第8話 賢者の声
——熱い。
その光が、フィンの肌に、触れた瞬間。
彼の体の、内側から、何かが、押し広げられた。
胸の奥が、軋む。
息が、詰まる。
喉に、声にならない、呻きが、上がった。
——
これは、自分の体ではない。
否——自分の体だ。
だが、その中に、何か、別のものが、入り込もうとしている。
広がろうとしている。
押し開けようとしている。
(息が、できない)
(誰だ)
(誰が、入ってこようとしている)
体が、軋む。
本能が、絶叫した——**異物だ**、と。
意識は、受け入れようとした。それが、儀式の役目だ。
だが、フィンの肉そのものが、押し戻そうとし始めていた。
深い、深いところで。
意志ではなく、体が、拒絶していた。
——
膝が、円盤に、落ちた。
冷たい黒石の感触が、掌に、伝わる。
それでも、フィンは、倒れまいと、した。
立たねばならない。それが、儀式だ。
ミアの祈りが、強くなった。
祈りの言葉は、古代のもので、フィンには分からない。
だが、その響きだけは、混濁する意識の中で、まだ、フィンに、届いていた。
——
何かが、フィンの意識に、流れ込もうとして、体に、跳ね返される。
また、流れ込もうとして、跳ね返される。
頭の中が、白く、明滅する。
——四百年前の、知らない景色。
——古い書斎の、燭台の光。
——ぎっしりと並んだ、巻物の背。
——星空。
——いくつもの会話。低い、年老いた声。
——別の儀式。詠唱。
——刃。血。誰かの、呻き。
それらが、全て、一度に、フィンの中に、押し寄せ——そして、跳ね返される。
受け入れる先が、見つからない。
——
「……拒絶反応か」
ラドウィックの低い声が、響いた。
歳を感じさせない、鋭い眼差しの奥に、深い焦りが、走った。
過去、この反応で、何人もの継承者が、命を落としている。
意識は、受け入れようとしているのに、体が、拒む。
そうなると、行き場のない魂の力が、内側で——暴走する。
消滅と並ぶ、もう一つの、儀式の失敗。
「フィン、踏み留まれ! 体を、開け——」
だが、ラドウィックの声も、もう、フィンには、遠かった。
——
胸が、裂けるような感覚。
フィンの口から、声にならない、長い、息が、漏れた。
そして——
フィンの体から、青みの光が、噴き出した。
制御の、利かなくなった、魔力。
受け入れることも、押し戻すこともできないまま、暴走しかけた力が、円盤の縁に向かって、刃のように、放たれた。
長老たちの詠唱が、慌てて、強まる。
ラドウィックが、手を、伸ばす。
だが、結界を、整える時間は、なかった。
——その時。
ミアが、動いた。
組んでいた両手を、解いた。
祈りの所作を、捨てた。
何の躊躇いもなく、フィンの体に、抱き着いた。
噴き出した光が、ミアの肩を、頬を、掠めた。
儀式衣に、薄く、赤い線が、走る。
ミアの体が、わずかに、震えた。
それでも、彼女は、離れなかった。
「ミア……離れるんだ……このままでは、君も……」
苦しみの中、フィンが、声を、絞り出した。
だが、ミアは、離れない。
むしろ、彼女は、より強く、フィンを、抱きしめた。
「フィン。ずっと、一緒だよ」
彼女の声が、フィンの胸に、直接、届いた。
——
彼女のぬくもりが——その想いが、フィンの体を、ゆっくりと、解いていった。
息を、吸う。
深く。
そして——受け入れた。
押し戻すのを、やめる。
別の魂を、自分の中に、招き入れる。
それが、儀式の意味だった。
体の、奥の奥で——
何かが、ゆっくりと、座り直す感覚があった。
ぴたり、と。
噴き出していた光が、収まる。
フィンの体に、力が、戻ってくる。
ミアの腕は、まだ、彼を、抱きしめていた。
——
胸の、最初の光点が——揺らぎながら、灯った。
円盤の床に、薄い、青みを帯びた光が、漏れた。
フィンの体は、震えながら、それでも、まだ、立っていた。
息が、ようやく、整い始める。
——
『……ふむ』
低い、男の声が、フィンの内側で、響いた。
『四百年か。やれやれ、長い眠りだったな……』
フィンは、息を、止めた。
頭の中、自分のものではない声が、確かに、そこにあった。
低く、落ち着いた、年齢相応の重みのある声。
「あ……の」
フィンは、思わず、声に出していた。
『小僧、お前の声が、聞こえている。さて、私の声も、お前に届いておるな?』
「……はい。賢者マリウス、ですよね」
『いや、違うな』
フィンの息が、止まった。
——え?
『冗談だ。冗談だぞ、小僧。なんだ、その顔は。あまり、面白くなかったかね?』
フィンは、目を、しばたかせた。
今のは、冗談——?
たった今、自分を引き裂きそうだった力が、堂々と、冗談を言ってきた。
「マリウス、様……?」
『「様」は要らん。マリウス、で十分だ』
——
その時、マリウスの声が、ふっと、笑いを含んだ調子に、変わった。
『ところで、小僧。役得な状況にあるようだな』
「……え?」
『そのお嬢さんに、しっかり抱きしめてもらっておるのは、儀式のうちかね?』
「——っ」
フィンの顔が、一瞬で、熱くなった。
そう、ミアは、まだ、彼に、抱きついたままだった。
さっきの暴走を、止めるために。
今になって、その温度が、衣を通して、はっきりと、伝わってくる。
「マ、マリウス、それは——」
『ほう、もう「様」が取れたか。早いな』
「違っ、そういう意味じゃなくて——」
『ふむ。私は、まだ何も言うておらぬが、「そういう意味でない」とは、どういう意味かね?』
フィンの口が、何度か、開いて、閉じた。
言葉が、追いつかない。
これが、四百年前の、大賢者か——?
——
「フィン、大丈夫……?」
独り言のように呟き続けるフィンを、ミアが、心配げに、見つめながら、声をかけた。
「え——あ、うん、大丈夫だ」
フィンが、顔を赤くしながら、慌てて、答えた。
そこで、ミアも、ようやく、今の状況に、気付いた。
「——っ」
慌てて、抱きついていた腕を、解く。
彼女の頬は、儀式の緊張からではない、別の理由で、赤くなっていた。
「あ……ご、ごめんなさい、フィン。私、その——」
「いや、ミア、違うんだ、これは——」
フィンが、しどろもどろになっているのを、ミアが、不思議そうに、見た。
その様子を、内側から、マリウスが、満足げに、笑った気配があった。
『うむ。良い、良い。仲良きことは、美しいのぅ』
楽しげな、マリウスの声。
それから、ふっと、低く、優しい声に、戻って、マリウスは、続けた。
『良い、お嬢さんだ。自分の身を、顧みず、お前のために動くとは。体が、魂を、受け入れられたのは、彼女のおかげだな。礼を、言っておけ』
——
長老ラドウィックが、ようやく、近づいてきた。
ミアの、肩の、薄く滲む血を、見て、わずかに、眉を、寄せる。
だが、何も、言わなかった。
代わりに、フィンを、見て、深く、肯いた。
「成功した、か」
——
その時。
外で、何かが、裂ける音が、した——結界が、砕ける音が。
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