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第27話 二十キロのコンテナに合格する日

「スイ、見て。この実、お尻のほうから色が回っとーやろ」

「ああ」


 ここまでは、いい感じだった。


「まめ。次のかごだ」


 ……まめ、なんだ。


 十月二十日の日曜日は、うちの家族総出の収穫の日である。


 きのうの雷雨と、ゆうべまでの雨がうそみたいに、北東の風で空がからっと晴れている。


 実の皮も、朝のうちに風がからからにしてくれた。


 おとといなんか、十月なのに三十一度。それにくらべたら、今日の涼しさは天国だ。


 五日前の石垣の上で、この人は私を「みのり」と呼んだ。


 どうやら、実の話のときだけ名前になるらしい。


 だから今日の私は、朝から実の話しかしていない。


 早生の段には、日曜で休みの父と颯太も来ている。


 父ははさみを持つと無口になり、颯太は三本目でもう腕をさすっている。早すぎん?


 さて、二回目の作戦。


 穫ったばかりの実を一個、スイの手のひらにのせるつもりが、気がついたら、かごごと差し出していた。


「重いやろ?」

「重い。……それは、かごの重さだ。まめ」


 そうでした。


 隣の木から、颯太がひょいと顔を出した。


「姉ちゃん、今日、みかんの話しかしとらん。怖い」

「みかん農家の娘が、みかんの話して何が悪いと!」


 そのとき、段の端から祖父の声が飛んできた。


「スイ。そのコンテナ、乗せ場まで持ってみい」


 祖父が指したのは、持ち手の高さまで実のたまったコンテナだった。


 スイがはさみを下ろして、まっすぐ祖父のほうを向く。


 じいちゃんの目が、仕事の目になっとーやん。


 コンテナに入れるのは、持ち手の高さまで。上に重ねたとき、箱の底で下の実を押さないように。


 うちで「二十キロのコンテナ」と呼んでいるこの箱を、満杯のまま持って石段を下りることはない。足もとが見えないし、踏み外したら箱ごと落ちる。


 段の上の通り道を乗せ場まで運んだら、あとはモノレールの仕事だ。


 祖父は自分では持たずに、横に立って腕を組む。


「片足ば前に出して、腰ば落とせ」


 スイが、言われたとおりにしゃがむ。


 三回目の作戦は、ここだ。


「スイ、持ち手の高さまで入れるとね、実がちょうど……」

「まめ、黙っとけ」


 祖父の一言で、三回目は試合にもならんかった。


「箱は体にくっつけえ。上げるときは、腰やなか、膝で上げる」


 すっと、コンテナが持ち上がった。


 いける。じいちゃん、これ、いけとーよ!


 と思った次の瞬間、スイが腰だけで、乗せ場のほうへ向きかけた。


「向きは、足で変えい」


 祖父の声が、ぴしっと飛ぶ。


 スイは止まって、足を一歩ずつ回し、体ごと乗せ場のほうへ向き直る。


 そのまま通り道を歩いていくスイを見て、私は「あ」と声が出た。


 コンテナの中の実が、ひとつも動かない。


 ころりとも、転がらない。


「……スイ、それ、どうやっとーと?」

「村では、水の桶をこうして運ぶ。揺らすと、桶の水は逃げる」


 なんそれ。かっこよすぎん?


「こぼすな、こぼすな、と歌いながら運ぶ」


 五月のカラオケ大会の夜に、スイが歌った、あの水汲みの歌だ。


 乗せ場に着くと、スイが箱を荷物台車の上に下ろす。


 並べ方と、ひもと、合図は、私。


 二段まで、前と後ろの枠にぴたりと寄せて、ゴムのひもで締める。


 荷物台車に乗るのは、荷物だけ。人は、歩く。


 台車を引っぱるエンジンの箱を、本機という。そのレバーに手をかけて、私はレールの先を見た。


 下の段のほうには、誰もいない。母は受け台の横に下がって、手を上げている。


「出すよー!」


 本機が、ごとん、とうなって下りはじめる。


 じいちゃんが何年か前に中古で替えた本機は、急な所でエンジンの音が一段低くなる。癖まで中古。


 分かっとっても、毎回ひやっとする。


 止まれ、止まれ……はい、ぴたり!


 朝のうちに、作業場の前の止め具を、二段の受け台と台車の高さがそろう所に付けておいた。


 この本機は止め具に当たってから少しだけ進むから、そのぶん手前に。


 下から、母の声が上がってきた。


「着いたよー!」


 母は上の箱から順に、持ち上げずに横へ滑らせて、受け台に下ろしていく。


 隣で見ていたスイが、ぽつりと言った。


「まめの台車は、止まる前から、止まる所が決まっている」


 ……そ、そうやろ? うちの止め具の腕、ちょっとしたもんやろ?


 下から母の「上げるよー!」が聞こえて、空の台車が上がってきた。


 乗せ場の止め具で止まってから、祖父はスイを本機の横に呼んだ。


「止め方は、改めて見せとく。家のもんは全員、知っとかんといかん」


 スイは止めるスイッチを、じっと見ている。


 ……ん? いま、家のもん、って言うた?


 祖父は腕を組みなおして、合格とも何とも、まだ言わなかった。


  ◇


 昼は、作業場の日陰で、母のまかない。


 大きなおにぎりと、豚汁と、甘い卵焼き。


「みのり、おかわりは?」


 母が、豚汁の鍋のふたを開ける。


 名前なら、お母さんから毎日もらっとー。欲しいのは、そっちやないとよ。


「……いる」


 父が湯のみを置いて、スイのほうを見る。


「スイくん。じいちゃんの『持ってみい』は、怖いぞ」

「怖い、とは」

「おれは、高校のときにやられた。一つでよかて言われたとに、二つ重ねて、いっぺんに持ち上げてな」


 父は笑って、腰を軽く叩く。


「腰ばやって、三日寝た」


 初耳なんですけど。


「それからたい。じいちゃんが、重さやなくて、持ち方ば見るようになったとは」


 祖父は、黙って卵焼きを食べている。否定は、しない。


 それどころか、卵焼きをのみこんでから、ぼそっと言った。


「あれは、持ち方ば先に教えんかった、おれの負けたい」


 じいちゃんが、自分の負けを認めた。今日いちばんの事件かもしれん。


「お父さん、それで会社員になったと?」


 私が聞くと、父は湯のみを持ち上げる。


「それは、また別の話たい」


 颯太が、おにぎりをくわえたまま手を挙げた。


「俺も、持ち方の合格したい」

「高校に受かってからたい」


 祖父の返事は、一秒だった。


 スイは、おにぎりを両手で持ったまま固まっている。目だけが、外のコンテナの山に行っとー。


 ……緊張しとるやん、この人。


  ◇


 夕方、段の端の最後の木で、最後のコンテナが持ち手の高さまでたまった。


 実の話作戦のことは、もう、すっかり忘れていた。


 午後はずっと、スイの膝と、足の向きと、箱の中の実ばかり見ていたから。


 持ち方の監督として。あくまで、監督として。


 スイが、箱のいちばん上から実を一つ取って、手のひらにのせた。


 ほかの実より少し長く見てから、作業着の胸のポケットに、そっと入れる。


 ……なんで?


 聞く前に、スイがしゃがんだ。


 足を前。よし。膝で上げる。よし。足で回る。よし!


 中の実は、やっぱりひとつも動かない。


 通り道を歩きながら、スイが小さく口ずさんだ。


「こぼすな こぼすな 桶の水」


 五月の夜、この歌を聞いた私は、スイが私の知らない桶を運んでいるみたいで、遠い、と思った。


 跳んでも届かないくらい、遠かった。


 その遠い桶の運び方で、いま、うちの段の実が運ばれていく。


 乗せ場でひもを締める指が、一回すべった。


 締めなおして「出すよー!」と声を張ると、台車がごとんと下りていく。


 祖父が、組んでいた腕をほどいた。


「……よか」


 よか!?


 じいちゃんが、よかって言った!


 隣の木で、父のはさみが止まった。


「……おれは、言われたことなか」


 颯太が、かごを抱えたまま叫ぶ。


「ずるか! スイさん、ずるか!」


 下の作業場から、母の声が上がってきた。


「なんてー? なんかあったとー?」


 あったよ、お母さん。じいちゃんが、よかって言ったとよ。


「明日から、コンテナ番は、スイたい」


 少女漫画には、こんな場面はない。師匠が弟子に奥義を授ける、これは少年漫画の一コマやん。


 うちの奥義は、足で向きを変えることと、膝で上げること。


 スイが、祖父に深く頭を下げる。


「茂どの。……引き受けた」


 引き受けた、の声が、いつもより少しだけ弾んでいる。


 家のもんの中に、コンテナ番が一人増えた。じいちゃんの「よか」つきで。


 それからスイは、胸のポケットから、さっきの実を取り出した。


 さっき私が、この端の木のいちばん外側の枝から穫った実だ。


「……みのり」


 来た、来た、来た! 実の話で、名前! 五日ぶりの「みのり」!


「この実は、ほかの実より、皮のほうに水が寄っている」


 ……え?


「皮と、中の実のあいだに、水のない所がある」


 私は軍手を外して、その実を指で押してみる。


 皮が、ふかっと沈んだ。


 いつもならすぐ当たる中の実が、ほんの少し遠い。


 祖父が実をのぞきこんで、低い声で言った。


「……浮きかけとる。浮いた実は、味のぼけて、傷みやすか」


 このところの暑さと、湿気と、ゆうべまでの雨。


 中の実はもう太らんのに、皮はまだ水を吸って育つ。それで、あいだが空いていく。


 スイが、隣の木の外側を見上げた。


「外側の実のほうが、皮に水が多い気がする。……成っているあいだは、ぼんやりとしか分からない」


 ぼんやりでも、スイの「気がする」は、だいたい当たる。


 品評会に出す実は、十一月の初めまで、木の上で待たせるつもりやったのに。


 せっかく、実の話で、名前で呼ばれたのに。


 五日待った「みのり」の用件が、浮きかけやった!

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