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オルガ―狂奔の女帝―Ⅰ.紅への道  作者: 月桑庵曲斎
序章 帝国最後の夜
12/21

Ⅻ 帝冠の行方

 エドヴァンスはオルガの問いに即答出来なかった。革命運動が起こったのは世界が息苦しく感じられるようになったからで、決してオルガが悪政をしていたからではない。


 現に世界は平和となり、殺人は無くなり、強盗や海賊なども出没しなくなった。旅や交易は安全になり、街中でも武器を用いた事件は起こらないので、弱者が脅される場面も少なくなっている。


 欧州全土がオルガ帝国となって、治安は良くなったし、汚職は激減した。行政の風通しは良くなったのに、ただ、息苦しさだけが重く伸し掛かっている。


——まるで、過保護な母親に似てる。


 それは正に天啓だった。それこそがオルガの帝国の実体だと確信する。


 エドヴァンスは自分の違和感の正体をようやく理解できた。この答えは、オルガを直視しなければ、得られなかっただろう。そして、エドヴァンスが重たくなった口を開いた。


「民を——手放してください」


 オルガは少しだけ目を細める。民を手放すとは、意外な言葉だった。オルガは退位を迫られると思っていたのだ。それ故に鸚鵡返しに声に出る。


「手放す?」

「そうです」


 エドヴァンスは深く頷いた。スネイクラストは政治に興味がないし、フィンバロスやルアドリオもオルガに直接仕えている身であり、帝国の制度の外に居る。さらに言えば貴族の一員であるが故に民の感覚に疎かった。ラパステーは青龍教会の重鎮であり、世俗とは掛け離れている。


「貴女は十分に背負われた」


 王女として、エーリウとブルトンの架け橋となった。女公としてエーリウの民と海を負った。女王としてブルトン連合王国の民を負い、ケルトの象徴となった。そして、皇帝として欧州全土の民を負い、帝国そのものとなった。


 オルガはそのエドヴァンスの言葉を、自分へのものと誤解して小さく笑った。


「優しいのね」

「違います」


 きっぱりとエドヴァンスは首を振って答えた。


「貴女に世界を背負わせたくない、ということではないのです。そうですね——こう言えば分かりやすい。貴女に子離れをしてほしいのですよ」


 オルガが驚きに包まれた。オルガは母になったことがないから、母が分からないとは言えなかった。少しだけ、恋をしている暇も、その機会もなかったことを悔やみはしたが。


 しばらく沈黙が続き、やがてオルガが問い返した。


「手放して、どうするの?」

「民に委ねましょう」


 即答だった。今のエドヴァンスには未来がはっきりと見えている。不安はある——が、迷いはなかった。


「すべてを、彼ら自身に選ばせるべきです」


 ふふふっとオルガが愉しそうに笑う。それはいつだったか、曲来とした議論に似たような物があったからだ。あのときはオルガがエドヴァンスと同じように考え、曲来が今のオルガと同じように諭した。そして、ゆっくりと、静かに首を振る。


()()無理よ」


 その答えは慥かだった。曲来が言った意味が今なら分かる。集団としての人は()()それほど成熟していないのだ。個人をみれば成熟した思考を出来る者は居る。しかし、誰しもが出来る訳ではなかった。だから、オルガは帝国をまとめ上げ、子供たちを強制的に学校に通わせ、教育を施している。つまりは、これからだった。


「民はまだ幼いのよ?」

「陛下――」


 ラパステーが口を挟もうとするのを手振りで抑え、言葉を接ぐ。


「このままでも、革命だけは成功するでしょう」


 オルガは言い切った。そしてさらに言葉を続ける。


「けれど、それで全てが解決しない。数ヶ月もすれば、革命政府の理想についてこれない人々で溢れ返る」


 そして立ち上がる。黄金の帝冠へ手を伸ばし、それを持ち上げた。


「民には()()導き手が必要なの」


 そしてそのまま、帝冠を差し出した。その場の誰もが動けない。今また新たにオルガが話を支配していた。


「王でもいい。皇帝でも、呼ばれ方は何でもいい」


 そして、三度エドヴァンスへ差し出した。


「それまで、貴方が導きなさい」


 エドヴァンスは言葉を失った。ラパステーも息を呑む。スネイクラストですら目を見開いた。


 それに対し、フィンバロスとルアドリオには、このやり取りが今ひとつピンと来ていない。それは、陸よりも海の方が、人の成熟が早いからかも知れなかった。


 オルガは微笑む。


「エドヴァンス・レイノラウニ」


 その名を聞いた瞬間。ラパステーの顔色が変わった。レイノラウニ家とはカトゥッウェラウニ族の王族で、ブルトン族が白霧の島(アルビオン)に上陸したときに討ち滅ぼした王族である。カトゥラウニ家とウェラウニ家は実はレイノラウニ家が王となる前の王族であった。


「まさか……」


 エドヴァンス自身も固まる。自分の出自は誰にも語ったことはなかった。特にブルトン王朝の関係者に知られぬよう、秘匿していたはずなのに。


「何故知っている……?」

「元々、知っていたからよ」


 オルガは当然のように答えた。イケニ族は、最も古いケルト人部族の一つであり、また女系継承だったが故に、ケルト人としては様々な部族との通婚をしてきた一族である。それ故、部族の盛衰に敏感であった。


「レイン家はレイノラウニの末裔。カトゥッウェラウニ族の三大王族の一つ。貴方は正統な後継者の一人。王になっても不自然はないわ」


 エドヴァンスは首を振った。


「私を王に、ですと?」


 自嘲気味に苦笑が漏れる。それは己よりも運命を呪うかのような響きがあった。


「皇帝に叛逆し」


 帝国軍の元将軍が、ブルトンの貴族であった者が、亡き主君の忘れ形見であるウィリアム・ヘンリーを守れなかった男が、革命軍を率い、帝都の虚を突いて帝城だけを攻めた。思い返して気付く。帝城の警備の隙にオルガが気付かない訳がなかった。彼女は地位を守ることを敢えてしなかったのだ。


 ヴァルツの亡骸を見る。彼自身は哀しい男であった。だが、民衆に手を出した灰色腕章共を率いていた事実は消えない。


「このような男を帝都に招き入れ」


 革命軍を見る。緑褐色の革命服兵たちは残り少なくなっていた。その中に腕章を外して紛れ込んだ者がいることは間違いない。それ以外は殆どが虚ろな目を向けている灰色の革命服兵だ。


「民を殺してしまった私が?」


 (かぶり)を振る。心の声も理性も感情も、全てが無理だと告げていた。


「なれる訳がない」


 誰も反論しない。ラパステーでも、スネイクラストでも、為れと言われても「誰が認めるというのか」で終わる話だ。フィンバロスなら逃げ出すし、ルアドリオなら興味がないだろう。だから、オルガはエドヴァンスを選んだ。


「そうかしら?」


 エドヴァンスが顔を上げる。静かな声だった。


「貴方は裏切った。多くの者が死んだ。私も貴方も同じ殺人者よ」

「陛下、それは——」


 ラパステーが再び声を発した。子供の頃のような笑顔で、唇に人差し指を宛てて、シーッと(おど)けたように行って黙らせる。


「だから——だから貴方なの」


 帝冠をさらに差し出した。エドヴァンスは動かない。いや、動けなかった。帝冠の重みというものが、持っていなくても感じられる。この人は、この細い首でこの重みを背負って来たのか——と(おのの)いた。


「私は……」

「民を信じるのでしょう?」


 オルガが言葉を先回りして、語らせない。それは、拒絶させないという意思そのものだった。


「なら、導きなさい。民が独りで歩けるようになるその日まで」


 すぐには答えられないことは誰にでも分かっていた。だから誰も言葉を発さない。エドヴァンスがオルガの言葉を飲み込むまでは。やがて、エドヴァンスはゆっくり跪いた。


 帝冠を受け取るためではない。その感じられる重みに耐え切れなかったのだ。その姿を見てオルガは微笑む。


「良かった」


 そして、帝冠を玉座へ戻した。全員が驚く。オルガは振り返らずに、帝座を降りた。


「まだ貴方には早いわね」


 少しだけ笑った。民を導く覚悟が足りないということだろうか。


「だから預けておく」


 そのまま帝座を降りる。一歩、また一歩。長い階段を降りていった。


 誰も止めない。スネイクラストも、ラパステーも、フィンバロスも、ルアドリオも、そして、エドヴァンスも。そして、皇帝専用の玉道へと向かった。


 東の空が白んでいる。長い夜が終わろうとしていた。


 オルガが玉道の入口で立ち止まる。そして一度だけ振り返った。


「民を導きなさい」


 その言葉を最後に。真紅の女帝は帝座の間を去った。四艘のエーリウ級がセクアーヌの大河を下っていく。二度とここに〈豊穣の光(エーリウ・ソラス)〉号も〈豊穣の星(エーリウ・レルト)〉号も接舷することは無いだろう。その後を〈地柱の女神(バーンヴァ)〉号と〈白霧の女神(フォードラ)〉号が付き従っていた。


 朝日が差し込む。


 黄金の帝冠を照らし、亡きヴァルツを照らし、革命軍たちの屍を照らし、帝国軍の亡骸を照らす。


 死んでいるものも、生きているものも、誰も動かない。ただ新しい時代の夜明けだけが、静かに世界を包んでいた。

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