第七話 王宮薬室の亡霊の夢
――それからというもの、ローワン様は頻繁に王宮薬室に顔を出し、私を吸いに来る。
人に触れられるのに慣れていないと言った私に気を遣って、一応、隣に座るくらいに留めてくれているようだ。
しかし綺麗な顔を寄せられて顔の近くで匂いを嗅がれるのは恥ずかしいし、気が遠くなりそうになる……。
だから最近、私はローワン様が王宮薬室に来る気配を感じると、王宮薬師長のカーロ様に後を任せて王宮薬室から脱走するようになってしまった。
私が人慣れするのに協力してもらえるのはありがたいと思う。でもよく考えたら普通の人に慣れるより、ローワン様に慣れるほうが難しいのではないか。
陽光を編み込んだような金髪と、アメジストを思わせる紫の瞳。気品と華やかさを身にまとい、まるで絵画から抜け出してきたかのような御方。殿下が姿を現せば、男女問わず視線を奪われる。
……そんな眩い美貌の皇子を前にすれば、普通に緊張する人のほうが多いだろう。
その上……ローワン様はわざわざ顔を近づけて、私を吸おうとしてくる。
首筋に感じる殿下の息遣いを思い出すだけで、体が熱くなった。
――井戸で水を汲んでから王宮薬室に戻ろうかな。
気持ちを落ち着けるために外に出て井戸を目指していると、一階の通路に茶髪の男性とローワン様の姿が見えて、私は慌てて植え込みに身を隠した。
ローワン様が一緒にいるのは、みな素行に問題のある貴族ばかりだと言われている。私は夜会などに参加しないからあまり詳しくないけど、あの茶髪の男性も女性を見ればすぐに声をかけ、浮き名の絶えない人物として知られていたはずだ……。
「婚約者に会えなくて残念でしたね~ローワン殿下」
「あぁ……」
恐る恐る植え込みの陰からローワン様を見ると、珍しく覇気のない様子だった。
まさか私に会えなかったから……?
そんなはずないわよねと思いつつ、少し胸が痛む。
「……リザを吸いたかった」
……いや、やっぱり会わなくて良かった。
「……そういうことしてるから、逃げられてるんじゃないですか~? あんな男にも恋愛にも耐性のない子に、ローワン殿下は刺激が強すぎるでしょう。どうしてあんな……王宮薬室の亡霊なんて呼ばれる子を選んだんです?」
「誰より可愛いじゃないか、リザは。私を見ただけで慌てふためき、必死に逃げる……猫のようなあの過剰な反応が可愛いくて堪らない」
「誰より可愛いじゃないか」と聞いて、不意打ちで心臓が跳ねたが、次の瞬間にはぞっとして鳥肌が立った。
楽しげに鬼畜なことを言わないでほしい。
結局私を翻弄して遊んでいるだけ?
私の生きづらさに協力しようとしてくれたのも……ただのその場しのぎの言葉?
そうだ……ローワン様は女性の扱いがうまいんだから、私が嬉しい言葉を並べて心を動かすくらいわけないんだろう。
ローワン様たちが通りすぎるのを見て、そっと井戸に向かう。
――百戦錬磨の皇子からすれば、私なんてちょろくて仕方ないだろうな。
私が誰より可愛いはずない。そんなの自分でもわかっている。
でも……私を「可愛い」と言った甘く艶のある声は、なぜかなかなか忘れられなかった。
*****
ローワン様の鬼畜な言葉を偶然聞いてしまったその日の午後、ノルヴァ先生が書類の束を持って王宮薬室にやってきた。
「リザ。軍用の薬を依頼したい」
以前ならベッテン様が「まずは私に話を通さんかい!」と怒鳴ってきたものだが、カーロ様は何も言わない。
ちらっと様子をうかがうと目が合って、へらっと愛想笑いをされた。……私が引き受けて問題ないようだ。
「……分かりました」
受け取った書類をぺらっとめくると、危険な薬の名前が並んでいた。捕虜の拷問で使う自白剤、そして媚薬……などなど。
「加減が難しい薬だからね、いつも通りきっちり頼むよ。こういうのは特に、他の者には心配で頼めなくてね。過剰な効果で捕虜が即死なんてあっちゃいけないから……」
「もちろん、正確にお作りします」
「あ、ついでに胃薬くれる? 在庫が切れちゃってね……これもリザが作ってくれたのが一番効くんだよ」
「ノルヴァ先生用に、もうお作りしてありますよ」
そろそろ頼まれるんじゃないかと思って用意していた胃薬を差し出すと、ノルヴァ先生が「ありがとう」と微笑んだ。
「……そういえば、前王宮薬師長が投獄されて、リザが王宮薬室にいられるようになったのはローワン皇子殿下のおかげなんだって? いつの間に婚約する仲になってたんだい? いやはや驚いたよ」
胃薬を受け取りながらノルヴァ先生がニコニコと話すものだから、反応に困る。いつの間に婚約する仲になったのか……私にもいまだに分からない。
「リザが王宮薬室に残れるなら、ローワン皇子殿下に僕も感謝しないと。リザがいなくなったら僕の胃に穴が空くところだったよ、ははは。じゃあ、軍用の薬の件、よろしくね」
「……はい」
王宮薬室を立ち去るノルヴァ先生を見送ると、私はこっそり溜め息を吐いた。
私を守ってくれたローワン様には、心から感謝している。ノルヴァ先生の胃に穴が空くことにもならなくて良かったと思う。でも……ローワン様の婚約者にされた事実を、まだ受け入れられない……。
この悩みを誰かに相談出来たらいいのだけど、生憎そんな話ができる相手はいない。
――今は考えないことにして、仕事に集中しよう。
現実逃避のために、目の前の仕事と向き合う。
依頼された薬の納期は一週間。まずは材料となる薬草の在庫を確認するところから始めることにした。
昼間は王宮医術師から依頼された薬の作業をし、王宮薬師の皆が帰った後から夜にかけて、新薬の研究に勤しむ。それが私の日課だ。
机の引き出しから瓶を取り出して机に置く。瓶には黒い結晶のかけらが入っていて、薄暗い明かりの中で不気味な存在感を放っていた。
この結晶を消す薬を作ること――それが私の目標。師匠に弟子入りし、王宮薬師を目指した理由だ。
研究中の試薬を並べて実験の準備をしていると、王宮薬室のドアがノックされた。こんな時間に誰が来たのかと身構えつつ「はい」と返事をすると……。
「やぁ、こんばんは。リザ」
ドアを開けたのはローワン様だった。
『――誰より可愛いじゃないか、リザは。私を見ただけで慌てふためき、必死に逃げる……猫のようなあの過剰な反応が可愛いくて堪らない』
やっと忘れ始めていたあの言葉が、鮮明に脳裏によみがえる。
しかし、ローワン様を見ただけで慌てふためけば相手の思う壺。長年、無表情無愛想と言われてきた私なら、冷静に応対することなど造作もない……。
「な……何か、御用ですか?」
声が裏返りそうになったが、たぶん、バレていないはずだ。
「……昼間、会いに来たんだけど会えなかったから」
「ちょうど出払っていたようで申し訳ございません……。ただ、今はその……大事な薬の研究中ですので、人慣れの特訓はまたにしていただきたく……」
先手を打って、ローワン様が「特訓しよう」と言い出さないように止めた。するとローワン様は私の近くにあった椅子に座って、机の上に置いた黒い結晶の瓶を見つめた。
部屋の明かりのせいか、少しローワン様の顔色が悪く見える。目元に疲れが見えるのも……気のせいだろうか。
「……リザはいつも夜遅くまで、薬の研究をしていると聞いていた。いつも……何の薬の研究をしているんだ?」
「えっと……それは……妹の病気を治す薬です」
「妹は、何の病気なんだ?」
話していいものか悩む。あまり聞いていて気持ちのいい話でもない。
私が悩んだのを察したのか、ローワン様は私を見上げ、少しだけ目を細めた。
「教えて、リザ。お願いだ」
人の心にすっと入ってくる声。
どうしてかこの御方のお願いは、他の人より断りづらく思える。
「……ローワン様に話すようなことでも……」
「リザ、私はキミの婚約者だ。キミのことは何でも知りたい。ほら、話してごらん。今宵は話を聞くまで帰らない」
甘い言葉の最後にちょっとだけ圧を感じて、私は観念した。
「体から……この黒い結晶が生えてくる病です。この結晶が出す毒素は、やがて心臓を止めてしまいます。私の両親も、同じ病気で亡くなりました」
「それは不治の病と言われている、黒石病か」
「はい……私はそれを不治病ではなく、治療できるものにしたいのです」
全31話です。続きます。




