第29話 悔しいけどうまい
作業場の机に、みかんが十五個並んで、面接を待っている。
面接官は、じいちゃんと颯太と私の三人で、スイは見学だ。
「では、一番の方」
颯太が一個目を持ち上げて、窓の光にかざした。
十一月三日、文化の日の今日は、品評会の日だ。
十五個は、じいちゃんが待たせた三本の木の内側を、力丸さんの指定どおり雨の前の三十一日に全部穫って、その中から選んだ候補だ。
じいちゃんの「十一月まで」は、一日足りんかった。
そのあと二日のどしゃ降りのあいだは、誰も外に出なかった。
今朝、明るくなってからじいちゃんとスイが見回ったら、溝の口に落ち葉がたまっていただけ。
十五個はそのあいだ、作業場の風の通る日陰で、新聞紙を敷いたコンテナに一段ずつ並んで、雨の音を聞いていた。
雨の前に穫った私たち、えらい。
この十五名から、大きさも色もそろった五名を採る。
私の糖度計は汁を搾らないと測れなくて、出す実は切れないから、手と目で選ぶしかない。
じいちゃんが物置から、ほこりをかぶった板を出してきた。
大きさの違う丸い穴が、端から順に並んでいる。
「うちでは、階級板て呼びよる。押しこむな。のせて、落ちるか落ちんかを見る」
じいちゃんが板を両手で持ち上げて、颯太がその下で、両手を皿にして構える。
一個ずつ、へたを上にして、穴の上にそっとのせる。
すとん。颯太の手のひらに抜けた。次の穴。……のった。
四名が、同じ穴の上でぴたりと止まって、一次面接を通過した。
問題は五名目で、最後まで残ったのは二つ。
一つは、色がほかの四個とそっくりで、ほんの少しだけ小さい。
もう一つは、大きさはぴったりなのに、へたのまわりが、ほんのり淡い。
「スイさんの魔法で、どっちが甘いか分からんと?」
颯太が、こっそり聞く。
「甘さは、分からない」
スイは十五個を一個ずつ手のひらにのせて、少し目を閉じた。
「どれも、皮と実のあいだに、水のない所はない。分かるのは、そこまでだ。色は、まめの目のほうが確かだ」
浮いとー子は、一個もおらんってこと。
……それより、今の、ちょっとうれしいのは、なんでやろ。
「じゃあ、俺が色の係する」
颯太はスマホを出して、四個と候補の二つを一列に並べて撮った。
画面の中だと、淡いほうの実だけ、へたのまわりがはっきり黄色っぽい。
「ほら。人間の目より、正直」
中学三年生が得意げな顔をしていて、実際、役に立っている。
中三に、負けた。
私は、じいちゃんを見た。
「お前の品評会たい。お前が選べ」
それだけ言って、じいちゃんは腕を組んだ。
面接官、一名、黙秘。
二つの実を、左右の手のひらにのせる。
小さいほうは見た目より軽くて、淡いほうは大きさの割にずしっと重く、皮がぴんと張っている。
汁が、詰まっとー。
食べておいしいのは、たぶん、こっち。
品評会は、五個のそろいも見る。分かっとー。分かっとーけど。
うちの木の、いちばんおいしい実を出したい。
「……こっち」
私は、淡いほうを、四個の横に並べた。
並べると、一個だけ、へたのまわりがほんのり淡い。
それでも、これが、うちの五個だ。
◇
品評会の会場は、坂の下の公民館の二階だ。
受付の机で、力丸さんが待ち構えていた。
出品は五人。うちの地区の若手は私と王子の二人しかいないので、力丸さんが隣の地区から三人呼んだ。
「二人では、比べる条件として足りませんので」
理由まで、きっちりしている。
品種は北原早生にそろえて、出品者の名前は外し、五個の実を、番号札つきの大きな紙皿へ移す。
私は、三番。
へたを上にして、全部同じ向き。窓のカーテンまで、きっちり半分。光の当たり方まで、同じにしとー。
「糖度と酸は、私がJAの機械で測ります。外観と食味は、部会の方に見ていただきます。試食用は、審査とは別に、お一人二個です」
うちの試食用の二名は、補欠の十名から連れてきた。
審査は、町の柑橘部会の役員さん三人。出品者の家族は外す決まりで、役員の王子のお父さんも、今日は外れた。
審査の三人と出品者の誰も親戚でないことまで、力丸さんが確かめたそうだ。
そこまで、すると?
じいちゃんは、そもそも来ていない。「結果は、晩飯のときでよか」だそうだ。
出品者が並んだ真ん中で、王子が胸を張った。
「本日は、地区のみかん王子・吉武光司の——」
「お名前は、外していますので」
力丸さんの一言で、王子は咳払いをして座った。
今日も、滑りが早い。
襖が閉まると、出品者は外の広場に出された。
待つ。とにかく、待つ。
王子は広場の反対の端で腕を組んで、空を見ている。たぶん、何も見ていない。
広場を三周して、四周目で、スイがいないのに気づいた。
探すと、公民館の裏の駐車場の隅で、地面を見ていた。
「スイ?」
「……夏祭りの晩から、この下に、四角い水があった」
スイが、声を落とす。
「動かない水だ。何のための水だ」
見上げると、赤い標識が立っていた。
〔防火水槽〕
「防火水槽! 火事のときの水を、地面の下にためとーと」
スイの顔が、ぱっと明るくなった。
「この地区は、火のためにも、水を取っておくのか」
「なんで今日まで聞かんと!?」
「今日は、待つ時間が長い」
理由が、正直すぎる。
スイは標識の下にしゃがんで、読めない字を、長いこと見上げていた。
その横顔を見ていたら、おなかのぎゅっとしたのが、少しゆるんだ。
「四十トンくらいあるらしいよ。消防団のお父さんが言いよった」
頭の上で、窓の開く音がした。
「消防の決まりでは、四十立方メートル以上です。この水槽は、測っていません」
力丸さん!? 二階から!? そこ!?
「……お待たせしました」
おなかが、また、ぎゅっとなった。
◇
二階の和室に、五枚の紙皿が戻ってきていた。
どの皿も、五個のうち一個が、測るために切られている。
部会の役員のいちばん年上のおじさんが、咳払いを一つ。
「一等は、一番。吉武くん」
……知っとった。いや、知らんかった。でも、なんとなく分かっとった。
王子は「おっしゃ」と小さく言って、慌てて王子の顔に戻った。
講評の紙が、一人ずつ配られる。
〔三番 甘さ、よし。色のそろい、もう一歩〕
甘さ、よし。……うちの木、甘さ、よし!
もう一歩は、私が採用した、あの五名目のことだ。
へたのほうだけ、色が追いつかんかったとやろ。たぶん。
選んだのは、私。だから、言い訳はない。ない。……ないったら、ない。
「では、試食にしましょう」
力丸さんが、試食用の実を番号の順に並べていく。
一番の実を、一房。
噛んだ瞬間、口の中で、ぷつっと弾けた。
甘いのと、ほんの少しの酸っぱさが、手をつないで入ってくる。
みかんのくせに、仲がいい。
悔しい。ものすごく、悔しい。
「……うまい」
言うつもりのなかった声が、勝手に出た。
王子が、こっちを見た。文句が来ると思っていた顔のまま、固まっている。
「……お、おう」
「何したと? 五月、花で真っ白やったやん、あの斜面」
王子は、王子の顔をやめた。
「七月に落として、八月の終わりに、もう一回。小さかとも、傷のあるとも、上向いとるとも、迷わんで全部」
「全部で、どのくらい?」
「七月と八月で、合わせて、半分」
「半分!?」
石垣の上から「今年も真っ白ばい」と自慢された、あの斜面の、実の半分。
みかんの話になると、王子の声は急にふつうになって、ちゃんとかっこいい。
負けた日に、かっこよくならんでほしい。
スイが、自分の一房を皿に置いた。
それから王子のほうを向いて、まじめな顔で言った。
「王子。まめが、うまいと言った」
「言わんでいいけん!」
「大事なことだ」
大事なことらしい。顔が熱い。
私は、王子に指をつきつけた。
「来年、見ときーよ!」
あの石垣の下で言った台詞を、今度は、負けたあとで言う。
王子は腕を組んで、鼻を鳴らした。
「お前んとこは今年、木の休んどったろうが。来年は花の多かろう」
「……それが何」
「実の多けりゃ、そろった五個ば選ぶとは楽たい。それで勝っても、おれは認めんぞ」
「あんたも今年、花の多い年やったやん!」
「やけん、半分落としたったい。選ぶ前に、落とすと」
ぐうの音も出ない。
「……なら、うちも落とす。迷わんで、落とす」
「おう、見ちゃる」
あのときと、同じ返事。
でも今日の王子は、ほんのちょっとだけ、先輩の顔をしていた。
◇
午後の勉強会と片付けが終わったころには、空が橙色になっていた。
家へは坂を上れば十五分なのに、私はわざと海沿いの道を選んだ。
遠回りした理由は、一つ。手を、つなぐ。
沈みかけた日は岬の向こうで、海じゅうが光っている。
「王子の実は、そんなにうまかったか」
「……うまかった。悔しいけど」
「悔しいのに、言った」
「うまいもんは、うまいやん。木に嘘はつけん」
スイは、少しだけ笑った。それだけ。
それだけなのに、なんか、褒められた気がする。
右手を出す、その前に、口のほうが先に動いた。
「……今日、スイが隣におってよかった」
言ってから、しまった、と思った。
スイが立ち止まって、夕焼けの中で、まっすぐ私を見る。
「……今のは、実の話か」
「み、実の話! 品評会の、実の話!」
そうか、とスイはうなずいた。
「では、みのり」
今!? ここで!?
実の話のときだけ、スイは私を名前で呼ぶ。その決まりの上に、自分から乗った。「実の話」て言うたの、私やん!
自分で、地雷を踏んだ。
二週間前は、名前で呼ばれたくて朝から実の話を三回仕掛けて、三回とも「まめ」で返された。
その名前が、よりによって、手をつなぐ一歩手前で来た。
右手は行き場をなくして、私のポケットに帰った。
「来年の、実の話をしよう」
「ら、来年の花芽は、ちょうど今ごろから、木の中で準備が始まって、たぶん花の多い年で、いっぱい咲いて、迷わんで落として……」
なんで今、摘果の段取りまで説明しよーと? 私。
スイは、また歩き出した。
「では、話も、いっぱいだ」
いっぱい、て言った。来年の話を、いっぱい、て。
品評会は負け。王子のみかんの甘いのと酸っぱいのは手をつないどったのに、私の手は、ポケットの中。
なのに、なんで私の足、スキップしよーと!?
スキップのまま家に着いたら、日曜の晩ごはんは、家族六人で湯豆腐だった。
「どうやった」
じいちゃんが、箸を止めずに聞く。
「……負けた。一等は、王子」
「そうか」
それだけ!?
すると、スイが箸を置いた。
「茂どの。まめが、うまいと言った」
「スイ! それ、今日二回目!」
じいちゃんの箸が、止まった。
黙って立って、茶の間の棚から帳面を出して、何か書いている。
のぞきこむ。
〔十一月三日 晴れ。品評会、負け。まめ、うまいと言うた。晩、湯豆腐〕
「湯豆腐はいいけど、そっちの行は、いらんやろ!」
「そっちが、いる」
じいちゃんは、帳面を閉じた。
スイが、自分の野帳を出してきた。
「では、私の帳面にも、書いておく」
読めない字が、一行増えた。たぶん、湯豆腐まで書いとー。




