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オルガ―狂奔の女帝―Ⅰ.紅への道  作者: 月桑庵曲斎
序章 帝国最後の夜
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Ⅲ 終末の角笛

 髑髏と骨十字の紋章(ジョリー・ロジャー)が震えている。わなわなと、スネイクラストが地獄の底から吠えるかのような声を挙げた。


「そんなことは誰にでも分かる。では、どうすればよかったのだ」


 黒剣が真紅の天鵞絨(レッドカーペット)を切り裂いた。黒剣を打ち付けると大理石が欠けて飛び散ったが、スネイクラストは気に留めもしない。


 床を砕いたことで冷静さを取り戻したスネイクラストは、じろりとエドヴァンスを睨めつけて、言葉を継いだ。


「御託を並べるな、レイン。あの時お前はそこに居た。陛下だけに罪を(なす)り付ける気かっ」


 切先をエドヴァンスに向ける。そうあの時、エドヴァンスはそこに居たのだ。ラパステーも、スネイクラストも、あの場に居た者で悪意の有った者は誰一人としていない。だが、その善意を推し進めた結果が、最悪の事態を招いたのだ。二十万を超える死者をその手で生み出したのは、敵意をオルガに向ける市民とやらを守るためではなかったか。


 言外の圧力がそうエドヴァンスに語りかける。


「そんな心算(つもり)はない」

「ならば、言葉の応酬は終わりだ。あとは剣で語ってもらおう」


 有無を言わさず、スネイクラストが前に出ると、エドヴァンスが刀を構えた。黒騎士たちが、二人を囲むように円陣を組む。これは取り押さえるためではなく、決闘をする際のケルト人の習慣だ。スネイクラストもエドヴァンスも部族は違ってもケルト人である。


 炎に巻き上げられた灰が雪のように降り続けていた。ジリジリと距離を詰める。互いに相手の様子を伺っていた。


 オルガが兵を挙げてからここまで、二人は軍の練兵場で幾度剣を交えて来た。スネイクラストはあの頃と変わらぬ不折鋼(アスラウシア)独特の黒剣で、エドヴァンスはどこかから手に入れたのか|直刀(パラッシュ)だった。 


 崩れ落ちはじめた帝城は、もはや帝国の中心ではなくなるだろう。石は砕け、柱は折れ、かつて星都の真紅宮と呼ばれた空間は、その色を炎に変えている。それでも、市街部に被害はない。そもそもこの真紅宮は帝城の最深部にあり、周囲を庭園に囲まれていた。


 一つだけ秩序が残っているのは、オルガがいるからだ。オルガが居なければその秩序は生まれない。


――動く


 エドヴァンスとスネイクラストの肩の筋肉がピクりと動き始めた瞬間、剣と刀が鎬を削り合う。幾度も幾度も刀と剣がぶつかり合い火花が飛んだ。スネイクラストの剣戟は、重く、速く、そして正確。エドヴァンスは軽やかに、靭やかに剣を振るっている。


 だが、重い音とともに、二人が止まった。直刀が不折鋼に抗いきれず、刃に黒剣が喰い込んだ。


 折れる――と誰もが思ったとき、地鳴りを伴う崩壊音がすぐ近くで鳴り響いた。帝座の間に再び灰が舞う。


 そして舞い上がった灰煙が晴れると――帝座の前にオルガが立った。そのすぐ横に天井が落ちている。


 微動だにしないオルガ。

 オルガレア・カポテア・ヴィクトリア。皇帝名、カポテア一世。俗称、オルガレア一世。世界初の女帝にして、最後の世界皇帝。真紅の女帝バシレイウナ・ポルフィラと呼ばれ、狂奔の女帝バシレイウナ・リュッサリアとも呼ばれた、世界で唯一人の尊き者。


「陛下!」

「……まだ、そこにいたのか」


 スネイクラストは剣を捨てて、オルガの許へ駆けつけた。それを追う余裕は今のエドヴァンスにはない。彼が発した声は掠れていた。喉が焼けるように渇いている。革命軍服のあちこちが裂け、血が滲み、呼吸すら重かった。それでも彼は刀を手放さない。


 オルガは沈黙で答えた。


 その視線の先には、ただ燃える炎。今や真紅宮を孤立させているのが分かった。まるでそれが、自分の人生そのものの終着点にも見える


――いや、まだだ。命ある限り、志は捨てたくない。


 オルガは一瞬、揺らいだ自分を嘲笑った。


「いつまで其処に居る」


 エドヴァンスの一言は、早く逃げてくれと言わんばかりであった。オルガはようやく視線を投げた。黒曜石の瞳、紅に染まった礼装、帝冠はまだ頭上にあるが、それは最早、支配の象徴ではなく、憎悪の象徴だった。


「降りたら、終わる?」


 その問いに、何がだ――と、エドヴァンスは思った。思ったが、そう問い返したところで何になるだろうか。


 オルガのいう終わりとは何か、自分のしようとしている革命とは何か。ラパステーはただ祈るだけで、スネイクラストはオルガを守るためだけにここに居る。


 つまり、ここにいる誰も答えを持たないまま立っている。


 いや、少なくともオルガは、スネイクラストは、ラパステーは、エドヴァンスは知っていた。答えなど何処にもないことを。だが、人は選ばなければならない。限られた不自由の中で、最善を探して選ばなければならなかった。


「貴女は……」


 言葉を探しながら、エドヴァンスはオルガを見た。笑っていた――真紅の女帝ではなく、まだ十六歳ほどの黒百合の女公のように。悲しみに閉じこもらず、(ひた)()きに前を向こうと明るく務めたオルガが重なって見えた。


「民を救うために戦ったはずだ」

「違うわ。私は戦争を無くしたかった。人々から大切な物を奪う、争いを無くしたかったのよ」


 その笑みは美しく、そしてひどく壊れていた。そして、悲しんでいるというより、失うことに怯えているようにも見える。


「でもね、救えなかった」


 救えなかったという後悔が重く伸し掛るというのでもない。両手で水を掬い上げるような仕草はまるで神に祈る巫女のようだった。


「救おうとした分だけ、溢れていくのよ」


 炎が揺れる。それはオルガの心を写しているのか。オルガは本当に溢れたかのように掌から尽きず溢れ続けるものを睫毛を伏せて、瞳が紫に染まる。


 そこに、崩れた天井から火の粉が降り、まるで空そのものが崩壊しているようだった。


 エドヴァンスは自分が気圧されているのを自覚すると、歯を食いしばった。


「だからといって……」

「だからよ」


 オルガは歩き始める。帝冠に手を延ばして、わずかに傾くのを支えた。するり、と帝冠が両手で外される。エドヴァンスはオルガが帝冠を外したのを見た。


「だから、ここで終わらせるの」


 その瞬間、真紅宮外から爆発音が響いた。突入して午前四時(エニア・ナルケ)になっても戻らなければ、点火するように伝えてあったが、それにはまだ早い。

 革命軍の兵が叫ぶ。


「外門突破!」

「まだ敵がいる!」

「増援だ!」


 だが、その声は途中で途切れた。スネイクラストには、黒騎士たちが、状況判断を的確に行い、帝座の間に戻ってきたのだと分かる。それならば――と、スネイクラストが静かに剣を構えた。


「まだ、終わらないか」


 その声に、疲労と諦観が混じっていた。オルガは小さく笑う。スネイクラストの問いはエドヴァンスとの問答に対するものだ。


 しかし、分かっているはずのオルガが、態とはぐらかしたのは、エドヴァンスを殺させたくないのだと理解した。


「終わらせる気がないのよ、みんな」


 その言葉に、誰も答えられない。革命軍も、旧帝国兵も、そしてエドヴァンスも、この戦いは勝敗では終わらないと、全員が薄々理解していた。それを「終わらせたくない」と言い切るのは何故なのか。


 オルガはゆっくり帝座から降りる。階段を踏みしめるたび、血と灰が裾に絡みつく。


「ねえ」


 彼女は誰にともなく言った。


「角笛って、本当は誰が鳴らすのかしら」


 エドヴァンスが顔を上げる。スネイクラストは首を傾げた。ラパステーだけが驚いている。


「何の話だ」


 オルガは答えない。ただ、遠くにある聖角塔をみていた。聖角塔とは為政者の覚悟を示すための建物で、その屋上に角笛小屋があり、誰でも吹くことが出来る。


「国が終わる時に鳴る終末の角笛(ケラセスカトン)よ」


 その声は、どこか幼い。彼女は微かに笑う。


「でもね、鳴ってないじゃない? 神々の戦いで鳴らすのは神々の使者(ヘルメス)。じゃあ、帝国滅亡を知らせる角笛(ケラス)は誰が吹くの?」


 エドヴァンスは驚いた。あの何の意味もなさそうな角笛にそこまで深い意義が有ったとは。


 帝城建設の際、屋根のある角笛塔は帝城外の市街地中央に建てられている。誰でも吹けるのは不用心だなぐらいにしか思わなかったが、オルガは「角笛を吹かせないように治める覚悟」として誰でも立ち入れる聖角塔(ケラスピュルゴス)を建てたのだ。民に不満がなければ太鼓が鳴らぬという諫鼓鶏のように変化したが、元はゲルマノス人の神話が取り入れられたものだ。


 知らなかった――炎の揺れはエドヴァンスの心のようだった。遠くで何かが崩れる音がする。


 それでも角笛は鳴らない――いや、誰も鳴らさない。鳴らす者がもういないからだろうか。それとも――エドヴァンスは剣を握り直す。


「なら、代わりに私が終わらせる」


 その声には、まだ迷いがあった。民のすべてがオルガの終末を望んでいないのかも知れないと、心が揺れる。


 だが、オルガは静かにそれでいて、嬉しそうに悪戯をする少女のように、笑って頷く。だが、言葉は短かった。


「そうして頂戴?」


 その一言だけだ。

 拒絶でもなく、承認でもなく、ただ受け入れ、燃える王宮の中で、オルガとエドヴァンスは対峙した。スネイクラストはオルガの視線を遮らぬように半歩前に出て護る。


 王と近侍と革命家。

 平和と破壊と終焉。


 だがそのいずれも、まだ終わってはいない。

 角笛は鳴らなかった。

 誰も鳴らさないまま。世界だけが、静かに崩れていった。


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