第五話 あの娘の何が良かったのかと言われましても
私は薬のことだけ考えて静かに暮らしたいのに、どうしてこうなってしまったんだろう。
王宮薬室を追い出されたくない一心でローワン様との婚約証書にサインし、王宮薬師長ベッテン様が投獄される事件から、十日ほど経った。
ノルヴァ先生が、私が王宮薬師を続けられることを大いに喜んでくれたのは良かった。
だがあとは困ることばかり起きている。
他の王宮医術師たちがてのひらを返したように、次々とまた私に薬を作るように依頼して来るようになって、忙しくて大変だ。
王宮薬室ではみんなが私の顔色を窺うようになった。
ベッテン様が投獄された今、新たに王宮薬師長になったのは、副王宮薬師長だったカーロ様。今までベッテン様のご機嫌をうかがってへこへこしていた彼は、王宮薬師長になった今、なぜか私にへこへこしている。
無視されていたころのほうがラクだったと思えるなんて、皮肉なものだ。すごく居心地が悪い。おかげで毎日気疲れをして、へとへとで宿舎に帰る羽目に……。
さらに私の困りごとは終わらない。
宿舎は城から少し離れたところにあり、身分の低い王宮勤めの人たちの一部が住む。住人以外が立ち入らないような辺鄙な場所だ。なのに事件以来夜になると、私が住む部屋にはある人が訪れる。
「……こ、こちら……ローワン第二皇子殿下より、婚約者のリザ・ステイル様への、お、お贈り物にございます……」
今宵もドアを開けると、侍女らしい格好をした女性が、3段に重ねられた箱を差し出しながら頭を下げてきた。
声は震え、箱を持つ手もプルプルしている。……たぶん箱が重いのではない。こんな夜更けに、王宮薬室の亡霊を前にしてるのが怖いのだと思う。
顔が怖くてごめんなさい……と思いながら、私はこれ以上驚かせないようにそっと声をかけた。
「あの……それ、持って帰っていただくことは、できませんか……?」
毎晩毎晩、この女性を通してローワン様から贈られてくる箱。中身はいつ着るのか皆目見当がつかないほど煌びやかなドレスとか、ひとつ売るだけで家が買えそうな宝飾品とかだ。
……ローワン様はいつも女性にこういう贈り物をしているのだろうか。
一日目に届いた箱は中身がわからなくて開けてしまったけど、すぐ閉めた。二日目以降に届いた箱は開けてもいない。そのうちまとめてお返ししたいと思っているが、これ以上部屋に置きたくない。
「それからその……もう、こういうのはいいと、伝えてほしくて……」
「あ……あ……」
ガクガクブルブル。
「……え?」
「も……も、も、申し訳ございません……! な、何かお気に召しませんでしたでしょうか……?」
「え? あの……」
「お、お許しください……! の、呪わないで……」
えぇ……?
持って帰ってほしいと頼んだだけで、こんなに怯えられるとさすがに悲しくなってくる。私は別に何も怒ってないし、呪う力もないんだが……。
「ち、ちが……。そんなに、毎日持ってこられても、困ると……」
「ひっ……」
一歩踏み出したら、一歩引かれた。
……これ以上受け取りをごねて、この場に長くいさせるほうが彼女にとって酷かもしれない。
「……分かりました。そこに、置いておいてください……」
「は、はい……!」
女性は言われた通りに箱を床に置くと、大急ぎでその場を立ち去った。
――もっと私がうまく話せたら……あの女性に嫌な気持ちをさせずに、持ち帰ってもらえたのだろうか。
残された箱を見ながら、私は肩を落とした。
*****
その翌日……私は朝から王宮薬室の掃除をしつつ、己の未熟さについて考えていた。
そもそも私がもっと人当たりが良く、周りとうまく関われていたら、王宮薬室の亡霊だなんて呼ばれることもなかったんだろう。
話しかけただけで逃げられることも、目が合っただけで怯えられることも……ベッテン様に目を付けられることも、悪評を広められて追い出されそうになることもなかったかもしれない。
溜め息が零れた。
磨き途中のガラス瓶に映る、無愛想な自分の顔。
昔はもう少し柔らかい表情をしていた気がする。しかしいつの間にか、笑い方を忘れてしまった。
ローワン様はどうやって笑っていたっけ。確か、目を細めて……口角を上げるんだ。
ガラス瓶に映る自分の顔が、奇妙に歪んでいく。
目の数も鼻の数も口の数も同じで、配置も大体同じなのに、どうしてこんなに違うんだろうか……。
「――おい、見ろ。あれが王宮薬室の亡霊だ」
「……空の瓶を怖い顔で見つめているぞ」
ぎくりとして、私はすぐにガラス瓶を机に置いた。
……いつの間にか王宮薬室の入り口に、見知らぬ男性たちが集まってきていた。
ここ最近、私を興味本位で見に来る貴族が増えている。みんな、ローワン様が婚約した王宮薬室の亡霊に興味があるのだ。
そしてみんな、同じようなことを言う。
「ローワン殿下はあの娘の何が良かったんだ……? 女なんて選び放題だっただろうに」
「言い寄られすぎて、綺麗な女性には飽きたんじゃないか?」
「味変したいなら、婚約までする必要はなかったのでは……?」
「しっ! 声が大きい! 聞こえたらどうするんだ……⁉」
小声で注意する声も全部聞こえているが、まったくもってその通りなので、どうしようとも思わない。
素行はともかく、ローワン様は完璧な美丈夫。その甘い微笑みであまたの女性を堕としてきたはずだ。わざわざ交換条件を出して半ば脅すように地味な私と婚約する必要は、絶対にない。それに……。
「……王宮薬室の亡霊を怒らせたら、災厄が降りかかるぞ。あのベッテン王宮薬師長も、彼女を怒らせたために呪われて、投獄されることに……」
……あの一件のせいで、王宮薬室の亡霊の噂は消えるどころかパワーアップしてしまった。こんな私を婚約者にしていたら、そのうちローワン様は亡霊使いと呼ばれそうである。
「あの娘に皇子妃が務まるとも思えんが、ローワン様も一体何をお考えなのか……」
本当にそうですよね……と思いながら、入り口のほうに目をやった。ちょうどそのとき……。
入り口で話に夢中になっている男性が近くの棚にぶつかり、薬草の入っている箱をひっくり返した。
「あ、しまった……」
「そ、そこの人たち……!」
床に散らばる薬草を見て、慌てて入り口近くに向かう。
私が近づいてくるのを、貴族の男たちがギョッとした顔で見てきた。
「こ、ここには、危険な薬草や、調合薬もありますので……くれぐれもお気を付けて……」
「ひっ……!」
自分より体も大きな成人男性たちが、顔を強張らせて小さく悲鳴を上げ、慌てて逃げていく。
優しく注意したはずだったが、もしかして脅されたように聞こえたのだろうか。本当に化け物を見たような顔をされてまた悲しくなった。
「あ、あの……」
か細い声に導かれるように視線をやると、まさに薬草の入った箱をひっくり返した男性が、まだドアからそう遠くないところに残っていた。
「薬草を零してしまい、申し訳ございませんでした……」
男性の顔色が悪い。私に怒られると思っているんだろうか。
でもそれ以上に……私は彼の目元を染める隈のほうが気になった。
「……眠れていないのですか?」
「え? あ、えっと……少し」
それを聞いて、近くの机の引き出しから薬包を3つ取り出す。
「睡眠薬まで強い効果はありませんが、精神を落ち着かせ、眠りにつきやすくする薬です……。寝る前に、よかったらお試しください」
「あ……はい……」
男性は薬を受け取ると、軽く頭を下げて、すぐに走って逃げてしまった。
少しでも手助けになれば……と思ったのだが、あの人も私が怖いようだし、渡した薬はそのまま捨てられてしまうかもしれない。
やはり、顔か。
顔の表情をもっと動かせるようにならないと、噂を流すベッテン様がいなくなっても、王宮薬室の亡霊を卒業することはできなさそうだ。
床に散らばった薬草をひとつひとつ丁寧に拾い集める。
するとまた視線を感じた。もう貴族の男性たちはみんな逃げ去ったはずだが……。
振り向くとすぐに見つけられた。離れた場所にある柱の陰からじっとこちらを見ている、金髪の女の子がいる。
確かあの子……いや、あの御方は……。
「っ!!」
クリッとした青い目と目が合った瞬間、小さな体がその場でぴょんと跳ね上がる。
「あ」と思って思わず声をかけようとしたときには、背を向けて走り出してしまった。
――あちらにいらっしゃたのは、ミーシャ様……?
ローワン様の妹君であらせられる、ミーシャ皇女殿下。今年で十歳になられたはずだ。
もしかしたらミーシャ様も、ローワン様の婚約者となった私の様子を見に来たのかもしれない。……目が合っただけで怖がらせてしまったけど。
――こんなにいろんな人に怖がられているのに、ローワン様の婚約者なんてやっぱり無理にもほどがあるわ。
気まずくなった私は王宮薬室の中に戻り、さっき拾い集めた薬草の入った箱を棚に置き直した。これはあとで井戸に行って洗って来よう。
そしてローワン様には……。
「……今度会ったら、ちゃんと話さないと……」
「……誰に何を話すんだ?」
「⁉」
突然背後から声をかけられて、さっきのミーシャ様と同じくらい飛び上がってしまった。
「ふふ……驚かせるつもりはなかった。ごめん、リザ」
「ローワン様……」
「うん、おはよう」
まるで朝、カーテンを開けたときに差し込む朝日のように眩しい笑顔。この御方が笑うだけで、周囲にキラキラと光が舞う。
いや、実際には舞っていないはずなのだが、そう見えてしまうのはなぜか。
「……で、誰に何を話すつもりだったんだ?」
「ろ、ローワン様に……やはり婚約を考え直すべきではないかと、お話をしたくて……」
一瞬で、殿下の笑顔からキラキラが消えた。
全31話です。続きます。




