第9話 取材方法を聞かれるのが一番困る
ノベルスフィア運営から届いたインタビュー依頼を前に、白瀬冬真はもう十分近く同じ姿勢で固まっていた。
断るという選択肢がないわけではない。
運営からの依頼とはいえ強制ではなく、文面にも「ご都合が合わない場合は辞退いただいて構いません」と丁寧に書かれている。それなら、忙しいことを理由に断ってしまえば話は簡単だった。
けれど、冬真はどうしても「辞退する」の一文を押せずにいた。
今回の特集は、自分だけを宣伝するものではない。
普段読まないジャンルへ読者が足を運ぶきっかけを作るための企画であり、その象徴として、たまたま全ジャンルへ作品を投稿していた冬真に声が掛かったらしい。
それ自体はありがたい。
ありがたいのだが、質問項目の一つがあまりにも致命的だった。
『各作品を執筆する際、どのような取材・資料収集を行っていますか?』
冬真はその一文をもう一度読み、椅子の背もたれへ深く身体を沈めた。
「だから、それを聞かれるのが一番困るんだよ……」
料理作品を書くために、四十六年間食堂を経営した。
野球作品を書くために、十五年間高校野球の監督をした。
VR作品では二十年以上、実際にゲームの運営と開発へ携わった。
旅エッセイは七十六歳まで世界中を歩いた記憶をまとめただけで、昨日投稿した動物ものに至っては、資料を読むどころか自分自身が草を食べていた。
もちろん、そんな回答を送れるはずがない。
『ウサギの生活については、実際にウサギとして一生を過ごして取材しました』
などと書けば、特集ではなく別の専門機関を紹介される可能性が高かった。
「……もう少し普通の質問だけにしてくれないかな」
冬真は諦めきれずに依頼文を最後まで確認した。
今回のインタビューは通話や対面ではなく、文章で質問へ回答する形式らしい。少なくとも、その場で予想外の質問を投げられて困ることはない。
考える時間がある。
それなら、何とかなるかもしれない。
「嘘をつかなければいいんだよな」
冬真は自分へ言い聞かせるように呟き、回答フォームを開いた。
最初の質問は比較的簡単だった。
『これほど多くのジャンルで執筆しようと思ったきっかけを教えてください。』
冬真は少し考えたあと、素直に書いた。
『最初から多くのジャンルを書こうと決めていたわけではありません。書きたいと思った話を一つずつ書いていった結果、気づけば作品数とジャンルが増えていました。』
「これは完全に本当だな」
そもそも全ジャンルを制覇しようという意識すらなかった。
料理人として目覚めれば料理を書き、高校野球監督として目覚めればスポーツを書いた。その繰り返しでこうなっただけだ。
続いて。
『ジャンルによって文章の雰囲気がかなり異なりますが、意識的に書き分けていますか?』
これも答えられる。
冬真は何度か書き直したあと、最終的にこうまとめた。
『ジャンルそのものを意識して文章を変えるというより、その世界で暮らしている人物が何を見るのかを考えています。料理人であれば食材の状態や客の食べ方を気にしますし、整備士であれば機械の音や損傷を見ます。人物によって日常的に意識するものが違えば、自然と文章も変わるのだと思います。』
送信前に読み返し、冬真は頷いた。
「これも嘘じゃない」
実際、自分自身の注意の向け方が人生ごとに変わっている。
料理人だった頃なら、店へ入って最初に見るのは厨房や客の食事だった。宇宙船の整備士として長く生きたときには、聞き慣れない駆動音がしただけで無意識に原因を探していた。
その違いが文章へ出ているだけだ。
問題はここからだった。
『宇宙SF作品では、艦船の整備や運用について非常に具体的に描写されています。専門的な資料を参考にされていますか?』
「来たな……」
冬真は腕を組んだ。
本当の回答なら簡単である。
実際に宇宙船へ乗っていたから。
しかし、それは使えない。
しばらく考えた末に、現実の宇宙開発や航空機、船舶についての資料を参考にしている、と答えることにした。
完全な嘘ではない。
こちらの世界へ戻ったあと、自分の記憶と現実の技術がどこまで似ているのか気になり、宇宙開発や大型船舶の資料を読んだことはある。
順番が逆なだけだ。
『現実の宇宙開発、航空機、船舶などについて公開されている資料を参考にしています。ただ、技術そのものより「そこで生活している人は何を不便に感じるのか」を想像することを大切にしています。』
「よし」
これなら問題ない。
冬真は少し自信を取り戻した。
次の質問。
『高校野球を扱った作品も、監督視点が非常に具体的です。野球経験はありますか?』
「経験……」
十五年間。
監督として。
かなりある。
ただし、この身体ではない。
冬真は頭を抱えかけたが、そこも何とか整えた。
『試合映像や選手・指導者へのインタビューなどを参考にしています。選手本人の視点だけでなく、監督が試合中に何を見ているのかを意識して書いています。』
現実の高校野球の試合映像は、確かにこちらでも見た。
これも順序が逆ではあるが、虚偽とは言い切れない。
「いける。思ったよりいけるぞ」
冬真は調子に乗った。
次。
『料理作品についてですが、飲食店での勤務経験はありますか?』
止まった。
こちらの世界では、ない。
正直に「ありません」と答えることはできる。
問題は、その後だった。
『非常に具体的な厨房描写が多いため、取材方法も教えてください。』
「そこまで聞くのか……」
冬真はしばらく画面を睨んだ。
知人の飲食店経験者から話を聞いた。
飲食業界の資料を読んだ。
そう答えれば自然だ。
だが。
冬真には、飲食店で四十六年働いた知人などいない。
「……知人って、俺なんだよな」
思わず独り言が出た。
結局、
『自分自身に飲食店での勤務経験はありません。飲食業に関する資料や、実際に働いた経験のある方の話などを参考にしながら、厨房で働く人の視点を想像して書いています。』
とした。
経験者の話。
自分の記憶。
広く解釈すれば、何とかなる。
「嘘ではない。嘘ではない……と思う」
少し自信がなくなった。
次。
『VRゲーム開発作品では、サービス開始から終了までの運営側の事情が描かれています。ゲーム開発のご経験はありますか?』
「ありません、と」
これは即答できた。
こちらの世界の冬真は、ゲーム会社に勤めた経験などない。
問題はまた、その後である。
『では、あの現場感はどのように取材されたのでしょうか?』
「だからそこなんだよ」
冬真は思わず机へ突っ伏した。
二十三年以上。
現場にいたからだ。
大型アップデートでサーバーを止めた日も知っている。
予算をかけた公式イベントより、ユーザーが勝手に始めた鬼ごっこの方が人気になったことも覚えている。
サービス終了直前のオフィスの静けさまで、今でも思い出せる。
それを取材方法として説明しろと言われても困る。
冬真は十分ほど悩み、ようやく回答した。
『ゲーム開発の経験はありません。長くオンラインゲームを遊んできた経験と、開発者インタビューや運営に関する記事などを参考にしています。プレイヤーから見えないところで、運営側がどんな判断をしているのかを想像するのが好きなのだと思います。』
「……これもギリギリ」
オンラインゲームを遊んだ経験はある。
開発者インタビューも読んでいる。
嘘ではない。
ただし、核心だけを書いていない。
冬真はだんだん罪悪感のようなものを覚え始めた。
それでも質問は続いた。
『童話作品には、実際に子供へ読み聞かせているような温かさがあります。身近なお子さんへ読み聞かせた経験などはありますか?』
冬真は画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。
向こうの世界。
八歳の孫娘、リーナ。
寝る前になると布団へ潜り込み、
『今日は竜の続きね』
と当然のように要求してきた。
飛べない竜の話。
火を吐けない竜の話。
最後には彼女自身が大人になり、絵本にした。
冬真には全部の記憶がある。
しかし。
こちらの世界では。
孫どころか。
まだ結婚すらしていない。
「これ、どう答えればいいんだ……」
さすがに「孫へ読み聞かせた経験があります」と書くわけにはいかない。
かなり悩み、
『読み聞かせるつもりで文章の音を確認することはあります。子供ならどこで疑問を持つのか、どこで「どうして?」と聞きたくなるのかを考えながら書いています。』
とした。
これはかなり上手く答えられた気がする。
「よし」
冬真は少しだけ胸を張った。
ところが。
次の質問で。
また止まる。
『今回投稿された詩作品は、実体験をもとにしたものなのでしょうか?』
父。
病室。
最後の一年。
『楽しかった。』
冬真はキーボードへ置いていた手を止めた。
他の質問なら笑って誤魔化せた。
これだけは。
少し難しかった。
冬真は長く考えてから、ゆっくり文章を書いた。
『身近な人との別れや、その人が残した言葉から着想を得ています。個人的な部分も含まれるため詳細は控えますが、何でもない一日の言葉ほど、あとになって大切になることがあると思っています。』
送信前に。
少しだけ。
父のことを思い出した。
「……これでいいよな」
誰へ言うでもなく。
そう呟いた。
そして。
最後。
冬真が。
もっとも恐れていた質問。
『「二つの月の下で、名前も持たずに草を食べていた」について伺います。動物の感覚描写が非常に特徴的ですが、どのような資料を参考にされましたか?』
「来た……」
冬真は両手で顔を覆った。
本当のことを答えるなら。
資料はない。
自分で草を食べた。
耳を動かした。
捕食者から逃げた。
子供も育てた。
マルが紫色の葉を二回食べて二回腹を壊したのも、目の前で見た。
「無理だって」
冬真は立ち上がり、冷蔵庫から水を出した。
一杯飲む。
戻る。
もう一度質問を見る。
「動物の生態資料……」
読んでいない。
少なくとも投稿前には。
冬真はそこで思いついた。
通販サイトを開く。
検索。
『ウサギ 行動 生態』
評判のよさそうな専門書を一冊注文した。
注文完了。
翌日到着予定。
「……よし」
席へ戻る。
『動物の生態に関する資料を参考にしながら、人間の感情を当てはめすぎないよう意識しました。人間なら言葉で考える場面でも、匂い、音、距離、身体の動きなどを中心に描写しています。』
冬真は回答を読み返した。
「……資料、今注文したんだけどな」
順番がおかしい。
かなりおかしい。
しかし。
明日には資料を参考にできる。
嘘ではなくなる。
「こういう問題じゃない気がする」
自分でも分かっていた。
それでも。
全質問へ回答した。
最終確認。
送信。
冬真は椅子へ深くもたれた。
「疲れた……」
小説を一話書くより疲れた気がする。
数日後。
ノベルスフィア編集部から確認の連絡が来た。
回答内容について、特に問題はないらしい。
むしろ。
担当者から。
『ジャンルごとに文体を変えるのではなく、その人物が何を見るのかを考える、というお話が非常に印象的でした。特集でも中心的に紹介させていただきたいと思います。』
と書かれていた。
冬真は。
少し照れた。
「そこ拾われるのか」
自分としては。
かなり普通のことを言ったつもりだった。
けれど。
考えてみれば。
料理人なら食材を見る。
監督なら選手を見る。
整備士なら機械を見る。
旅人なら道を見る。
同じ世界でも。
生きている人間が違えば。
見えているものは。
まるで違う。
それは。
何度も人生を送った冬真には。
当たり前の感覚だった。
そして。
さらに数日後。
特集が公開された。
『ジャンル横断特集――白瀬冬真はなぜ全ジャンルを書くのか』
「タイトル大きいな……」
冬真は自分の名前がサイトのトップへ大きく表示されているのを見て、妙な居心地の悪さを覚えた。
記事の中では。
作品ごとの紹介。
読者の移動。
ジャンルを越えて読む人が増えたこと。
そして。
冬真のインタビュー。
特に大きく引用されていたのは。
『ジャンルを書き分けるというより、それぞれの世界で暮らす人物が何を見るのかを考えています。』
という部分だった。
冬真はそこを読み、
「そんな立派なこと言ったかな……」
と少し恥ずかしくなった。
しかし。
大型匿名掲示板では。
すでに。
別の意味で。
盛り上がっていた。
『公式インタビュー読んだ?』
『読んだ』
『白瀬冬真、「役になりきる」タイプなのかな』
『料理人が何を見るか、整備士が何を見るかってやつ?』
『だから作品ごとに妙に視点違うのか』
『取材すごい』
『野球も試合映像見るって』
『SFは船と航空機も調べるらしい』
『VRは開発者インタビュー』
『意外と普通だな』
『ウサギは?』
『動物の生態資料』
『本当に?』
『何だよ』
『あの草の食い方、資料だけで書ける?』
『じゃあ何だと思うんだよ』
『作者本人が草食った』
「食ったよ」
冬真は。
思わず。
画面へ答えた。
もちろん。
聞こえない。
『四つん這いで部屋歩いたとか?』
『取材風景想像するなw』
『白瀬冬真「今日はウサギです」』
『やめろ』
『でもこの作者ならやりかねない』
「やってない」
正確には。
取材ではやっていない。
本当にウサギだっただけだ。
『あと童話の読み聞かせっぽさについても答えてる』
『子供が「どうして?」って言う場所考えて書くって』
『良いこと言うじゃん』
『詩の回答だけちょっと真面目だな』
『あそこは触れないでおこう』
『同意』
冬真は。
少しだけ。
嬉しかった。
読者は。
ふざけるところと。
ふざけないところを。
ちゃんと。
分けてくれている。
そして。
公式特集の効果は。
冬真が。
予想していたより。
ずっと大きかった。
ハイファンタジーから来た読者が。
料理へ。
料理から来た読者が。
VRへ。
詩から来た読者が。
童話へ。
さらに。
古い作品まで。
読まれ始めた。
長い間。
ほとんど動いていなかった。
昔の文学作品。
海辺の町で。
時計職人として。
七十年近く。
静かに暮らした男の話。
それまで。
大きく伸びたことは。
なかった。
けれど。
特集から来た読者が。
読み始めた。
『白瀬冬真、昔からこんなの書いてたの?』
『時計屋のやつ?』
『今の作品と全然雰囲気違う』
『でもやっぱり生活が妙に細かい』
『最終章まで読んだ。好き』
『こういうの埋もれてたんだな』
過去作。
新作。
完結作。
全部へ。
人が流れている。
冬真は。
アクセス解析を。
何度も。
更新した。
「……これ、壊れてないよな?」
数字が。
見たことのない速度で。
増えている。
ランキングも。
動いた。
ハイファンタジー。
一位。
ローファンタジー。
一位。
宇宙SF。
一位。
ホラー。
一位。
料理。
一位。
スポーツ。
一位。
VRゲーム。
一位。
童話。
一位。
エッセイ。
三位。
詩。
四位。
その他。
二位。
異世界恋愛。
推理。
歴史。
ヒューマンドラマ。
文学。
その他の既存作品も。
すべて。
上位。
冬真は。
ランキング一覧を。
上から。
ゆっくり。
見ていった。
どのジャンルを開いても。
自分の名前がある。
しかも。
ほとんどが。
一ページ目。
「……本当にこうなったのか」
最初。
掲示板で。
『どのジャンル開いても白瀬冬真がいる』
と。
言われ始めた。
その頃は。
まだ。
全部ではなかった。
でも。
今は。
本当に。
全部。
その夜。
大型匿名掲示板。
新しいスレッドが立った。
『【速報】ノベルスフィアの全ジャンル上位に、なぜか全部白瀬冬真の名前がある』
冬真は。
タイトルを見た瞬間。
噴き出した。
「なぜかって、俺にも分からないよ」
中身を開く。
『ついにスレタイが事実になった』
『確認したけどマジで全ジャンルいる』
『ジャンル選択画面が実質白瀬冬真作品一覧』
『作者を返してください』
『どこへ?』
『ハイファン』
『異世界恋愛』
『SF』
『料理』
『全員返してほしいのかよ』
『作者は共有資源じゃありません』
『では更新日を公平に分配してください』
『だから資源扱いするなw』
冬真は笑いながら。
作者ページを開いた。
作品。
多い。
改めて見ると。
かなり多い。
そして。
その大部分が。
連載中。
冬真の笑顔が。
少しずつ。
消えた。
「……待てよ」
ハイファンタジー。
続き。
待たれている。
異世界恋愛。
王女が国を出たところで。
止まっている。
宇宙SF。
機関室が燃えている。
推理。
容疑者が揃ったところ。
ホラー。
押入れ。
その他。
料理。
スポーツ。
VR。
「……これ」
ランキングより。
インタビューより。
もっと。
現実的な問題が。
あった。
読者が。
増えた。
つまり。
続きを待っている人も。
一気に。
増えた。
掲示板。
『ところで』
『何』
『次どれ更新するの?』
『ハイファン』
『異世界恋愛だろ』
『SF』
『料理』
『童話』
『推理』
『全部じゃん』
『作者九人くらいに分裂しないかな』
「無理だよ」
冬真は。
思わず。
答えた。
自分だって。
全部書きたい。
でも。
続きは。
自分で。
決められない。
どの世界へ。
眠ったとき。
行くのか。
選べないから。
夜。
冬真は。
スマートフォンを。
枕元へ置いた。
今日。
嬉しいことは。
たくさんあった。
特集。
ランキング。
過去作。
新しい読者。
全部。
ありがたい。
だからこそ。
次は。
新しい世界ではなく。
できれば。
続きを待たせている。
どこかへ。
戻りたい。
冬真は。
布団の中で。
小さく。
呟いた。
「今度は、続きのある世界だといいな」
目を閉じる。
その願いが。
どこかへ。
届くのかどうか。
冬真には。
分からない。
ただ。
今夜も。
眠りだけは。
いつもと同じように。
やってきた。




