第一話 王宮薬室の亡霊、皇子に婚約を申し込まれる
真面目ヒロインとイケメンチャラ皇子の攻防って面白そう……と思って書き始めました。
よろしくお願いします。
「――王宮薬師、リザ・ステイル。私の婚約者になれ」
「……え?」
グラスタ―帝国。とある穏やかな晴れの日。
グラスタ―帝国第二皇子、ローワン・ゼペル・グラスター様が突然私を呼び出して、にこやかにそんなことを言い出した。
テーブルを挟んで向かいのソファーに座る、芸術品のように美しい人。
歳はたしか、二十三。
愉し気に細められた紫の瞳。日の光に煌めく金髪。形のいい唇。
高貴な御方はその存在を構成するすべてが上等なのだな……などとぼんやり考えていたからだろうか。あろうことかローワン様のお言葉が「私の婚約者になれ」なんて、おかしな言葉に聞こえてしまった。
一回落ち着こうと、密かに深呼吸する。
私は王宮薬師、リザ・ステイル。普段はグラスタ―帝国の王宮内にある薬室に勤務し、医術師の指示のもとに薬を作ったり、新薬の研究をしたりしている。
王宮薬室に務める薬師のほとんどは代々そこに務め、爵位を持つ人が多い。その中で私は、唯一の平民出身。去年亡くなった前王宮薬師長、リシマ様の弟子だ。
師匠は弟子なんて取らないような気難しい人だったけど、私はとある病に効く薬の研究がしたくて執念で弟子の座を手に入れた。
私も今年で二十歳になり、王宮薬師歴は六年になった。ただひたすらに薬草と向き合い、新薬の開発に励む日々……。
間違ってもローワン様に婚約者候補として扱われない身だ。
つまり、これはとんでもない聞き間違い……。
「も……申し訳ございません、ローワン様。よく聞き取れなかったので、もう一度言っていただけませんか……?」
「あぁ。私の婚約者になれ、と言った」
「……はい?」
「私の、婚約者になれ。リザ・ステイル」
「…………」
おかしい。
無礼を承知で聞き返したら二度も言い直してくださったのに、また「私の婚約者になれ」と聞こえてしまった。
これは私の耳に異常が生じている可能性が高い。
日々の薬の研究で、あらゆる薬草の組み合わせを試していた結果、聴力に問題が生じたのか。あるいは脳に作用した何かが、幻聴を生み出したのか……。
ローワン様が王宮薬師の私を呼ぶのだから、きっと何か薬が欲しいのだと思い、手元の小さな鞄には頭痛薬、腹痛薬、吐き気止め、のどの痛みを緩和する薬などを入れてきた。
しかしそのどれも、私の今の症状には効きそうにない。
これは早急に王宮薬室に帰って、薬を作る必要がある。
思い切って立ち上がると、ローワン様が怪訝そうに見上げてきた。
呼び出された身で中座など、本来許されることではない。でも、今の私ではまともに話を聞くことができそうにない。
「お……恐れながらローワン様、体の調子が優れないため、一度、薬を飲みに行ってもよろしいでしょうか?」
「……何?」
「このままでは……殿下の大事なお話を聞くのに支障がございますゆえ……」
「……どこが悪いんだ?」
先ほどまでにこやかだったローワン様の顔から、笑みが消えた。
私を心配するような真剣な顔にも見えたが、詳しく答えることはできない。
「ローワン様が私に婚約者になれと言っているように聞こえてしまう」など言えるものか。
私はそのままゆっくりと後ずさり、ドアに近づいていく。
「く……薬を飲んで落ち着いたら、改めてお話を聞かせてください。失礼いたします」
そう早口に言うと、ドアを開けて廊下に出る。王宮薬室への近道は右だ。
「――ウェルド。連れ戻せ」
「はい」と低い声が聞こえたと思うと、私の体はやや後ろに引っ張られ、すぐに宙に浮いた。
両脇の下を掴んで持ち上げられた猫のように、後ろからぷらーんと持ち上げられた私は驚きのあまり固まる。
呼吸も忘れているうちに、先ほどの部屋に戻された。
ハッと我に返って振り向けば、目の前で閉まるドア。
最後にちらっと隙間から見えた大柄な男性。……確かあの人は、ローワン様の側近。
ドアをもう一度開けようとしてみたがビクともしない。
きっとドアの向こうで、先ほど私を連れ戻したウェルドさんが押さえているんだろう。私を軽々持ち上げた彼と、力比べして勝てるとは思えない……。
どうしよう……これでは王宮薬室に帰れない。
「話の途中で逃げるとは、悪い子だな。リザ・ステイル」
耳の後ろから、少し笑っているような低い声。
すぐ後ろにローワン様がいる気配に、緊張して体が動かなくなる。ドアとローワン様の間に挟まれてしまった。
「に……逃げるつもりは……。私は、薬を……」
元々人と話すのは得意じゃないのに、緊張でいつも以上に言葉が出ない。
「だからどこが悪いかと聞いている」
「み……耳です……」
耳ではなく脳の可能性もあるが。
「耳? 耳がどうしたんだ?」
「少々……聞こえが、悪くて……」
「……なるほど。では私が先ほど、“婚約者になれ”と言ったのもよく聞こえなかったか?」
「そ、それは……」
反射的にローワン様のほうを向くと、殿下の両腕がドアまで伸びてきて、私を閉じ込める。
前にはローワン様、後ろはドア、私の顔の両脇には殿下の腕。
逃げ場がない。
「聞こえたな?」
美しいゆえに笑顔に圧がある。どうやら……幻聴ではなかったらしい。
「お……お戯れを……」
「戯れ? 本当にそう思うのか?」
どう考えても遊ばれているとしか思えない。
私は身なりを整えることに興味がなく、年頃の娘らしいことは何もしていない。
化粧もしていないし、伸びっぱなしの茶色い髪は適当にひとつに束ねただけ。白い王宮薬師の制服は洗濯した清潔なものをまとっているが、長年着古していてところどころよれている。
美しく着飾ったご令嬢たちが花に喩えられるならば、私はその辺に転がる枯れ枝のようなもの……いや、枯れ枝でもないか。
『いつも青白い顔をしていて、何をしても表情一つ変わらない』
『喜怒哀楽を持っていないんだよ』
『あのぼそぼそと話す冷たい声を聞いていると、呪われそうだ』
『突然後ろに立っていて心臓が止まるかと思った……気配が薄すぎる』
『目が合った瞬間、背筋が冷えた。あれは生きている人間の目じゃない』
私を知る人々は、口々にそう言う。
そしてつけられたあだ名が――【王宮薬室の亡霊】。
おかげで夜な夜な明かりの少ない王宮薬室で薬の研究に勤しんでいると、うっかり通りかかった王宮で働く人々が悲鳴を上げるようになってしまった。
対してローワン様は、その整った容姿を武器に女性をとっかえひっかえ遊び歩いていると噂の放蕩皇子。遊び以外で王宮薬室の亡霊と呼ばれる女に「私の婚約者になれ」など言うはずない……。
女性を揶揄って遊びたいなら、他のご令嬢でやってほしい。ローワン様になら揶揄われても嬉しいという女性たちならごまんといるはずだ。
「た、戯れ以外で、殿下がそのようなことを言い出す理由が分かりません……」
「戯れではない。私は真剣だ、リザ・ステイル」
「真剣って……」
「キミは今、王宮薬室の亡霊の作った薬を飲んだら死ぬなどという噂が流れ、上官から辞めるように言われて困っているだろう? だが私の婚約者になれば、キミを今後も王宮薬室にいられるようにすると約束する」
「え……?」
……まさかローワン様にも知られていたなんて。
確かに私は今、王宮薬室を追い出されそうになっていて、困っている。いつも私を目の敵にしてくる、王宮薬師長・ベッテン様に。
殿下が提案した条件だけ見れば、それは私がいま最も求めていた“助け”だった。
全31話です。続きます。




