第5話 儀式の準備
里の中央の高台、儀式の堂の周辺は、すでに静かな緊張に満ちていた。
朝の早い時間にもかかわらず、堂の前には、一族の長老たちが集まっていた。
最長老ラドウィックを筆頭に、五名の長老が、衣を正して、堂の入口で何やら話をしている。
彼らの周囲には、若い見習いの巫女たちが、儀式に使う道具を運んでいる。
香炉、水盤、白い布、そして——七つの水晶。
水晶は、フィンの胸の刻印に対応している、と長老ラドウィックは説明していた。
一つ一つに、過去の英雄の魂の断片が封じられている。
儀式の中で、それらの断片は順番にフィンに移植される。
今日、最初に開かれるのは、賢者マリウスの水晶。
今日の流れは、すでに何度も聞かされていた。
昼過ぎから、フィンとミアを含む今年成人を迎えた子供たちの成人の儀。続けて、継承の儀へ。
本来は別々の日に行うものを、近年の前兆を踏まえて、長老たちは一日に重ねると決めていた。
——フィンが堂に近づくと、長老ラドウィックが、すぐに気付いた。
「フィン」
ラドウィックは、八十に近い老爺だが、姿勢が真っ直ぐで、目に光がある。
長い白髭を蓄え、深い茶色の長衣を纏っていた。
「お早うございます、最長老」
「うむ。今朝は、よく眠れたか」
「少しだけ、ですが」
「結構。儀式は、昼過ぎだ。それまで、堂の中で、心を静めてもらおうと思う」
「はい」
ラドウィックは、フィンの肩に、皺の刻まれた手を軽く置いた。
フィンが見上げた時、老人の目に、歳を感じさせない、鋭い光が、よぎった。
それが何なのか、フィンには、まだ、読み取れなかった。
「フィン。これから、お前は、初めて、他者の声を、自分の中に迎え入れる。その時、お前は、お前自身を、見失ってはならない。賢者マリウスは、温和な御方だったと伝わっている。だが、それでも、四百年眠った魂が、若いお前の肉体に流れ込む。揺さぶられる、と思え」
「はい」
「揺さぶられても、お前は、お前であれ。それだけだ」
「肝に、銘じます」
ラドウィックは、肯いた。
——
堂の中は、外よりも、空気が一段、低く、重かった。
天井は高く、梁が太く、長い年月で飴色に磨かれている。
床は、磨かれた黒石の円盤で、直径は六間ほど。
円盤の表面には、無数の細い溝が、幾重にも渦を巻く紋様として刻まれていた。
継承の円と呼ばれる魔法陣。
その中心に、台が置かれている。
木と石を組み合わせた、簡素な、しかし古い台。
台の上には、七つの水晶が、円に沿って配置されていた。
水晶は、まだ全て、暗く、静かに光を宿していた。
フィンは、円盤の、円の縁に立った。
長老ラドウィックが、傍にいる。
「儀式の流れを、もう一度、確認しよう」と、ラドウィックは言った。
「まず、堂の前で、成人の儀。お前とミア、それから今年成人を迎える者たちが、長老から祝いを受ける」
「はい」
「成人の儀が終わったら、お前とミアだけが、堂の中へ。継承の儀に移る。お前が、儀式の中心に立つ。ミアが、お前の前で、媒体の祈りを唱える。私たち長老が、円を取り囲み、結界を強化する」
「はい」
「水晶の一つ目——マリウスのもの——から、光が立ち昇る。その光が、お前の胸の、最初の刻印に、降りる。受け入れろ。逆らうな。けれど、自分を、見失うな」
「はい」
「分かったか」
「分かりました」
ラドウィックは、フィンを、しばらく、見つめた。
何かを言いたそうだったが、結局、何も言わなかった。
代わりに、彼は、フィンの肩を、もう一度、軽く叩いた。
「行こう」
「はい」
——
堂の外では、すでに里の人々が集まり始めていた。
老若男女、五十人ほどの里人が、堂の周りに静かに立っていた。
本来なら、フィンとミアを含む今年の成人たちを祝う、賑やかな日のはずだった。
祝いの声は、確かに、あった。
けれど、いつもの年のような、はじけた賑やかさは、ない。
フィンの継承の儀が続くと、皆、知っていたからだ。
里の人々の認識では、フィンが英雄を継ぐことは、里全体の悲願だ。
災厄の予兆が、近年、辺境で見られるようになっている。
災厄が再来する時、英雄たちが復活していなければ、世界は再び滅びるだろう、と。
その全てが、フィンの肩に、かかっていた。
フィンは、彼らの視線を、感じた。
恐怖ではない。期待——でも、ない。
ただ、何か、今日から始まることへの、祈りのようなものが、フィンの中に、静かに、満ちていた。
その時、人垣の向こうに、ミアの姿を、見つけた。
巫女衣を纏い、儀式の補佐の若い巫女たちと共に、堂の脇に立っていた。
二人の目が、合った。
ミアは、ほんの少しだけ、肯いた。
それだけで、フィンは、もう、十分だった。
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