第2話 兄の手
「フィン!」
その声に、フィンは振り返った。
二歩、三歩離れたところに、ガレンが立っていた。
鍛錬着の上から羽織を一枚、寒さ凌ぎに肩に掛けている。腰には、自警団の長剣。
鞘が、朝の薄い光を返していた。
「早いな、もう起きていたか」
ガレンは、短い髪に小さく霜が降りていた。
その白さが、彼の年齢——二十七——を、いつもより少し老けて見せていた。
「儀式の日だから。眠れなくて」
「そうか」とガレンは肯きながら近づき、フィンの肩を、軽く叩いた。「気負うな」
「父にも、同じこと言われた」
「親父さんがか」ガレンは、苦笑した。
「珍しいな、お前の親父が、そんな素直な励ましを言うのは」
「遠まわしだったけどね」
「なるほど、あの人らしいな」
ガレンは、フィンの隣に並んで、堂を見上げた。
しばらく、二人とも黙っていた。霧は、彼らの足元で、まだ少し漂っていた。
「フィン」
「うん」
「儀式の前に、稽古をするか」
フィンは、ガレンを見た。
彼の口許には、笑みがある。けれど、目は、真剣だった。
「いいの? 体を温める程度に、って長老たちは言ってたけど」
「だから、温める程度だ。型を一つ、二つ。それで十分だ」
「じゃあ、お願い」
——
里の自警団の練武場は、東の外れにある。
そこは、結界の手前で、外の世界の風が一番よく通る場所だった。
練武場には、すでに数名の自警団員が体を動かしていた。ガレンが現れると、彼らは皆、頭を下げた。
「団長、お早うございます」
「お早う。フィンと、稽古する。少し、場を借りる」
「はっ」
ガレンは、木刀を二振り、手に取った。一振りを、フィンに渡す。
「型を、一通りやろう」
「うん」
二人は、向かい合った。フィンが構える。ガレンも構える。
「一の型」
ガレンが、声を上げた。フィンは、習った通りに、足を運び、刀を上段に構え、振り下ろした。
ガレンが、それを受ける。木と木が打ち合う音が、練武場に響いた。
「二の型」「三の型」
——
型の一通りを終えた頃、フィンの息は、軽く弾んでいた。
けれど、汗はまだ出ていない。ガレンは、ほとんど呼吸を乱していなかった。
「型は、十分だな」と、ガレンは言った。
「軽く、一本やってみるか。一手、二手で、終わりだ」
「いいの?」
「お前の、今の力を、見せてみろ」
二人は、距離を取って、構え直した。
今度は、形ではない、自由な構え。
ガレンの目から、いつもの笑みが、消えていた。代わりに、真剣な光が、そこにあった。
最初の数手で、フィンは、ガレンの底の見えなさを、改めて感じた。
打ち込んでも、避けられる。突いても、流される。ガレンの動きは、無駄がなく、風のようだった。
けれど、何度目かの打ち合いの中で、ふと、ガレンの右側が、わずかに、開いて見えた。
考える間はなかった。
フィンは、踏み込んだ。
刀を、ガレンの脇腹に向けて、滑り込ませた。木刀の先が、ガレンの羽織を、軽く、叩いた。
ガレンは、刀を、止めた。
「——参ったな」
ガレンの口許に、笑みが戻った。
彼は、木刀を下ろし、フィンに、近づいた。そして、フィンの頭の上に、手を、置いた。
「良くなっているじゃないか」
その手は、大きかった。
剣を握り続けてきた、固く、節くれだった手。
けれど、頭の上のその手は、不思議と、温かかった。
「五年前のお前なら、まだ、構えで終わっていた。今のは、お前が、自分で見つけた一手だ」
フィンは、ガレンを、見上げた。ガレンの目には、本当に、嬉しそうな光が、あった。
「ありがとう」と、フィンは、小さく、答えた。
ガレンは、もう一度、フィンの頭を、軽く、撫でて、手を、離した。
二人は、井戸の水で、手と顔を洗った。冷たい。
「フィン」
「うん」
「儀式が終わったら、家に来い。シルマが、夕飯を、作っておくと言っていた」
「え、いいの?」
「お前の成人の祝いだ。来い」
ガレンには、妻と、生まれたばかりの子供がいた。
子供の名は、まだ決まっていない。
生後一月足らず。
シルマは、産後の養生でまだ家にいることが多かった。
「ありがとう」とフィンは軽く頭を下げた。「うん、必ず行く」
「来い。それと——」
「うん」
「ミアも、誘え。あいつも、今日が成人だ。儀式の後は、お前と一緒に居たいだろう」
ガレンは、自分の妹のことを言った。
フィンとミアの間柄を、ガレンは、自分の家族の延長として、ずっと前から、認めていた。
「……ありがとう」
「お前は、俺の弟みたいなものだ。儀式の後、最初の食事は、家族と一緒が、良いだろう」
フィンは、ガレンを見た。
胸の、七つの刻印が、ふと、温かくなったように、感じた。
気のせいかもしれない。けれど、フィンには、それが、確かに、そう感じられた。
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