第十話 王宮薬室の亡霊、夜会に連れ出される
「……大変、申し訳ございませんでした……」
翌朝……私はベッドのそばの床に額をぶつける勢いで手と膝を突き、ローワンに謝罪した。
媚薬を被り正気でなかったとはいえ、とんでもない醜態をさらしてしまった。
まともな頭に戻ったがゆえに、昨夜の出来事をありありと思い出せる。
抱き締めてほしいとねだったこと。
離れないでと言ったこと。
ローワン様にしがみついたこと。
思い出すたびに顔から火が出そうになる。できることならもう一生、王宮薬室に引きこもっていたい。
ひとりで帰らせてくれていれば……そうしたら部屋で静かに耐えられたのに。
少しだけ恨めしい気持ちになる。もちろん助けていただいた恩の方が大きいのだが。
「リザ。体調が良くなったならそれでいい。何も気にするな」
ベッドに腰かけたローワン様はなぜか機嫌が良いご様子。まるで昨夜のことなど何でもないと言わんばかりの表情。……その様子に少しだけ救われる。
「それにしても……媚薬ってやつは不思議な匂いがするんだな。匂いだけでも理性を揺さぶられる……。今後、あの匂いには警戒することにしよう。いいことを学ばせてもらった」
そう言いながらローワン様は着替えを始めた。私は慌てて背中を向ける。
「そんなに……媚薬の匂いを、感じましたか?」
「まぁ……私は鼻がいいからかもしれないが」
そういえばローワン様は、嗅ぎなれない匂いを感じて階段のほうまで来て、落ちそうになった私を助けてくれたんだっけ。
鼻がいいというのは本当だろう。
……しかしそれだけ媚薬の匂いを感じていたなら……かなり媚薬の影響も受けていたのではないだろうか。
「……そ、それだけ匂いを感じていたなら、ローワン様も昨夜はお辛かったのではありませんか?」
「うん? 辛かったが?」
即答だった。
私は再びローワン様のほうを向き、床に額を打ち付ける勢いで手と膝を突き、謝罪する。
「……本当に……申し訳ございませんでした……」
私と一緒にいることで、ローワン様まで媚薬の被害に遭っていた。
なのにローワン様はずっと私を気遣ってくれていた。落ち着かせてくれていた。
なんて紳士なのだろう。普通の男性なら、私は襲われていてもおかしくない。
「……私に女性としての魅力がなくて良かった」
王宮薬室の亡霊でなければ、ローワン様と一夜の過ちが起きてしまったかもしれない。
皇族と、ただの平民薬師。なぜか婚約を結んでいる関係ではあれど、そんなの絶対に良くない。
本当に、何もなくてよかった。
そう思ってホッとしたのだが……。
「……キミはどうしてそんな変なことを言い出すんだ」
声が近い。
気づいた時には腕を掴まれていた。そのまま引っ張られて立ち上がらされる。
そしてくるっと視界が回ったと思えば、いつの間にかベッドに押し倒されていた。
「ローワン……さま……?」
新しいシャツに着替える途中だったのか、ローワン様のシャツのボタンはまだひとつも留められていない。
鍛えられた上半身が否応なしに目に入ってきて、もう薬の効果は切れているのに体がカッと熱くなった。
「……媚薬の効果を感じていながら、私がリザに手を出さなかったから、女性としての魅力がないと感じたのか? 薬の熱に浮かされて正気じゃないキミが後で苦しまないよう、大事にしたくて耐えたのに……。そんなことを言われるくらいならもう少し、私もあの状況に流されて良かったのか」
ローワン様の手が私の耳朶をなぞり、そのまま首筋に下りていき、鎖骨を辿る。
「私がどれだけ我慢したか……今から教えてやろうか」
獲物を逃がさない猛獣みたいな目。心臓が跳ねる……。
朝日が差し込む部屋。爽やかなはずの朝なのに、空気だけが妙に熱を帯びていた。
息をすることすら忘れてしまう。
――食べられる……?
そう思った瞬間、ローワン様が急にニコッと笑った。
「……なんてな」
空気が一変し、殿下はあっさりと身を引いた。
ベッドに残された私は呆然と天井を見上げる。
数秒後……ようやく呼吸の仕方を思い出して息を吐いた。
――助かった……?
恐る恐る体を起こすと、ローワン様は平然とシャツのボタンを留めていた。
さっき見せた捕食者のような雰囲気は、もうない。
「……リザは、自分の魅力に気づいていないな。リザの婚約者として、キミの魅力をちゃんと自覚させてあげるべきか」
「え?」
間抜けな声が出た。
――魅力? 私に? そんなものないのに……。
「とっておきの舞台を用意するから、覚悟しておくように」
ローワン様が楽しそうに目を細めて、私は強い不安を抱いた。
*****
それから数日後……私は危機に直面していた。
この日は朝からいつも通り、王宮薬室で仕事をし……ようやくノルヴァ先生から頼まれた軍用の薬をすべて完成させて納品して、散らかった棚の整理を終え、今日は余裕があるから夕方から黒石病の薬の研究を始めようと思っていたのに……。
……気づけば私はローワン様によって拉致され、豪華な鏡台の前に座らされていた。
私をここに連れてきた本人は今はいない。私を取り囲んでいるのは、3人の顔の険しい女官たちだ。
「もっと背筋を伸ばして! 顔を上げてください! ほら! そんな目をしない! ローワン様の婚約者として夜会にご出席なさるなら、胸を張って!」
「……」
「返事は?」
「は、はい」
反射的に返事をしたが、気持ちはまったく追いつけてこない。
私はどうしてこんな目に遭っているのだろう。
2人の女官たちが私の顔を挟みこむようにして粉を塗り、化粧を施していく。さらに後ろでは別の女官が「何この髪……寝起き?」とぶつぶつ言いながら髪を梳いていた。
どうやら私は、これからローワン様のパートナーとして夜会に出席するらしい。女官たちはローワン様に頼まれて私の身支度を調えてくれているのだが、さっきからお小言が止まらない。
「スキンケアをしていない⁉ 今はまぁ……若さゆえに綺麗ですけれども、老いてからも綺麗でいたいならちゃんとしないと!」
「それより手荒れが酷い! 年頃の女の子の手じゃないです! え? 薬草を洗うから……? 薬草を扱ってるなら手荒れに効く薬草も知ってるんじゃないんですか⁉」
「髪を毎朝とかさないと! こら! そんな面倒臭そうな顔をするんじゃありません!」
次々と飛んでくるお小言。
お小言だけじゃなくて、これからはこうしたほうがいいなんてアドバイスも同時にくれるんだが、もはやキャパオーバーで頭に残らない。
もはや私は、されるがままの人形状態だった。
顔を上げろと言われれば上げる。顎を引けと言われれば引く。目を閉じろと言われれば閉じる。
そんな状態がどれだけ続いただろうか……。
「――ほら、ボーっとしてないで鏡を見てください。どうですか?」
一番厳しそうな女官に肩を叩かれて、鏡を見る。
そこには……知らない女性がいた。
肌は陶器のように滑らかで白い。目元は華やかで、くすみも隈もない。唇は熟れた果実のように鮮やかで、艶を放っている。髪も美しく結い上げられ、宝石が飾られていた。
まるでどこかの貴族令嬢のよう……。
とても自分には見えない。
「……すごい技術力、ですね」
まるで私を別人に作り上げた女官たちの技術を褒めると、3人が一斉に胸を張った。
「完璧な出来栄えですわ……」
「久しぶりにやりがいがありましたね」
「あぁ満足満足。……では次はドレスに着替えますよ」
――まだ終わっていなかった……。
遠い目になった私のところに運ばれてきたのは、深い緑色のドレスだった。
これは以前ローワン様から贈られたものだ。あまりに高価そうで、ずっと保管したままになっていた。まさか着る日が来るとは思わなかった……。
女官たちに手伝われながら着替える。そして鏡に映る姿を見て驚いた。
まるで最初から私のために作られたみたいにぴったりだった。
胸元や腰回りも苦しくない。裾の長さも完璧。金糸の刺繍が深緑の布地に映えている。合わせるアクセサリーも、エメラルドをあしらったもの。
「殿下はリザ様の瞳の色に合わせて、このドレスを選ばれたのでしょうね。とてもお似合いです」
自分の瞳……地味な緑色だと思っていた。けれど身に着けたドレスや装飾品のおかげか、今は不思議と鮮やかに見える。
本当に私なのだろうか……そう思った時だった。
「――リザ。準備はできたか?」
聞き慣れた声に反応して振り返ると、部屋の入り口にローワン様が立っていた。
一瞬、息を呑む。
……いつも格好良い人だとは思っていた。だが今日は違う。
濃い紺色の夜会用の正装に身を包んだ姿は圧倒的に、かっこよかった。
――本当に私を連れていくのですか? 私などが行ったら場違いだと思います。
ローワン様が来たらいろいろ言おうと思っていたのに、うまく言葉が出てこない。
私がまごついていると、ローワン様が近づいてきた。
私の前でぴたりと止まり、「……まさか想像を超えてくるとは」とぽつりと溢した。
「そ、想像……?」
「いや、こちらの話だ。今のは気にしなくてくれ。それより……」
ローワン様が、流れるような動作で私の手を取る。
「とても綺麗だ」
真っ直ぐな言葉に、一瞬で顔が熱くなった。
全31話です。続きます。




