんが傘を二本持って追いかけてきた。
「しげるのみかん、ください」
しげる?
「しげるは、祖父でございます」
「すみません。二週間前の日曜に、ここで買ったんです。袋に、そう書いてあったので」
お父さんが、ラベルの〔立花 茂〕を指さした。
思い出した。
二週間前の日曜の夕方、売れ残りを引き取りに来たら、降りだして空いた売り場で、黄色い長靴が一人、うちの北原早生の前にずっとしゃがんでいた。
帰りぎわ、当番でもないのに、つい看板娘の声で「またのお越しを」と言ったのは、私だ。
「この子が、二週間、ずっと『またのおこし』って言うんですよ」
女の子が、両手をそろえて、深々と頭を下げる。
「またのおこしを、おまちしております」
深い。私より、十五度は深い。
「あのみかん、二日でなくなったけん。また来た」
袋の十個を、二日で。
五月の白い花から、毎朝見てきた、下の段の北原早生だ。
日照りの夏はスイと一滴ずつ水を足して、台風の晩も越えてきた。
「ほんとに!? うれしいっちゃけど!」
口から、博多弁が飛び出した。
標準語が脱げたのは、五月の母の日、入口のカーネーションのバケツの前以来だ。
「……失礼いたしました」
お父さんが笑って、北原早生を二袋と、初物を一袋、かごに入れた。
「ありがとうございました。またのお越しを、お待ちしております」
「また来る!」
黄色い長靴が、駐車場へ跳ねていった。
「……本当に、来た」
空の箱をたたみながら、スイが駐車場を見ていた。
「あの言葉は、効くのだな」
「言葉やなくて、みかんが効いたと!」
うちのみかんは、うまい。品評会で負けても、あの子の二日が証拠だもん。
昼の少し前、スイが箱を置いて、入口へ歩いていった。
外を見て、言う。
「来る」
「誰が?」
「雨だ。海の上の水が、こっちへ動いている」
予報は「昼から」。
スイは「今」。
二人で、店先に積んでいた初物の箱を、軒の下へ入れる。
最後の一箱を入れたとき、駐車場に、黒い点がひとつ落ちた。
スイが、入口に立った。
両手を体の横にそろえて、雨に向かって、まっすぐ頭を下げる。
「……いらっしゃいませ」
……ん?
「あら、男前が、雨に営業しよる」
休憩所のベンチから、キミ子さんの声がした。
「いつもは、軒下で一回、頭下げるだけやん! なんで今日だけ接客なん?」
「店では、来た者に、こう言うのだろう」
本日いちばん丁寧にお迎えしたお客さま、雨。
お買い上げ、なし。
◇
午後二時。雨は細いまま、スマホの予報では夜までやまない。
お客さんの車はぽつりぽつりで、売り場は開店休業だ。
雨の日の直売所の休憩所は、地区の茶の間になる。
三人組は、値段を見て回ったあとここに陣取って、雨が上がるまで帰らないつもりらしい。
湯のみを並べて、トシエさんの漬物まで出てきている。
売り場より、あっちのほうが繁盛しとー。
私は、減った棚に、北原早生の袋を足していた。
スイは隣で、空の段ボールをたたんでいる。端をそろえて、角を合わせて、一枚ずつ。
「まめ」
「なん」
「もう一度、あの声で、言ってくれないか」
「何を」
「またのお越しを、お待ちしております」
スイの声で言うと、なぜか神社の祝詞みたいに聞こえる。
「あんた、住んどーやん」
「住んでいる」
「住んどーなら、またのお越しは、ないやん」
うちの離れで寝て、うちの台所で朝ごはんを食べて、うちのコンテナを運んでいる。
お越しも何も、毎日おる。
スイは、たたんだ段ボールを、端をそろえて床に置いた。
「五月に、ここで、明日はどちらの君だと聞いた」
母の日の片づけで、空の箱を積みながら聞かれて、私は「畑やけん、こっち」と答えた。
「そっちのほうが、話しやすい、と私は言った」
「……言うた」
だから、標準語の私は売り物用だと、ずっと思っていた。
「さっき、あの子の前で、どちらのまめも出ていた」
あの「うれしいっちゃけど!」も、「失礼いたしました」も、ちゃんと見とったっちゃん。
「今は、どちらも、まめだと分かる」
スイが、まっすぐこっちを見る。
「だから、どちらの声も、聞きたい」
……は?
顔に、雨の湿気が全部集まってきた。
ずるい。そういうことを、段ボールをそろえる手のまま言うのは、ずるいよね。
「言うてやりんしゃい、まめちゃん」
休憩所から、ハツヨさんの声が飛んできた。
「減るもんやなかろうもん」
「はよ」
三人組が湯のみを置いて、全員こっちを向いている。聞いとったと!?
逃げ場がない。こういうときに限って、お客さんはちょうど途切れている。
私は袋を棚に置いて、エプロンの前で両手をそろえた。
息を吸う。標準語を、着る。
「……またのお越しを、お待ちしております」
お辞儀は、きっちり十五度。お客さん用だ。
スイの目じりが、少し下がった。
「では、毎日、来る」
休憩所が、沸いた。
「毎日来るげな!」
「あらまあ、まめちゃん!」
「はい、飴」
トシエさんがベンチから立って、飴を一つ持ってきた。今日、七つ目。
「毎日て、住んどーだけやん!」
言い返したのに、スイは「そうだ」とだけ言って、また段ボールをたたみはじめた。
漫画やったら、ここで背景に花が飛ぶ。うちの場合、住所の確認である。
住んどーけん、毎日来る。当たり前の話なのに、なんで、こんなにうれしいとやろか。
◇
閉店の音楽が鳴りはじめても、雨はまだ降っていた。
最後のお客さんは、傘をたたみながら入ってきて、北原早生を一袋だけ買っていった。
「ありがとうございました。またのお越しを——」
「毎日、来る」
段ボールの山の向こうから、返事が来た。
「あんたに言いよらん!」
お客さんが、笑いながら傘を開いて帰っていく。もう、決まりになっとーやん。
初物、完売!
空いた棚から、〔宮川早生 初物〕の札を外す。
袋に私の名前はないけど、この札の字は、私の字だ。
札は、エプロンのポケットに入れた。
休憩所の三人組が、傘を広げながら出てきた。
「まめちゃん。茂さんとこ、布団の一組、要るげなね」
「うちのを貸すけん、あとで颯太くんに取りに来させんしゃい」
「布団?」
飴の次は、布団が来た。誰の?
「県外から、若か子が、泊まりで手伝いに来るっちゃろ? 火曜から」
「品評会の晩に、茂さんが頼んだとよ。颯太くんが、スマホで人ば頼めるごと、してやったげな」
「『人件費たい』て、言いよんしゃった」
……人件費。
スイの作業着の封筒の〔設備投資〕、ダムの封筒の〔研修費〕に続いて、じいちゃんの名づけは、とうとう人間まで来た。
朝の長話は、初物の自慢やなかった。布団の相談やった。
「なんで、うちが、いちばん最後に知ると!?」
昼に来た母のメッセージを、もう一回開く。
【母】モノレールの最後の台車、降る前に下ろしたよ。宮川早生は、まだ半分以上、木に残っとー
暖かい秋に、先週のどしゃ降りと今日の雨。あしたの昼から木曜まで晴れ。乾いたら、皮が浮く前に、一気に穫らないかん。
平日は、父は会社、母は加工所、颯太は受験生。じいちゃんと私とスイ、三人。……どう数えても、足りん!
言うたら、うちが「三人でやれる」て言うけん、じいちゃん、黙っとったっちゃろ。
言うね、絶対。
県外から来る、若い子。男前と、一つ屋根の下。この並び、知っとー。ライバル登場の回やん!
しかもうちには、絶対にばれたらいかん秘密が、一人おる。
スイが、私の横で首をかしげた。
「その人が来たら、私も、いらっしゃいませと言えばいいのか」
私は、町のほうから車が入ってくる道へ向かって、両手をそろえた。
「……そちらのお越しは、お待ちしておりません!」
三人組が、傘の下で吹き出した。
いや、待って。みかんに嘘は、つけん。
「人手は、お待ちしております! 人手だけは!」




