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第二話 婚約破棄を願います

『――王宮薬室の亡霊の作った薬を飲んだら死ぬなんて噂もあり、おまえを王宮薬室から追放すべきだと貴族たちが騒いでいる。おまえがいると、王宮薬室の評判が落ちて、効く薬も効かなくなるな。クビにされたとなればおまえも体裁も悪いだろう? 理由を付けて自主的に辞めれば、今までの功労分の報酬ぐらいは出るはずだ』


 私を追い出したがっているベッテン様は、そう言った。


 しかし、『前王宮薬師長は、王宮薬室の亡霊に生気を吸われて死んだ』『皇后陛下の母君は、王宮薬室の亡霊の薬を飲んで死んだ』と噂を流しているのはその本人だと私は知っている。


 嫌われている理由は分かっている。


 まだベッテン様が副王宮薬師長だった頃、私は王宮薬師長だったリシマ様という老齢の男性の、唯一の弟子だった。


 そしてベッテン様は私の師匠を元々ライバル視しており……。


『――なんであんな無愛想なじじいが、国王様や王宮医術師たちに気に入られるのだ⁉』


 ……と、いつも憤慨していた。

 

 確かに師匠は無愛想な人だったが、製薬の腕前と薬の開発においては天才だった。


 優秀な薬師を国王や医術師たちが信頼するのは当然のこと。妬む暇があるなら自分の腕を磨けばいいものだが、ベッテン様はいつも文句を言うだけ。


 ついでに弟子の私も無愛想なものだから「可愛げがない!」とよく罵られたものだ。


 しかし去年、師匠が七十七歳で亡くなり、副王宮薬師長だったベッテン様が昇進。ようやく念願の王宮薬師長になれたベッテン様は、実に得意げだった。


 ところが師匠が亡くなった後から、王宮医術師たちはこぞって私を頼り始めた。

 

 どうやらベッテン様より、リシマ様の弟子である私の作る薬のほうが信用できるとか。難しい調合の薬ほど私に頼むので、ベッテン様はあっという間に臍を曲げた。


 その末に……私を王宮薬室から追い出そうとし始めたのだ。

 

 もちろん私に生気を吸う能力なんてないし、皇后陛下の母君は老衰で亡くなったと王宮医術師が診断している。

 

 ただ皇后陛下の母君に関しては、師匠が亡くなったのち、私が引き継ぐ形で持病の薬を作るようになってすぐにお亡くなりになったから、私の薬が悪かったようにも見えても仕方がない状況だった。


 特に皇族の身辺を守る近衛隊長は、私の毒殺を疑っていた。


 王宮医術師のノルヴァ先生が私に非がないと主張し、皇帝陛下と皇后陛下が納得してくださらなければ、私は処刑されていたはずだ。


 でも私の無罪は認められても、元通りの生活には戻れなかった。


 それから王宮医術師たちの多くが、私に薬を頼まなくなったのだ。私の悪い噂が広まれば、ベッテン様の言う通り、効く薬も効かなくなるかもしれないからだろう。


 何の効果のない水でも、「効果がある」と信じ込めばいい効果が生まれることがある。


 逆にどんなにいい薬でも、「効かない」と本人が思い込めば効かなくなってしまう。


 ……ましてや「害がある」と思い込めば、どうなることか……。


 おかげですっかり、王宮薬室にいづらくなってしまった。

 

 実家に帰れるなら帰りたい。


 ――だけどまだ私は、師匠に弟子入りしてまで果たしたかった、とある病気の特効薬を完成させられていない。

 

 個人で手に入れられる薬草には限界があるから、薬の研究を続けるためにも王宮薬室を離れるわけにはいかないのに……このままでは王宮薬室を追い出されるのも時間の問題だ。


 どうにか噂を払拭したかったが、大した人脈もない平民の私に力はなくて、ただただ追い込まれていた……。


 ローワン様は、私がベッテン様に目の敵にされていることまで知っているかどうか分からない。けれど……どちらにしたって……。


「……なぜローワン様が、私を助けようとしてくださるのですか? それからなぜその条件が、私と……婚約することなのでしょうか?」


 ローワン様とは今まで特に接点はなく、直接言葉を交わした記憶もない。


 社交界で数々の浮き名を流すローワン様と、王宮薬室に籠って年がら年中薬を作っている私……。あまりに住む世界が違いすぎる。


 普通のご令嬢なら、ローワン様にここまで急接近されるだけで、胸がドキドキして恋に落ちるのかもしれない。


 でも残念ながら私は、家族以外との身体的接触が苦手。


 人に触れると緊張して固まってしまうため、今もローワン様に触れてしまわないように身を縮めるのに精いっぱいなのだ。心拍数が早いのも決して恋に落ちそうなドキドキではない。ただの恐怖である。


 しかし日々黄色い声を浴びているであろうローワン様は、「“なぜ? なぜ?”と可愛いな。なんでも答えてやりたくなる」と甘く微笑んだ。


「助ける理由は、キミのような優秀な薬師を王宮から失うのが惜しいからだ。医術師たちもキミの薬をとても信頼していると聞く」


「私の腕を買ってくださるのなら、普通に助けてくださればいいのでは……?」


「キミの願いが叶えられるのなら、私の願いも叶えられるべきだと思わないか?」


「ローワン様の願い……?」


「キミと結婚することだ」


 ……やっぱり、今、目の前にあるすべてが幻ということはないだろうか。もしかしたらかなり幻覚作用の高い薬草に手を出して、現実の私は床に転がって泡を吹いているという可能性も……。


「安心していい。私は第二皇子だから、婚約者を自分で選んで問題ない。愛が深まった後に、身分の差で引き裂かれる心配はないぞ」


 ――そんな言葉で安心できないし、まずそんな心配をしていないのですが。


 頭の中に言葉は浮かぶが、口から言葉が出てこない。


 あぁなんで私はこんなに人と話すのが苦手なのだろう……。呼吸するように女性を口説ける皇子くらい口が達者なら、私の人生はもっとうまく回っただろうか。


「どうする? ……私と婚約して、王宮薬室に残るか。婚約を断って、王宮薬室を離れるか」


 究極の選択……。

 

 もしローワン様と婚約すれば、悪い噂を払拭できるし、これからも王宮薬室で薬の研究を続けられる……。もはやローワンに頼る以外に、王宮薬室に残る道はないだろう。

 

 しかしローワン様といえば、不真面目で女遊びが激しい放蕩皇子として有名な御方。それでも貴族のご令嬢たちからの人気は非常に高く、「一度だけでもお相手してほしい」なんて言われていると聞く。平民の自分を婚約者にしたら絶対にあちこちから恨まれるに決まっている。


 そもそもローワン様なんて婚約者を選び放題のはずだ。見目麗しいご令嬢だって望めるだろうに、なぜよりによって王宮薬室の亡霊をご所望なのか……。


 ローワン様の婚約者になるなんて無理……。

 

 でも婚約者になれば王宮薬室にいられる……。


「せっかくリシマに弟子入りして王宮薬師になったのに、ここで辞めていいのか?」


『――リザお姉ちゃん』


 ローワン様の言葉を聞いた瞬間、頭に浮かんだのは、最愛の妹。

 

 私が世界で一番大切な……誰より守りたい存在。

 

 そうだ。……私が王宮薬師になると決めたのは、妹のため。あの子の為なら何でもする覚悟で、師匠に弟子入りし、ここにいる……。


 あの薬を完成させるためと思えば……。


「……分かりました。条件を受け入れますので、王宮薬師を続けさせてください」


「そう言ってくれると思った」


 私の逃げ場を塞いでいたローワン様がゆっくりと離れる。ようやく息がしやすくなった。


 何度かゆっくり深い呼吸を繰り返して心を静めていると、ローワン様がソファーの前のテーブルに何か紙のようなものとペンを置くのが見えた。


「落ち着いたら、婚約証書にサインを頼むよ」


「……はい」


 テーブルに近づいて、驚いた。婚約証書にはすでにローワン様のサインがある。私が来る前に用意されていたようだ。


 最初から私が婚約を受け入れると踏んでいたと思うと、少し怖くなってきた。


 ――覚悟を決めなさい……妹のためよ。


 ソファーに座って心で唱えながら、サインをする。

 

 私の名前が書かれた婚約証書を見て、ローワン様は実に満足そうに頷いた。


「……ありがとう、リザ。これで晴れてキミは私の婚約者だ。さっそく、婚約者として最初の仕事をしてもらいたい」


「最初の仕事……? 私は一体、何をすれば……?」


 仕事と聞いて思わずソファーから立ち上がった私に、ローワン様が近づいて来る。

 

 殿下に対して恋愛感情など何もない私でも見惚れそうになるくらい、いい笑顔で。


「――リザを吸いたい」


「え……」


 その言葉を理解するより早く、ローワン様は私を抱き寄せて、金の柔らかな髪が私の頬を撫でた。


 ――すぅ………………はぁ………………。


 …………。


 ……何が起きているのだろう。

 

 ローワン様の吐息が首筋に当たる。


 まるで緑豊かな森林で澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込むような深い呼吸音が、妙に艶めかしい。

 

「あぁ……やはりこの匂いだ……」


 掠れた声を聴いた瞬間、固まって動けなくなっていた体がブワッと熱くなる。

 

 急に増えた血流が脳に回って思考を動かし、今、“思いっきり匂いを嗅がれていたこと”を自覚した。


 ――な、な、何してるのこの人は……⁉ へ、変態なの⁉


 私は何か大きな間違いを犯したかもしれない。

 

 妹のために王宮薬室に残りたいとして、ローワン様に頼る他にまだ方法はあったのでは? 

 ……いや、ある。きっとある。さっきまではこの他に方法はないと思ってしまったけど、冷静になればまだやれることはある……と思う。


 ――少なくとも、この人と婚約するのは、ダメだ。


 思いっきりローワン様の体を押しのける。


 急いでテーブルに手を伸ばし、先ほどサインしたばかりの婚約証書をひっつかんだ。


 そのまま破るつもりが、婚約証書は私の手からさっと消える。


 顔を上げれば、婚約証書をひらりと掲げるローワン様が。


「何をしようとしていたのかな? わが親愛なる婚約者殿」


「こ……婚約破棄を願います」


「王宮薬室にいられなくなっていいのか?」


「ほ、他に方法を探し……」


「他に方法はない。……婚約を破棄するなら、私がキミを王宮薬室にいられなくするから」


 味方の顔をして近づいてきたかと思えば、私が婚約を破棄すれば敵に回るらしい。……明らかに、ベッテン様より厄介な敵に。


 私はとんでもない人と婚約してしまったようだ。

全31話です。続きます。

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