第八話 感謝してるなら言葉だけじゃ足りない
――『その病を治す薬は作れない』
当時の王宮薬師長だった男性・リシマ様に突き放された日のことを、今でもよく覚えている。
私が生まれ育ったところは山間にあり、たくさんの薬草が自生していた。だからリシマ様は時々家の近辺へ、自ら鮮度の良い薬草の調達に来ていたのだ。
祖父母から「あのお方は王宮薬師だ」と聞いた私は、黒石病を発病したばかりの妹を助けたくて、男性に直談判しに行った。当時の私は十二歳。リシマ様は六十代後半だった。
『両親も同じ病で亡くなりました。妹だけでも助けたいんです。何でもします! だからどうか妹の病気を治す薬を作ってください!』
妹の病気について説明したら、言われたのが先の言葉。
でも私は諦められなくて……。
『……なら私がその薬を完成させますから、薬についての知識を教えてください!』と弟子入りを志願した。
リシマ様は仏頂面で「草の区別もつかないド素人に教えることは何もない」と断ったが、その言葉が私をさらに奮い立たせた。
『薬のことはまだ分かりませんが、草の区別ならできます』
私は師匠が背負っている籠の中から無造作に入れられている薬草を取り出し、手触りと匂いで種類別に分別。それから「この草は水車の近くに生えてる。この草は……」と生えている場所まで言い当てて見せた。
薬草の名前も効果も知らないけど、このあたりには薬草が多く生えていると祖父母から聞いていたから、両親が病気になったときにその病気を治せるものはないかと探して集めたことがあったのだ。だから私は、その山間に生えている野草には詳しかった。
最初は面倒くさそうに私を見ていたリシマ様だったが、熱心に薬草を仕分ける私を見て多少は興味を持ってくれたらしい。
『……弟子入りするなら、王宮まで来てもらうことになる。山を離れていいのか』
『妹の病気を治せるなら、構いません』
『その間に妹が死ぬかもしれないぞ』
『そうなる前に薬を作ります』
『……俺は何度も同じことを言うのが嫌いだ。一度で覚えろ。へらへらしたり泣いたりしたらすぐに追い出す』
『はい』
私は妹に「必ず治療薬を作るから」と約束して山を離れた。
きっとリシマ様は、きっと私がすぐに音を上げると思っていただろう。よく「女子供はすぐに泣くから嫌いだ」とぶつぶつ言っていたから。
だから私は、師匠に嫌われぬよう、見限られないよう、必死で感情を殺してリシマ様――師匠についていった。自分の感情は師匠の負担だと考え、無表情なのが正しい姿だと思い込んだ。
そうしているうちに、表情と感情を抑え込むのが普通になって、本当は誰かに甘えたいと思ってもやり方が分からなくなった。無愛想な師匠と淡々とした生活を続けていたので、他の人とのコミュニケーションも下手になってしまったけど……。
すべては、妹の治療薬を作るために……。
「……それで、治療薬の開発は順調なのか?」
師匠との出会いから弟子入りまでをかいつまんで話した後、ローワン様が尋ねた。
「……いえ、順調とは言えません。リシマ様に弟子入りし、治療薬の研究を始めて半年後、黒結晶の成長を止めるのに有効な薬草が見つかったまでは良かったのですが、それ以降は……」
その薬草から作った薬のおかげで、妹の黒結晶の成長は止まった。でも黒結晶を消せない以上、その毒素はゆっくりと妹の体を蝕む。
妹に手紙を出せば明るい言葉で返事が返ってくるけど、年々体が弱っているのがその筆圧から伝わってくる。
早く……早く治療薬を完成させなきゃいけないのに……。
「……その後も師匠と研究を重ねた結果、妹を蝕む黒い結晶を溶かすのに有効な成分を見つけました。その成分を抽出できる薬草は、他国で採れるとても貴重なもので、師匠が皇帝陛下に頼んで特別に入手ルートを作ってもらったものです」
「ではその薬草で治療薬を……?」
「……それができれば良かったのですが。その薬草は人体に有害な成分も含んでいるので、有害な成分のみを打ち消し、有効な成分を活かす方法をただいま研究中です」
あと少し……あと少しのはずなのだ。
師匠という強力な協力者を失ってしまったが、師匠は私にありとあらゆる薬の知識を叩き込んでくれた。王宮薬室なら、個人じゃとても手に入らない薬草も手に入れて試すことができる。
「ここで研究を続ければ、きっと妹を治す薬にたどり着けると信じています。逆にここを追い出されたら、妹を治す術が完全になくなってしまうところでした。だから……私を守ってくださった殿下には、とても感謝しております」
「……そうか。リザの助けになれたなら良かった」
私が慣れない自分語りをするのを聞いていたローワン様は、穏やかな表情をしていた。
この部屋に来たばかりのときは顔色が悪く見えたが、それも今はない。やはり気のせいだったのだろうか。
「ただ――私に感謝しているなら、言葉だけじゃ足りない」
椅子に座ったまま、また両手を広げられる。
この動作は前にも見た。「おいで」ってやつだ。
「な、何をするおつもりで……?」
「私の膝に座ればいい」
「はい?」
おいで……どころじゃなかった。膝に座れとはどういう意味か。
「私は椅子のクッションだと思って、ここに座ってくれ。正面からでもいいが、それはまだリザには難しいだろうから、背中を向けて座ってもいい」
「ローワン様を椅子のクッションだと思うなど、そんな恐れ多いことできません……」
「私が許可しているのにか……? なら、もっと近くに来てくれるだけでいいから」
近くに行くだけなら……。
そう思ったのが甘かった。
ローワン様の前に立った途端に抱き上げられて、あっという間に横向きにローワン様の膝の上に乗せられる。
「捕まえた」
驚いて顔を上げる間もなく、そのままローワン様の胸元へ引き寄せられる。頭に頬ずりされて、心臓が嫌というほど早鐘を打った。
また吸われる……。
身構えてぎゅっと体を縮めると、頭上から「まだ慣れないのに、ごめん」と小さな声が聞こえた。
それは普段の軽薄そうな言葉とは違い、どこか真剣だった。
「もっとリザのペースに合わせてあげたいと思うのに、キミを前にすると我慢が効かなくなる……」
回された腕に力がこもる。
「キミには節操のない軽い男だと思われたくない。こんなことをしていたらますます嫌われるんじゃないかと分かっているのに、止められない私は駄目な男だな」
抱きしめられているというより、縋りつかれているようだった。
少し苦しいのに、なぜか振りほどきたいとは思えない。振りほどいたら、ローワン様が壊れてしまいそうな不安を感じた。
「ローワン様……?」
どれくらい経っただろうか。
ローワン様は突然、くすりと笑ってようやく腕をほどいた。
「……今日も堪らなくいい匂いだったよ。吸わせてくれてありがとう、リザ」
その顔はいつも通りで、さっき感じた危うさは微塵も感じられない。あれは一体なんだったのだろう。
……って、やっぱり吸っていたのか。
「勝手に吸わないでください!」
慌ててローワン様の膝から下りる。
離れたはずなのに、つい先ほどまで包まれていた温もりがまだ体に残っていて、胸の鼓動はなかなか落ち着かなかった。
どうしてローワン様はこんなに私を求めるのだろう。
その疑問ばかりが頭の中をめぐり、答えは一向に見つからない。
社交界には私など比べ物にならないほど美しい令嬢が大勢いる。他国の王女様でも、才色兼備と名高いご令嬢でも、ローワン様に想いを寄せる女性は数えきれないほどいるはずだ。
冗談なのか、気まぐれなのか。人慣れしていない私をからかって遊んでいるのか。どれかなんじゃないかって思っていたけど……。
私の悩みを真剣に聞いてくれたり、私の研究について聞いてくれたり、急に縋りつくみたいに抱きしめてきたりしてくるから、ローワン様がわからない。
それでも優しく名前を呼ばれるたびに、胸の奥が小さく震えてしまう。
毎日毎日顔を合わせることで、私は確実に少しずつローワン様に慣れているようだった。
全31話です。続きます。




