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異世界の水守さんと段々畑のみかん暮らし  作者: 御子柴 了一
第3章 夏の照らし合わせ
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第20話 存在しない親戚の説明会

 お盆の朝、うちの居間で、作戦会議が開かれた。


 議長は、中学三年生だった。


 議題は、存在しない親戚について。


 八月十四日、水曜日。


 颯太は、ゆうべほとんど寝ていない顔で、座卓に紙の束を置いた。黒い大きなクリップ。


 表紙に〔スイラン・アルナ・ナギア・ルーダ氏 身元資料 第二版〕。


 その横に、手書きの〔↑上〕。


 五月の直売所で、三人組に途中から聞いてもらえず、スイには逆さに持たれた、あの資料の続きだ。


 四十ページに、三晩。足した十二ページに、ひと晩。


「今日、十時に、清子(きよこ)おばちゃんと、真由美おばちゃんと、いとこが来る」


 真由美おばちゃんは、父の妹で、うちの親戚でいちばんよくしゃべる。


 清子おばちゃんは、祖父と年の離れた末の妹で、口数が少ない。一言ずつが、怖い。


「清子おばちゃんは、家系図を持っとー」


 颯太の声が、低くなった。


「毎年お盆に、巻紙の家系図を広げて、新しい人を書き足すと。異世界ものでいうたら、鑑定スキル持ちやけん」

「つまり」

「つまり、スイさんは、今日、家系図に入れられる」


 居間が、しんとした。


 私の頭の中だけ、うるさくなった。家系図に新しく書き足される人は、だいたい三通りだ。


 生まれた子か、お嫁さんか、お婿さん。スイは、今さら生まれてこない。お嫁さんでもない。


 残るのは。


「……婿?」

 声に出ていた。


「姉ちゃん、何て?」

「なんも言っとらん」


 なんでうちが、婿をもらう側で考えとーと?


「家系図、とは」

 スイが聞いた。助かった。


「家族の、つながりを書いた図。誰が誰の子で、誰と誰が夫婦か」


 夫婦、のところで、声が少し裏返った。


「水の、分かれのようなものか」

「……まあ、そう」

 スイの目が、少し光った。


 颯太が、役を割り振った。


「お母さんは、お茶。余計なことは言わん係」

「はいはい」

「お父さんは、黙る係」


 父は、黙ってうなずいた。係は、もう始まっていた。


「姉ちゃんは、通訳係。スイさんが本当のことを言いそうになったら、外国の言葉に訳して」

「本当のことを、外国の言葉に訳すと?」

「そう」


 意味は分からなかったが、引き受けた。


「スイさんは、外国育ちの、遠い親戚の人」

「外国、とは」

「……そこからか」


 颯太が、資料の三ページ目を開いた。〔出身地 北のほうの、雨の少ない国〕。


 第一版で二か所あった出身地は、一か所に減っていた。


「……雨が少ないのは、本当だ」


 スイが言った。北かどうかは、本人も知らない。知らないことは、嘘に数えないらしい。


 家族構成の〔調査中〕も、ゆうべ本人に聞いて、〔母〕と埋めてあった。同じ家にいて、三か月かかった。


「じいちゃんは?」

「じいちゃんには、何も頼めん」

 颯太が、遠い目をした。


 祖父は、夜明けに一人で墓に参って、もう台風のあとの畑を見に出ていた。


 昼の暑いあいだは、作業場の奥にいるらしい。居間には、来ない。


 十時ちょうどに、車が二台、坂を上がってきた。


 先に降りてきたのは、真由美おばちゃんだった。


「みのりちゃーん! 真っ黒やん!」

「農家やけん」


 いとこの二人が、車から転がり出てきた。小学五年の兄と、三年の妹。二人とも、まっすぐスイを見た。


「……異世界の人みたい」

 兄が言った。颯太が、固まった。


「顔、いい」

 妹が言った。


 真由美おばちゃんも、スイを見た。それから、私を見た。それから、もう一回スイを見た。


 おばちゃんは、顔のいい人に弱い。うちの家系は、だいたいそうだ。


 最後に、清子おばちゃんが、ゆっくり降りてきた。


 小さな体に、黒い日傘。脇に、細長い桐の箱。中身は知っている。巻紙の家系図だ。


 清子おばちゃんは、玄関の前で、スイを下から上まで見上げた。それから、日傘を閉じた。


「あんた、誰の子ね」


 一言目が、それだった。鑑定が、始まった。


  ◇


 墓参りは、昼前に済ませた。


 うちの墓は、作業場の横の、竹やぶを抜けた先にある。花立ての花だけは、もう新しかった。


「兄ちゃんは、また先に一人で参ったとね」


 清子おばちゃんが言った。祖母が亡くなってから、お盆の朝いちばんは、祖父が一人で行く。


 残りのみんなで、台風の落ち葉を掃いて、線香をあげた。最後に、清子おばちゃんが、手桶の水を柄杓で墓石にかけた。


 スイが、一瞬こわばった。


「……石に、水を」

「ご先祖さまに、お水ばあげよると。喉の渇かんごとね」

「村では、水をあげるのが、いちばんの礼だ」


 スイは、うちの家族が手を合わせるのに合わせて、手を合わせた。


 みんなが顔を上げても、スイだけ、まだ手を合わせていた。


 お盆の墓で、いちばん長く手を合わせていたのは、うちの家系の誰でもなかった。


「……よか子やね」


 清子おばちゃんが、小さく言った。


 点数が、入った音がした。


 昼ごはんのあと、居間で、説明会が始まった。


 颯太が、座卓の前に正座して、資料を胸の前に掲げた。


「本日は、お忙しいところ、お集まりいただき」

「何の会ね」


 真由美おばちゃんが、麦茶を飲みながら言った。


「説明会です」

「何の」

「スイさんの」


 清子おばちゃんが、桐の箱のふたを開けた。


 巻紙の端を居間の隅に置いて、座卓のほうへ転がすと、畳の上をころころと伸びてきた。


 最後のひと巻きを、清子おばちゃんが天板に載せた。


 墨の線が、右から左へ、枝分かれしながら続いている。


 いちばん右の名前は、字が薄くて、もう読めない。


 スイが、息をのんだ。


「……分かれだ」


 膝で、巻紙に寄っていく。背の高い人が、四つんばいで、墨の線を指でたどった。


「ここで分かれて、ここで合わさる。ここは、流れが止まっている」

「そこは、跡取りのおらんかった人たい」

「ここは、二本が一本になる」

「そこは、お見合いたい」

 二本が、一本に。お見合い。


 頬が熱い。家系図の話を、しているだけなのに。真由美おばちゃんが、私の顔を見ていた。見ないでほしい。


 清子おばちゃんは、少し嬉しそうだった。家系図を、こんなに熱心に見る若い人は、うちの家系にいない。


 点数が、また入った。


「では、スイさんと、うちとの関係ですが」


 颯太が、三十一ページを開いた。


「前回は第一章で聞いてもらえんかったけん、今回は、いきなり三十一ページから入ります」

「前回て、何ね」

「……こっちの話です」

「スイさんは、ひいじいちゃんの、弟の」

「その人は、ずっと独り身たい」


 清子おばちゃんが、巻紙の一か所を、指でとんと叩いた。さっきスイが「流れが止まっている」と言った線だった。


「……の、奥さんの」

「独り身に、奥さんはおらん」

「……ひいじいちゃんの、弟の、家の、隣の家の」

「親戚やなかやん」

 真由美おばちゃんが言った。


「遠いけん!」

 颯太の声が、裏返った。

 清子おばちゃんが、手を出した。


「貸してみんしゃい」


 五十二ページが、清子おばちゃんの膝に移った。赤鉛筆が出てきた。


 清子おばちゃんは、途中でやめなかった。一枚ずつめくって、ときどき赤を入れる。


 居間に、紙の音と、赤鉛筆の音だけがした。


 最後のページまで行って、資料を颯太に返した。


「ひいじいちゃんの名前の字が、ちがう。兄ちゃんの生まれ年も、ちがう」


 スイの欄の赤は、三十一ページの一本だけだった。あとの赤は、全部、うちの家族の欄に入っていた。


 第二版は、初めて、最後まで読まれた。赤で。


「で、あんた、生まれはどこね」


 清子おばちゃんが、スイに聞いた。赤を入れた五十二ページは、もう颯太の手に戻っている。


「ルーダ村の、ナギアの泉だ」

 まずい。


「……北のほうの、温泉地です!」


 通訳係が、訳した。泉は、掘ればだいたい温泉やけん。掘ったことはないけれど、知らないことは、嘘に数えない。


「温泉の人ね」


 真由美おばちゃんの目が、輝いた。


「仕事は」

「泉守だ」

「いずみもり」

「水道局みたいなもんです!」

 今度は、颯太が訳した。


「公務員ね」


 真由美おばちゃんの目が、もう一段輝いた。


「名前は。家系図に書くけん、ちゃんと言いんしゃい」


 清子おばちゃんが、赤鉛筆を鉛筆に持ちかえた。


「スイラン・アルナ・ナギア・ルーダ。ナギアの泉守」


 清子おばちゃんは、天板の上の、巻紙の左の端に、片仮名で書きはじめた。スイラン、アルナ、ナギア、ルー。


 巻紙が、足りなかった。


 ダ、の一字は、座卓の天板に書かれた。


「……あとで、消しとくけん」


 お茶の係の母が、余計なことを言った。


「外国の人、手品できる?」


 いとこの妹が、スイの袖を引いた。兄も、身を乗り出した。


「水の手品とか」

 颯太の顔から、色が抜けた。


 次の瞬間、颯太は、自分の麦茶を飲み干した。私の麦茶も飲み干した。


 父の麦茶にも手を伸ばした。黙る係は、黙って取られた。


 水がなければ、手品はできない。相棒の理屈だった。座卓の向こう側のコップには、手が届かなかった。


 スイは、自分のコップを見て、いとこの妹を見た。


 私は、座卓の下で膝を握った。スイのコップの水面は、平らなままだ。


「しない。私の村では、水で遊ぶと、怒られる」


 いとこの二人は、しゅんとした。


「そのかわり」


 スイが、コップの麦茶に、指先でそっと触れた。


 父の肩が、一瞬上がった。五月の台所では、このあと、水の輪が浮いた。


 輪は、浮かなかった。麦茶の表面に、一つ広がっただけだった。


「水は、触ると、輪になる」

「……知っとー」

「知っていても、きれいだ」


 妹は、しばらく考えてから、自分のコップに指を入れた。輪が、一つ。兄も、黙って指を入れた。


 手品より、だいぶ地味だった。いとこ二人とスイは、しばらくやめなかった。颯太は、お腹を押さえていた。


 真由美おばちゃんが、私の脇腹をつついた。


「で、みのりちゃん。この人、みのりちゃんの、彼氏?」


 父が、むせた。何も飲んでいないのに。黙る係が、今日いちばん大きな音を出した。


「研修生です!」

「何の」

「……水の」


 通訳係は、自分のことは訳せなかった。


  ◇


 夕方、祖父が、畑をひと回りして戻ってきた。


 麦わら帽を取って、居間をのぞく。


 座卓の上には、巻紙と、赤の入った五十二ページと、天板の〔ダ〕。


 座卓の端には、麦茶でお腹のふくれた議長。


「兄ちゃん」


 清子おばちゃんが、鉛筆を置いた。


「この人、誰ね」


 祖父は、スイを見た。巻紙を見た。清子おばちゃんを見た。


「ああ、うちの客たい」

 八文字だった。


 清子おばちゃんは、しばらく祖父の顔を見ていた。それから、ふう、と息を吐いた。


「……兄ちゃんがそう言うなら」


 池から来た男を泊めると決まった晩、父が言ったのと、同じ形だった。


 清子おばちゃんは、鉛筆を取り直して、片仮名の名前の横、どの枝からも離れた余白に、小さく書いた。


〔兄ちゃんの客〕


 五十二ページは、赤を入れられたうえに、祖父の八文字に、また負けた。五月の四十ページと、同じ負け方だった。


 颯太は、資料を胸に抱いたまま、仰向けに倒れた。


「……ページを増やしても、勝てん」


 議長の、最後の言葉だった。


 私は、余白の書き込みを見ていた。生まれた子でも、お嫁さんでも、お婿さんでもない。


 家系図には、四つ目の入り方があったらしい。


 帰りぎわ、清子おばちゃんが、私を車のところへ呼んだ。


 後ろの座席から、紙の包みを出す。ほどくと、紺地に白い朝顔の浴衣が出てきた。


「うちが、あんたくらいの年に着よったと。うちも小さかったけん、丈は、たぶん合う」

「……いいと?」

「夏祭りに、着んしゃい」


 恋愛計画表の〔その八 夏祭り(浴衣)〕。書いたはいいけれど、浴衣の当てがなかった。


 頭の中で、少女漫画のページが、三枚まとめてめくれた。夜店。下駄の鼻緒。はぐれんごと、と差し出される手。


 清子おばちゃんは、日傘をたたみながら、声を落とした。


「客と、行くとやろ」

「なっ」

 ページが、全部閉じた。


「何の客かは、家系図には書かん。……あんたの顔に、書いてあるけん」


 清子おばちゃんの車が、坂を下りていった。後ろの窓に、黒い日傘の柄が見えた。


 鑑定スキル持ちに、私の顔まで鑑定されていた。


  ◇


 十五日の朝、洗いきれなかった段の、海に向いた葉の縁が、少し茶色い気がした。


 台風の朝、間に合えと念じて、間に合わなかったところだ。


「葉の落ちるかは、まだ分からん。盆の明けたら、薬たい」


 前にかけた薬は、台風の雨で流れてしまった。


 盆が明けたら、実に黒い点の出る病気の薬を、かけ直す。


 祖父は、茶色い縁を指で一度なでて、次の木へ行った。


 夕方、地区の精霊(しょうりょう)送りに行った。


 お供えは、昔は川に流したそうだけれど、今は公民館に持ち寄る。水に浮かべるのは、紙の灯籠だけだ。


 海へ出る手前の小さな川に、流れのゆるい淀みがある。


 少し川下に、地区の人が網を張っていた。台風の晩から三日。


 水は、台風の前より少し多くて、まだ底が見えない。岸には、救命胴衣を着た消防団の人。


 小さい子は、みんな大人と手をつないでいた。


 夕日が、海に沈むところだった。


 うちの分の灯籠に、小さな火を入れた。水に置く係は、なぜか私とスイになった。母が、そういう顔をしていた。


 紙の縁の右を私が、左をスイが持った。二人の指のあいだは、灯籠一つぶん、空いていた。


 水に置くとき、スイが、少し身を固くした。


「……火を、水に、預けるのか」

「ご先祖さまを、送ると。迎えて、三日いてもらって、送る」


 灯籠は、淀みの上を、ゆっくり回りながら、川下へ寄っていった。


「流れが右へ回りこんで、あそこで止まる。網の、右の端だ」


 灯籠は、そのとおりに集まっていった。消防団の人が、岸から、網ごと静かに上げていく。


 地区の男の子が、スイを見上げた。


「お兄ちゃん、なんで分かると? 手品?」

「川を、見ていただけだ」


 目の前の灯籠は、流れに乗っているだけだ。それでも、スイの言うとおりに進むと、手品に見える。


「流すのに、拾うのか」

「川ば、汚さんごと」

 祖父が言った。


「……拾うのか」


 スイが、もう一度言った。今度は、少し嬉しそうだった。


「村にも、死んだ人を送る夜がある」


 スイが言った。


「村には、川がない。だから、灯は流さない。泉から汲んだ水を、杯に一杯ずつ、水路に返す。その人が、生きているあいだに借りた水の分を」


 借りた水は、返す。うちの池に浮かんだ朝、この人が、袖の水を池に戻しながら言った言葉だ。


「全部は、返せない。だから、一杯ずつ」


 スイは、灯籠の行った先へ、短く頭を下げた。


 送る、と自分で言った言葉が、右の指先に、少しだけ残った。紙の縁を持っていた指だ。


「あら、男前」

 うしろから、声がした。


 ママだった。団扇を片手に、浴衣を着ている。


「来週の夏祭り、あたしが仕切るけんね」

「……仕切る?」

「スイカ割りたい。今年は、男前に、目隠しして出てもらうけん」

「スイカ、とは」

 スイが聞いた。

 ママが、にやりと笑った。


「水の、いっぱい入った、大きか丸い実たい」


 スイの目が、輝いた。


「それを、棒で叩き割ると」

 輝きが、止まった。


「……割ったあとは」

「みんなで食べるに決まっとろうもん」


 輝きが、戻った。

 ……まずい。


 目隠しをしても、この人には、水のかたまりが、たぶん見える。


 浴衣の私のほうは、目隠しを外してから、ちゃんと見てほしい。

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