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線の引き方

 争点二の席は、一通の議事録から始まった。


 二の束から出されたのは、領都の応接間で作られた、面会の議事録だった。書記官が読み上げる。ベルモント伯爵夫人の言葉である。――夫の死後、家の実務はすべて執事長に任せた。署名のない走り書きで用件を伝えたこともある。書類を、読んだことがなかったのは私です。


 読み上げの間、夫人の席は、今日も空だった。けれど今日の空席は、昨日とは意味が違った。逃げた人の席ではない。自分の言葉を、議事録という形でこの席に預け、結果を待つ人の席だった。


「議事録には、本人の確認の署名がある。名前と、日付のある、正式な記録である」


 オルトは言った。


「当主一家の責任について。この記録と、先の審問における嫡男の証言とを合わせ、本席は次のように整理する。実行の責任は、印を用意し、書類を作った元執事長クランツにある。その処分は、別途、司法の手続きに委ねる。――だが、任せきりにし、読まず、確かめなかった責任は、家に残る。命令に署名をしなかったことも含め、である」


 裁定官の一人が、なお問うた。


「『任せきりだった』は、家の言い分にも聞こえる。仕組みのせいにすれば、誰の責任でもなくなるのではないか」

「証人に、記録の扱いの観点から聞く」


 オルトが私を見た。


「……責任は、記録の残っている分だけ、測れます。あの家で、署名のある書類は、ほとんど残っていません。走り書きには、名前がなかった。――ですが、この議事録は違います。夫人は、自分の言葉を読み返し、確認し、署名しました。読まなかった七年については、記録はありません。読んだ一日については、記録があります。本席に提出できるのは、その一日です。七年分をどう扱うかは、裁定の判断ですが、測れるのは、ここから先だと思います」

「これから先は、測れる、と」

「はい。この議事録が、あの家の、最初の一行ですから」


 裁定官の一人が、クランツの扱いについて添えた。三十年の日誌が、この仕組みの解明に決定的な役割を果たした事実は、処分の場でも考慮されるべきだ、と。


(線は、こうして引かれる。全部を一人の罪にせず、全部を「知らなかった」で流さず。記録のあるところに、記録の分だけ、責任が置かれる)


 次に、返済計画の扱いが審られた。カスパルが立ち、計画書の正本を、自分の手で席に提出した。別邸と北の所領の処分。その売却金をもってする、両替商ギルドへの返済の工程表。末尾には、二つの署名があった。計画を作った嫡男の名と、それを読み、確かめて、署名した当主の名である。


「この計画は、誰に命じられて作ったものか」

「誰にも。……家が読むべきものを、ようやく読んだ結果です。母は、計画書の分からないところを、私に聞きました。七十年生きて、初めて書類の読み方を聞いた人です。遅い。ですが、署名は、本物の署名です」


 裁定官の一人が、処分される北の所領について問うた。


「所領を売れば、そこの借地人の暮らしはどうなる。家の再出発のために、領民が割を食うのではないか」

「借地の契約は、すべて公証の写しが残っています。売却の条件に、契約の引き継ぎを明記しました。……写しは、ここに提出してあります。売る側の都合で、紙の約束が消えることは、ありません」


 カスパルは、一拍置いて言い添えた。


「それが、今の私にできる、せめてもの読み方です」


 オルトは工程表を検め、ギルド側の意向を聞いた。頭取は、しばらく考えて答えた。


「全額を一度に、とは言いません。店の帳面には、金の返る日が書ければ、それで足ります。……日付のある計画なら、我々は待てます。待てなかったのは、日付の読めない書類の方でしたから」


(日付のある計画なら、待てる。――商人の言葉が、この一件の全体を言い当てていた。嘘の日付は、誰も待てない。本当の日付は、待つことができる)


「返済計画は、本席で受理する。進行は監査院が半期ごとに検め、遅滞があれば本席を再開する。――家の責任は、放免ではない。再出発の、条件である」


 カスパルは深く頭を下げ、席に戻った。その背中は、証言台に立った日より、少しだけ小さく見えた。背負うものの重さが、決まった人の背中だった。


 そして、争点三である。オルトの声が、わずかに調子を変えた。


「婚約解消の確認を行う。証人アーレン、述べよ」

「はい。カスパル・フォン・ベルモント氏との婚約は、その年の三月、申出を断った直後に、ベルモント家側からの通告により、解消されました。その経緯は、私の三冊の綴りの写しと、双方の家の書簡に、記録があります。――私からは、慰謝も、財産上の請求も、一切ありません。求めるのは、解消の事実の、公の確認だけです」


「異議はあるか、ベルモント氏」

「ありません。……解消の申し出は、家の側から行いました。その理由は、彼女の正しさを、家の都合で罰するためでした。そのことも含め、確認に同意します」


 書記官のペンが、走った。婚約解消、確認。議事録の上に、数文字で置かれる。


 私の指が、外套の内側で、印ケースに触れた。公爵に直してもらった、あのケースである。割れたままなら、今日の席で、私の手は震えていたかもしれない。


(終わった。七年と、婚約の月日と。私怨だと、改竄だと、色々と言われた私の記録の、その出発点だったはずの縁が、公の席で、静かに畳まれた)


 私は席を立ちながら、領主の席に目をやった。レオンハルトは、こちらを見ていた。何も言わず、ただ一度、頷いた。用件ではない話は、まだ先にある。今日終わったのは、古い話のほうだ。


(不思議なものだ。楽になった、とは違う。重さが、置くべき場所に置かれた、という感覚だった。責任も、縁の終わりも、名と日付のある紙の上に。――それが、私の仕事の帰る場所なのだ)


 オルトは、残る束に手を置いた。制度の束である。


「最後に残るのは、この一件が置いていった、仕組みの話である。明日は、裁かれる者ではなく、作った者の話を聞く。――ヴァルデン領の、市場登録制度について」

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