↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
30/40

第28話 浮皮の前に穫るか待つか

 じいちゃんの帳面には、天気と、薬と、なぜか晩ごはんが書いてある。


 十月二十一日、月曜日の朝。作業場の机で、その帳面と私の野帳が、にらみ合っている。


 正確には、にらみ合っているのは持ち主のほうだ。


「外側の、色の進んだ実から、今日のうちに穫るけん」

「品評会に出す実は、十一月まで待たせる。色の乗る。甘さも、たいがい乗る」


 じいちゃんの言い分に、うっかりうなずきかけた。


 きのうの夕方、ふかっと沈む皮をこの指で押すまでは、私もそのつもりだったから。


 父は会社、颯太は学校、母は加工所で、平日の作業場に残ったのは、言い合う祖父と私と、横で見ているスイだけ。


 スイに聞いても、木に成っている実の中の水は「ぼんやり」としか分からないので、今回は決め手にならない。


 今朝の六時、下から四段目の真ん中の木の印の実を、二人で測ってきた。


 懐中電灯はスイが持ち、私がノギスを当てる。七月から毎朝続けてきた、最後の一回だ。


 光の輪は、私の手もとから一ミリも動かなかった。


 水守の手、ぶれなさすぎやろ。ちょっと、かっこよかった。言わんけど。


 その野帳を、祖父の前に突き出す。


「この何日か、太り方が、夏の半分もないとよ。中が止まって皮だけ育ったら、浮くやん。今日は二十八度、あしたは雷。外側から穫らんと!」


 祖父は黙って、棚から古い帳面を一冊抜く。


 十月の頁の余白に、祖父の字がある。


〔浮きそうやけん、全部早う穫った。甘うなかった。晩、すき焼き〕


「すき焼きの情報、いる!?」

「いる。晩飯で、その日のことば思い出すと」


 ちょっと分かってしまう自分が、くやしい。


 すると祖父が、私の野帳をひょいと取って、めくった。


 数字の横の余白に、私の字。


〔スイ、懐中電灯の持ち方がうまい〕


 ……あ。


「この情報は、いるとか」

「いる! その日のことば思い出すけん!」


 スイがこっちの字を読めなくて、本気で助かった。


 そのスイが、祖父と私の顔を見比べて、ぽつりと言う。


「……茂どのとまめは、同じ顔で、同じことを言う」

「同じ顔やない!」

「同じ顔やなか!」


 声はそろった。語尾は、そろわなかった。


 そこへ、外からJAの軽自動車の音。


 来た。審判が来た!


 力丸さんは、貸していたノギスと水分計を受け取りに来た。


 シートの合わせ目をめくって水分計の管を二本とも抜き、穴を土で埋めて、シートを戻す。


 作業場に戻ると、力丸さんは野帳の最後の数字を見て、うなずいた。


「数字は、記録します」


 眼鏡の奥の目が、余白で一回だけ止まる。


「……余白は、記録しません」


 お気づかい、ありがとうございます!


 気を取り直して、私は身を乗り出した。


「力丸さん。外側から早う穫るのと、十一月まで待つのと、どっちが正しいと思います?」

「条件をそろえないと、どちらが正しいかは、言えません」


 知っとった。


「そこをなんとか!」

「そこをなんとか」


 祖父と私の声が、また、そろってしまった。


 力丸さんは眼鏡を押し上げて、言えることだけを、一つずつ並べる。


「北原早生は、十月の下旬ごろから、浮皮(うきかわ)が出やすくなります」


 浮皮。教科書なら太字で出てくるやつだ。うちでは三代そろって「浮く」で済ませている。


「出やすいのは、木の外側の、表に出ている実です。暖かくて湿った日が続くと増えます。雨だけではありません」


 机の下で、私は小さくこぶしを握る。


「十一月まで置くと、色は濃くなります。甘さは、上がる年も、変わらない年もあります」


 今度は祖父が、腕を組みなおす番。


「この木がどこまで待てるかは、言えません」


 結局、どっちの味方もせんとかーい!


 そのとき、スイが口を開いた。


「村では、日照りの年は、いちばん乾いた畑から先に水を配る。全部を一度には救えないから、危ない所から先に」


 ……危ない所から、先に。


「そのかわり、待たせる畑には、待て、と言いに行く。それが、いちばん難しい」


 私は、ぱちんと手を打った。


「外側から先に穫って、内側は待たせる!」


 祖父はしばらく黙ってから、帳面をぱたんと閉じた。


「……待たせる木は、おれが選ぶ。待てと言いに行くとも、おれたい」


 え、木に言い聞かせるつもり?


 待たせるのは祖父が選ぶ何本かの内側だけで、ほかの木は、月末の土日までに穫りきる。


 どっちも折れていないのに段取りは決まって、いちばん難しい役は、じいちゃんがさらっと持っていった。


  ◇


 早生の段の上の三段は、きのうの家族総出で穫り終えて、印の実の五つだけが残っている。


 十時、露が乾くと、まずその五つのテープを外して、穫った。


 七月から、おつかれさま。


 それから下の三段で、外側だけを穫っていく。


 祖父と私は、一本の木をはさんで、向かい合わせ。


 祖父のはさみが、葉の奥へ伸びた。


「それは内側やろ」

「外側たい。日の当たっとろうが」

「半分しか当たっとらんやん!」


 じいちゃん、けさ「待たせる」て言いよったやん! 手が、いちばん穫りよーやん!


 葉ごしに口げんかが飛ぶのに、二人の手は、同じ高さの実を、同じ速さで穫っていく。


 しゃきっ、しゃきっ。


 言い合いと、はさみの音が、気持ち悪いくらいそろう。


 なんで手だけ、仲良しなん?


 十月も下旬なのに二十八度なんて、夏が帰り忘れているとしか思えない。


 二十分おきに、じいちゃんを木陰に座らせて水を飲ませる。「いらん」と言う。飲ませる。


 平日で下で受けてくれる母はいないので、満杯の箱は乗せ場の日陰にためて、昼と夕方にまとめて下ろした。


 受け手は、コンテナ番一日目のスイ。母の代わりにしては、背が高すぎる。


 日が傾くころ、三段の外側は、ほとんど穫り終えた。


 コンテナは数えた。口げんかは、途中で数えるのをやめた。


 残ったのは、下から三段目の、上の段の石垣のすぐきわに立つ、いちばん背の高い木のてっぺんだけ。


「脚立は、あしたの朝。空の鳴らんうちに、二人でたい。上の段から、身ば乗り出して穫るなよ」


 上る係と、脚を見る係。シートの上には立てない。うちの決まりだ。


 あしたは、空と競争だ。


  ◇


 次の朝は、明け方にぱらぱら雨が来た。


 すぐにやんで、南東の風が葉を乾かしてくれる。


 七時半、シートをめくって、土の上に脚立を立てる。


 じいちゃんの長靴が、もう濡れていた。天気を見に行ったらしい。


 上るのは私、脚を見るのはじいちゃん、実を受け取るのはスイ。


 空は、まだ鳴っていない。雲も、海のずっと向こうだ。


 しゃきっ、しゃきっ。一個。しゃきっ、しゃきっ。二個。


 急げ、私。急げ、はさみ。


 最後の一個に、手を伸ばしたとき、海のほうの雲が、みるみる黒くなった。


「まめ、雲の来た! はさみしまえ。下りれ!」


 最後の一個が、目の前にあるのに!


 はさみを腰の袋に突っこんで、両手で脚立を下りる。


 ごろごろごろ……。


 思ったより、ずっと早い!


「木の下で雨宿りするな! 家まで歩け!」


 三人で段を下りる。急ぐ。でも走らない。


 てっぺんに、一個だけ置いてきてしまった。


 昼の雨はすさまじく、縁側のガラス戸ごしに見ると、段々畑が雨にかすんでいた。


 稲光のたびに、スイの顔がぱっと明るくなる。


「村の雷は、雨を連れてこない。音だけ鳴らして、乾いたまま帰っていく」


 スイは、ガラスにおでこがつきそうな顔で、白い雨から目を離さない。


「ここの雷は、ちゃんと雨を連れてくる」


 縁側に、二人。じいちゃんは奥で帳面。


 雷の縁側で、隣に男前。……これは、いける。


 私は、そっと一センチ寄った。


 次の稲光で、スイが、ガラスのほうへ二センチ乗り出す。


 離れたやん!


 また稲光が走って、その横顔が白く光った。


 てっぺんの一個の心配をしなきゃいけないのに、私の目は、そっちばかり見ていた。


 夕方には晴れ間が出たのに、夜中、また細い雨が屋根をたたく。


 布団の中で、私はてっぺんの一個に念を送った。


 あと一晩、ふんばってよ。


  ◇


 十月二十三日、水曜日。雨は、七時ごろにやんだ。


 濡れた木には触らずに、八時から通り道だけを見て回る。


 めくったままのシートの上に、脚立が寝ていた。きのうの夕方の風だ。片付けは、乾いてから。


 十時、皮も乾いたので、四段目の通り道に膝をつく。


 ふちの石には乗らない。じいちゃんが、私の作業着の背中をつかんでいる。


 子どもか、私は。


 石垣のふちから、てっぺんの、石垣側の一個に手が届く。穫るのは無理でも、押すだけならできる。


 腕を伸ばして、指で押す。


 ふかっ。


 二十日の浮きかけより、深く沈んだ。


「……浮いとー」


 当たった。


 当たったのに、ぜんぜんうれしくない!


 次は、じいちゃんが待たせた木で、奥の葉の裏まで乾いたのを軍手で確かめてから、内側の実を押す。


 皮は張っていて、指がすぐ中の実に当たる。


「……浮いとらん」


 あれ? この雨と蒸し暑さなら、内側まで浮くと思っていたのに。


 出やすいのは外側、と力丸さんは言った。てことは。


「じいちゃん。内側は浮きにくいって、知っとった?」

「知っとった」

「なんで最初に言わんと!?」

「聞かれんかった」


 おとといから、その話しかしとらんやん!


 スイが、待たせた木を見上げて、まじめな顔で聞く。


「茂どのは、この木に、待てと言いに行ったのか」

「行った。きのう、明るうなってすぐ。お前が脚立ば出す前たい」


 あの濡れた長靴!


「ほんとに言い聞かせに行っとったと!?」

「何と言ったのか」

「……言わん」


 そこが、いちばん知りたいとこやん!


 言い聞かせが効いたのか、もともと浮きにくいのかは、誰にも分からない。


 外側は私の勝ち、内側はじいちゃんの勝ちで、つまり引き分けやん!


「浮いた実は、傷みやすか。雨のすぐあとは、なおさらたい」


 じいちゃんの一言で、てっぺんの子は、あした穫って、うちのおやつ行きになった。


 十時半、野帳の写真を力丸さんに送る。余白は、指で隠して。


 お昼前、電話が鳴った。


「写真、拝見しました。月曜から考えていたのですが、外側を先に穫ったので内側が待てたのか、という点は」

「は、はい」

「条件をそろえないと、言えません」


 まだ考えよったと!? しかも、自分で出した問いに!


「それと、品評会の日が決まりました。十一月三日、文化の日です。審査は、部会の方にお願いしました。私は、条件をそろえる係です」


 係て。絶対、楽しんどー。


「吉武さんから、申し入れがありました。一個だとまぐれがあるので、一人五個にしてほしい、と。私も賛成です。審査では、五個のそろいも見ます」

「……五個!?」


 ちょっと待って。先週、軽トラの窓から「数やなか。味で勝負たい」て言うたの、どこの王子なん!


 裏年のうちの木で、じいちゃんが待たせた内側から、大きさも色もそろった五個。


 電話を切って、私は段々畑に向かって叫んだ。


「数で来とーやん、王子ーっ!」


 じいちゃんとは、声も、はさみの音も、勝手にそろうのに。


 肝心のみかんは、五個、そろうと?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。